824 :
辻っ子のお豆さん:
体当たりで扉を破ろう。私は少し距離を取り、そのまま全体重を乗せて扉に突撃した。
それを見た圭ちゃんも同じ様に扉に体当たりを始めました。その後方で美貴は場違いなコ
メントを発して浮かれている。
「嗚呼、なつみ刑事の新しい伝説をこの目で見れそう!感激です。」
「アホかー!あんたも手伝え!」
「はい、喜んで!」
美貴も私達と同じ様に体当たりを始めた。流石にスポーツをしているだけあって、重心
の安定した良いぶちかましを魅せてくれる。不本意だが猫の手も借りたいこんな状況だ、
犯人の手を借りるのも仕方ない。私は美貴から注意を外さず、体当たりを続けた。少しで
もおかしな行動に出たらすぐにとっ捕まえてやる気でいた。ミシィと木製の扉が軋む様な
音を立てた。
「よし、もう少しよ。」
「全力を込めて一斉に行こう。圭ちゃん、美貴ちゃん!」
「OKです!」
三人で同時に突っ込もうとしたその時、廊下の向こうから待ち焦がれた助っ人が現れた。
「騒がしいな〜おいらに黙って何やってんの?」
「真里!」
「おチビ!」
「やぐっつぁん!」
私達は同時に振り向いた。北校舎真ん中に位置する階段から、騒ぎを聞きつけた矢口真
里が駆け上ってきたのだ。真里は音楽室の扉の前で並び立つ私達を見て、首を傾げた。
「なっちに圭ちゃん、それに美貴っちまで、どったの?」
「この中に石川さんがいるんです!やぐっつぁんも協力して!」
「なにぃ石川って、あの殺人犯の石川か!マジで!」
「マジで。早くしないと逃げられちゃうから体当たりしてんの。真里、あんたも。」
「よーし、任せろい!」
と言うと、ちっちゃな弾丸、矢口真里が宙を舞った。メキメキッと物凄い音を立てて音
楽室の扉は破壊された。私達4人は同時に音楽室の中に飛び込んだ。そこで私達は見てし
まった。熱く勇んでいた真里の表情が凍り付いた。崩壊の音が聞こえた。
それはいつからだったろうか。
あの日、あの夕暮れの坂道で石川梨華と遭遇した日から?
私が真里の家に転がり込んだ日から?
マキと名乗る少女の夢を見始めた日から?
ささやかな幸せだった。
私と、真里と、その妹の愛と、三人での何でもないごくありふれた日常。
いつからだったのか、そんな日常に少しづつ闇が侵食を始めたのは。
ゆっくりと、音も立てず、そして確実に。
闇は確かに私の周りを包み込もうとしていた。
この日、全てが崩壊した。
もう二度と、あのささやかな幸せも戻らない。
「……」
愛ちゃんの眼はこちらを見ていた。音の消えた音楽室は闇に包まれ、彼女の肢体だけを
ほのかに映し出している。そこには石川梨華の姿はなく、そして高橋愛も存在してなかっ
た。高橋愛はもう存在していなかった。
私の意識は安倍なつみを離れ、まるで第三者の様な感覚に陥っていった。
矢口真里は高橋愛に駆け寄り、揺り起こす。何度もその名前を叫びながら、揺り起こす。
保田圭もその横に駆け込み、愛の呼吸を脈を確認する。やがて目を閉じ顔を顰める。
隣で悲鳴があがる。藤本美貴が口元に手を当て泣いていた。
矢口真里はそれでも何度も何度もその名前を呼んでいる。何度も何度も。何度も何度も。
やがて保田圭の視線が別の方向に移る。獲物を狙う様な鋭い視線。
それにつられたかの様に、藤本美貴もその方向に向き直っている。
安倍なつみもその方向を見る。
暗幕が一枚、風に揺れていた。窓が一枚空いていた。
矢口真里を覗く全員が、その窓の前へと駆け込む。
藤本美貴が石川梨華の名前を叫ぶ。保田圭もその姿を捉える。安倍なつみも見た。
対面に位置する校舎の影から、顔をひょっこり覗かせる娘。
その髪型は、忘れもしない、あの坂道で出遭った娘と同じ。
影の中で顔だけを出し、娘はこちらを見据えている。
その口元に微かな笑みが浮かんだ気がした。
そして娘は校舎の向こう側へと姿を消してしまった。
逃がすなと叫び保田圭は走り出した。藤本美貴も後に続き音楽室を飛び出す。
安倍なつみは動かなかった。動けなかった。
矢口真里はまだ、愛する妹の体を抱きかかえ、その名前を叫び続けていた。
(だからさ、あいつには幸せになって欲しいんだ)
矢口真里がどれだけ呼んでも、どれだけ願っても、もう決して叶うことはない。
高橋愛は死んだ。
〜第五話 終〜