85 :
辻っ子のお豆さん:
真里とよく行くラーメンのうまい店、珍丼屋。
「安倍の思い入れの場所ってこんな所しかないの?」
圭織はちょっと呆れた様な顔で、店の入り口を眺めていた。期待してたのと違ったのか
なぁ?悪うございましたね、庶民にはこれが精一杯ですよーだ。
「せっかくだから入りましょ、本当においしいんですから。」
私は半ば強引に圭織の背中を押して、店内へと足を進めた。
「らっしゃい!おお、なっちゃんか。」
「どーもー。」
常連の私は店長の小池さんとはすでに顔見知りの間柄である。今日は相方がいつもと違
う為、小池さんは物珍し気な眼でこっちを見ていた。
「今日はヤグと一緒じゃねえのかい?えらい美人さん連れてよ。」
とりあえず紹介することにした。
「えーと、今日朝日奈署配属になったばかりの飯田警部補。」
「はじめまして、いただきます。」
「おうよ。」
圭織の上品な挨拶を小池さんは少し照れながら返した。お品書きを圭織に見せると、私
に任せると言ってきたので、とっておきの奴を頼むことにした。
「味噌ラーメン大盛りネギダク二つ。」
ズズズズズズズズズ……
「うん、うまい。」
「でしょ。でしょ。」
私達は勤務中ということを忘れ、普通に食事を楽しんでいた。
「さっきの話。」
ほぼ食べ終えたくらいの所で、圭織が突然声を掛けてきた。
「どうしてカオリがここへ来たのか、まだ言ってなかったよね。」
私はスープを啜りながら小さく頷いた。そういえば聞きそびれていたことを、すっかり
忘れていたのだ。横目で見た圭織の顔がやけに真剣な眼差しだったので、私は慌てて器か
ら顔を上げ、ちゃんと話を聞く体勢に移った。結果としてその行動は正解だった、そうし
ていなければ多分私は器ごとスープを吹き出していただろう。
「あなたに会う為に来たの。」
「ゲホッゲホッゲホッ!」
むせた。そ、それは一体どういう意味で?圭織が私に?もしかして私の事を…でも圭織
は女の人だし私だって女だし、もしかしてそういう趣味の?そりゃ私は今独り身で恋人欲
しいなぁなんてしょっちゅう思ってるけど、私にそういう趣味は…
「アハハハハハハハ!」
なんて私が混乱していると、圭織が大声で笑い出した。
「へ?」
「冗談に決まってるでしょー。オロオロしちゃっておっかしー。」
まだ頭がパニくっている。何、何、私もしかしてハメラレタ?
「上に行く前に一度現場を経験しておきたかったの。ここに来たのはただの偶然よ。」
長い髪をなびかせて圭織は颯爽と立ち上がった。
「今日は案内ありがと、先に帰ってるね。」
軽く手を振って千円札を一枚カウンターに置き、圭織は店を出ていった。しばらくボー
ッと呆けていた私がハッと気付いて店の外へ出た時には、すでに圭織の姿はなかった。
(なによ、それ…)
冗談かどうか真意は定かじゃないけど、圭織はまだ何か隠している様な、そんな気がした。
「飯田警部補?まだ戻ってないけど。」
「えっ!」
珍丼屋を出て、そのまま真っ直ぐ署へ戻った。私より先に出た圭織はとっくに署に戻っ
ているだろうと思って、受付の子に尋ねて返ってきた言葉がそれだった。
(まずった、やっぱりまだ道に迷ってるのかなぁ)
課長に知れたら大目玉をもらいそうだ、私は大急ぎで元来た道をUターンした。珍丼屋
から朝日奈署まではそんなに複雑な道を通る訳じゃないし、まさか迷うとは思わなかった。
やっぱり一人で帰したのは失敗だったなぁと後悔した。
いくら小さな街といえど、なんの当てもなく一人の人間を見つけ出すなど容易な事では
ない。気が付くともう午後六時を回り、日も沈みかけていた。
(どうしよう…)
(一度署に戻ろうかな、もう帰っているかもしれないし)
そう決めた私は夕焼けの坂道を振り返った。
トクン……
ふいに胸の鼓動が一つ高鳴る。
西日に照らされた坂の向こうに一人の少女がいた。
(あの制服、夕女のだ。)
私と真里の母校でもあり、現在愛が通っている私立夕凪女子校の制服を纏った少女が一
人、傾斜の緩やかな坂を向こう側から下っていた。それ自体は特に珍しい事ではなかった、
この辺りなら夕女の生徒とすれ違うことなんて毎日のようにある。だけど、なんでか分か
らないけど、この瞬間は違ったんだ。
トクン……
また鼓動が一つ。
無意識の内に私の体はその行動を停止していた。神が自らの手で造形したのではないかと
思わせる圧倒的な美しさを放つ少女。紅色の夕日がその美しさをさらに際立たせていた。
気が付けば、五感全部がその娘を追っていた。私の視線と彼女の視線が重なり合う。その
瞬間、私の体に何かが走った。
「生きて…いたの…」
夕凪の制服を着た美しい娘の口から漏れた言葉。
私は彼女を知らない。
初めて聞く声、初めて見た顔。
彼女は震えていた。喜んでいる様な、絶望している様な表情。
わからない。
トクン……トクン……
私は押しつぶされそうな空気の中、やっとの思いで言葉を発せた。
1.「誰?」
2.「……うん。」
3.「失礼ですけど、人違いじゃないですか?」