「高橋 愛 様」
ドアにはそう書かれてあった。
ドアをノックする。
「はい」
中から中年の女性が出てきた。
高橋のマネージャーのようだ。
「あ、おはようございます」
彼女は丁寧に頭を下げた。
「高橋、います?」
「あ、はい、います、どうぞ」
鏡の前に高橋が座っていた。
長い髪の後姿、光の当たり具合で何色に輝いて見えるその特殊な染め方は、すっかり最近の若い女性の流行になった。
「今日はよろしくね、高橋。ちょっと話したいことがあるんだけどいいかな?」
「何しに、来られたんですか。今、メイク中なんで、後にして下さい。」
鏡の向こうで高橋はこちらを振り向かずに言った。
キツくつり上がった眉。目元のアイシャドウも歌舞伎の隈取の様につり上がっている。
昔のマンガに出てきたスケバンみたいなメイクだが、これが変に女の子に受けているらしい。
「石川から聞いてる?明日の話。」
「あ、それなら、スケジュールは大丈夫なんですが、本人が出たくないと申しまして・・・・・・」
マネージャーは申し訳なさそうに言う。
「余計なこと言うんじゃないよ!」
高橋はそんなマネージャーを制した。
石川の映画が先日からクランクインしている。明日は石川にお願いされていた、友情出演の撮影が行われることになっていた。
「裕ちゃんも、よっすぃーも、加護も、新垣も出ることになったんだよ。
高橋もおいでよ」
「明日は久しぶりのオフで、個人的に用事があるんです。
すいませんが、お断りします。
石川さんにもちゃんとそう伝えてあります」
高橋は相変わらず、鏡の向こうにいる。
「どうしちゃったんだよ、高橋」
「どうもしません、保田さん、私達はもう「娘。」ではないんです。
いつまでも「娘。」を引きずるのはやめて下さい」
「高橋、本気で言ってるの?」
「……」
高橋は黙っている。
「本気で言ってるの?」
「もう「娘。」は解散したんです。保田さんもとっくに卒業してるじゃないですか。
もう、私にかまわないでください」
そう言って鏡の向こうの高橋は目をそらした。
彼女は高橋の胸ぐらを掴んで殴りたい衝動を抑えるのに必死だった。
(怒っちゃダメだ、落ち着こう)
高橋の出身は福井県。
方言を言わないようになるまで、加入してから1年くらいでかかったが、福井弁のイントネーションはなかなか抜けなかった。
「ミニモニ。」加入後は逆に明るい田舎娘のキャラで、イントネーションは逆に彼女の魅力の一つとなった。
「娘。」時代の高橋は明らかに「陽」のキャラクターだった。
「あの、保田さん、ちょっとよろしいでしょうか、外でお話しが……」
見かねた女性マネージャーが間に入る。
彼女に追立てられる様に、保田は楽屋を出た。
「すいません。彼女は本心で言っている訳じゃないんです。
わかってやってもらえませんか」
マネージャーは頭を下げた。
「でも……」
「高橋は元々、あんな娘じゃないという事は保田さんもご存知だと思います。
あの娘はあの娘なりに苦労して今の人気を確立することに成功しました。
今のイメージで成功する為に無理をしている部分もあります。
それがつい、あんな言動になってしまっているんです。
許してやってください」
マネージャーはまるで高橋の母親のように言った。
「娘。」解散後、何人かがソロ歌手として再デビューをした中で最初にヒットを出したのが高橋だった。
高橋は「ミニモニ。」で活躍していた姿から一転、クール&ビューティな娘にイメージチェンジしての成功だった。
現在も定期的に新曲をリリース、安定した売上を維持している。
CDのヒットのみならず、CMやドラマにも活躍の場を広げ、今やすっかり若い女性のファッションリーダー的存在にまでなった。
しかし、その地位と引換にいつしか高橋は笑わない少女になってしまった。
「高橋はあんなことを言ってますが、後藤さんのことをすごく意識してるんです。
モーニング娘。のことを忘れている訳ではないんです」
「後藤のことを?」
「ソロデビューが決まった時のことです。
どういうイメージで行こうかという会議の席で、高橋は「後藤さんのようになりたい」と言いました。
後藤さんの「クールでカッコいい」部分に以前から随分憧れがあったみたいで、あんな風になりたいのだと強く主張しました。
多分それは後藤さんの事件がきっかけで、その気持が大きくなっていたみたいです」
「でも、後藤はあんな娘じゃないよ」
「わかっています、彼女の中で後藤さんのイメージが一人歩きしているのかもしれません。
デビュー当時、後藤さんのファンからもたくさん応援をもらいました。
高橋は後藤さんのファンの為に、自分が後藤さんの代わりになろう、そんな気持があったみたいです」
(そうだったのか。)
あの事件以後、メンバーは誰もが後藤の痕跡を自分の中から消そうとあがいていた。
無理やりに、後藤の記憶を追い出そうと、忘れようとあがいていた。
高橋も高橋なりに苦しみ続けていたんだ。
誰よりも「娘。」を愛するがゆえに。
番組が始まった。
生放送の緊張がスタジオに走る。
番組の出演は高橋がトップで歌った。
相変わらず、クールな高橋。
司会の男女の局アナ二人の質問にも淡々と答える。
次々と人気歌手がステージに上がっていく。
保田の出番は最後だった。
「では、今日最後の曲になりますね。保田圭さんです。」
拍手で迎えられる。
彼女はゆっくりと司会の二人の横に移動した。
「今日は新曲をこの番組で初公開していただくそうですね。」
「ええ、人前で初めて歌うので、ちょっと緊張しています」
「この歌のためにハルギスタンまで行かれたそうですが?」
「ええ、テロ事件の為に1日しか滞在できませんでしたが、貴重な体験をさせてもらいました」
「良く無事で帰って来れましたね」
「ええ、悪運は強い方なので」
にっこり微笑む。
「では、保田圭さんに歌ってもらいましょう。曲は『祈り』です。どうぞ!!」
司会の男性局アナが手で示したのは、特に何も装飾のされていないステージ。
スポットライトに浮かぶピアノが一台。
保田は静々とその前に立った。
ついにこの日が来た。
この歌を皆に聞いてもらえる日が。
いろんなことがあった。
全てはこの日の為に積み重ねた日々。
全てはあの日から……
みんなにこの想いをこの祈りを届ける為に……
中澤が心の何処かで嫉妬心を持っていたのも
卒業を決めてから、飯田とぎくしゃくしたのも
福田が自分の卒業後の「娘。」に気後れしていることも
石黒が卒業後もみんなの相談事を抱えていることも
安倍が後藤の事故に感じた心の闇も
市井が後藤の事件以後姿を隠しているのも
矢口が裏切りに傷ついて現役を退いたのも
石川がみんなの為に映画出演の話を持って来てくれたのも
吉澤がわざわざ金貨を取りに来てくれたのも
加護がずっと淋しさを抱えていたことも
辻がやせ細るまで悩みを抱えていたことも
小川が子供を虐待している心の闇も
紺野がみんなの連絡係を一生懸命勤めているのも
新垣がいまだに歌手である自分にこだわり続けているのも
そして高橋が後藤に憧れるがゆえに、自分を変えてしまったのも
すべては誰よりも「娘。」を愛するがゆえ
そして自分自身も
保田はこっそり右手にハルギスタンの金貨を握りしめていた
(ノバク、力を貸してね)
保田は目を閉じ、大きく息を吸った。
いつもは撮影しているカメラの位置や、どのカメラが今写しているのかとかこっそり気にしながら歌ったりしていた。
今は違う。
この歌で心の中に潜む闇に少しでも光りを与えられたら、みんなの魂が少しでも動いてくれたら、それだけでいい。
父よ、母よ、友よ、愛する者よ
再び巡り会えるように
再びひとつになれるように
一人きりでは越えられない壁でも、
一つになれば越えられるだろう
その時、神はわれわれに希望の光をさしのべるだろう。
祈れその時まで、祈れその日まで
祈れその時まで、祈れその日まで
祈れその時まで、祈れその日まで
祈れその時まで、祈れその日まで
歌い終わった。
力いっぱい歌えた。
彼女が歌い終えたのと同時に、番組はCMに入り番組は終了した。
「これで全てが始まる。」
そんな気がした。
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「保田さん、感動しました」
「保田さん、良かったです、最高です。」
「鳥肌立っちゃいましたよ!!」
収録終了の合図とともに他の出演者が集まってきた。
惜しげもない賞賛の声。
「ありがとうございます」
保田は会釈で返す。
その人ごみから一人、背を向ける女性。
「高橋!」
スタジオから立ち去ろうとする高橋を彼女は呼びとめた。
高橋は振り向こうとはしない。
収録中も一度も目を合わそうとはしなかった。
「待って、高橋。」
保田は彼女の手を掴んだ。
そして強引にその手にハルギスタンの金貨を握らせる。
「おねがい、この金貨を受け取って。
さっき、私が歌った歌は、この金貨の伝説を歌ったものなの。
私達が「娘。」だった証に、そしてまたもう一度再会の願いを込めて。
高橋にも持っておいて欲しいの」
高橋は振り向かない。
「明日ね、石川の映画の撮影前にごっちんのお見舞いに行こうと思ってるの。
辻とね待ち合わせしてるんだ。一緒に行こうって。
知ってるよね、『赤牟療養所』
もしよかったら、来て」
高橋は黙ったまま歩き出した。
最後まで振り返ろうとはしなかった。
保田の手を振り解いた瞬間、雫が一つこぼれた様な気がした。
チャリン
遠くでコインの落ちるような音がした。
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同時刻・滋賀県・倭市
小さなログハウスの部屋で彼女は泣いていた。
テーブルの上には、手書きの便箋が一枚。
そして彼女の右手には、ハルギスタンの金貨が握られていた。
「圭ちゃん、ありがとう……」
彼女の前にあるTVは丁度保田圭が歌い終えた所を映し出していた。
チャリン
遠くでコインの落ちるような音がした。
++++++++++ ++++++++++ ++++++++++ ++++++++++ ++++++++++
同時刻・千葉県・某所
「いい歌だったね……」
「え、ええ」
夫の幸仁に言われるまで、曽根崎なつみはTVの前で呆然としていた。
「ほんと、いい歌でしたね」
と、幸仁の姉が言う。
彼女達家族は、北海道から千葉に住む幸仁の姉の家に来ていた。
今日は丁度、娘のなつきの誕生日、ディズニーランドに行く為だった。
旅の疲れか、当人はなつみの傍でぐっすりと眠っている。
(明日会えるね)
そうつぶやいて、なつみは手にした金貨を握った。
明日は朝からディズニーランドに行った後、夜に映画撮影の終った、中澤、保田、石川、吉澤、加護、新垣の6人と会う約束になっている。
彼女はこんなに一度に7人が揃う偶然に感謝した。
もうみんなとも長い間会っていない。
その時、なつきが寝返りをうった。
寒いのだろうか、毛布をかけてやる。
「うう……」
眠りが浅くなったのか、寝言なのか、お腹を押さえている。
「なつみさん、お布団ひいたげるからなつきちゃん、ちゃんと寝させてあげたら?」
「あ、お義姉さん、すいませんお願いします。」
その時だった。
「い、いたぁい……」
「どうしたの?なつき」
「いたいの……お腹いたい」
「大丈夫?」
「いたいよー、いたいよー」
急激に痛みが増している様だ、なつきはお腹を押さえてうずくまる。
「お腹が痛いの?」
手を当ててさすってやる。
「ママ、すごくいたいよー」
「どうした?」
夫の幸仁と義姉も心配そうに覗き込む。
「わかんない、急に痛み出したみたい、どうしよう?」
「とりあえず、夜も遅い、救急車を呼ぶしかないだろう?」
「じゃあ、直ぐ電話するわ」
救急車がやって来るまで、5分もかからなかった。
救急隊員が手際良くなつきの小さい体を担架に乗せる。
もう一人の隊員がセンサーのような物を、なつきのお腹に当てる。
「急性の盲腸炎の可能性があります。今までにこんな症状はありましたか?」
「いえ、さっき急に……」
「すぐに病院に運びます。入院の必要があるかも知れません。ご両親も付いてきて下さい」
「はい」
二人は一緒に救急車に乗り込んだ。
「こちら、千葉27号、今から通報のあった患者を搬送します。搬送先の指示お願いします」
「了解」
救急車の運転席横のディスプレイが市内の地図を表示する。
本部のホストコンピューターと連動した救急医療システムは、瞬時に最適な搬送先の指示を出す仕組みになっている。
搬送先が決定され、地図上に表示される。
退院は救急車のギアを入れた。
赤いランプが回り出した。サイレンが鳴り出す。
救急車は曽根崎夫婦となつきを乗せて走り出した。
『赤牟総合病院』
ディスプレイにはそう表示が出ていた。