589 :
辻っ子のお豆さん:
少し離れた場所でそれを見守ることにした。封筒には捜査本部宛の住所と切手のみが貼
られ、送り主先も誰宛てなのかも書かれてはいない。圭織は丁寧に少しずつ、その茶色の
封筒を開けていく。
『あの場所で待っています』
封筒の中には一枚の紙が入っていて、そう書かれていた。先輩刑事達もみな首を傾げ、
誰か心当たりのある者はいないかと、辺りを見渡している。だが誰も反応する者は現れな
かった。少しの沈黙が流れた。
「くだらねえいたずらだろ!」
石橋課長の一言でその事件はあっさりと終了した。やれやれと肩を回しながら、中居巡
査部長も自分の席へ戻って行く。真里もつまんなそうにアクビをかみ殺しながら、移動を
始めた。他の者も皆、各々の仕事に戻る。誰もがいたずらだろうと認識したみたいだ。
圭織だけが、何かに気付いた様に手紙を見詰めたまま立ち尽くしていた。
いや、立ち尽くしていたのは圭織だけじゃない、私もだった。何かが変わってきている
様な気がしていたんだ。私を取り囲む日常が少しずつ…
マキと名乗る娘の夢…
涙を流し消えた石川梨華…
在籍していた女子校で起きた殺人事件…
よく似た少女二人の写真…
そして、この手紙…
何かが起きる度感じているんだ。ただ、それが何なのかわからない。これから何が起き
ようとしているのかもわからない。
「安倍、お前も気付いたか。」
ふと気が付くと耳元に圭織がいた。私だけに聞こえる声でそう語り掛けてきた。きっと
同じ様に立ち止まっている私を見て、圭織の様に何かに気付いたと勘違いしているに違い
ない。圭織は深刻な表情を浮かべ、また囁いてきた。「場所を変えよう」と。
私は圭織に連れられて誰も使用していない休憩室に足を踏み入れた。本当は何にも気付
いてないのに、別の事を考えていただけと言い出せなかった。
「ここでの話は絶対に他言禁止よ。」
あのまっすぐな瞳で私を見詰めてくる。私は首を縦に動かした。そして圭織がこの署に
赴任してきた日の事を思い出した。「あなたに会う為に来たの。」あの台詞が頭の中によぎ
る。あれは本当に冗談だったのだろうかと、余計な考えまで浮かんでくる。
「先週、夕女を捜査していたとき、担任に石川梨華の提出物を見せてもらったの。」
私の考えはお構いなしに圭織は話しを進める。少し驚いた。圭織がそんなことまでして
いたとは知らなかったからだ。てっきり上のお偉いさんと同じ様に、冷房の効いた会議室
に座り、寄せられた情報を元に指示を出していただけかと思っていた。彼女は私達以上に
動き回っていたのだ。
「そこで筆跡を覚えていた。さっきの手紙の文字、石川の筆跡と同じものだった。」
背筋に寒気を感じた。つまりあの手紙の送り主は石川梨華ということ。これまでの一連
の何かが繋がっている気がしたんだ。
「お前もそれで考え込んでいたんだろ?」
「え?あ、うん。そう、そう。どういうことだろうなって、ね。」
嘘をついてしまった。そんな事まったく気付いてない。いやそれ以上に重要な出来事を
私は隠している。私が石川梨華と面識があるということ。あの夕暮れの坂道での出来事。
真里にすら話していない。知っているのは愛ちゃんと亜弥ちゃんだけ。
「おかしいと思っていたの。全国の警察署に手配して探し回っているというのに、たった
一人の女子高生を一向に見つけることができない。手がかりすら見つからない。」
「…そういえばそうだね。」
「警察の中に、石川と繋がりのある者がいる可能性が高い。」
「えっ!」
「あの手紙はそいつへのメッセージと考えられる。そのままの意味か、もしくは暗号とな
っていて何か別の意味があるのか。どちらにしろそいつにしかわからない何かだ。」
(私だ!)
(その誰かとは、私のことだ!)
(あの手紙は石川梨華が私へ送ったメッセージなんだ!)
鼓動が昂ぶって来ている。圭織は気付いていない。私を信じて私だけにこの重大な推理
を打ち明けている。だけどわからない。あの手紙の意味、私でもわからない。
「いい。捜査一課の誰かが怪しい行動をしていたら、それとなくマークすること。」
「わ、わかった。」
そこで廊下から人の足音が近づいてくるのを聞き、密談は終了した。圭織は何でもない
顔をして休憩室を後にした。私はしばらくそこを動く事ができなかった。結局、何も言い
出せなかった。終ってはいない。まだ何も終ってはいないことを私は痛感した。
私立夕凪女子校。私は答えを探す為、再びこの門の下をくぐった。夏休みで誰もいない
かと思ったら、体育館の方からボールの跳ねる音が聞こえる。
(バレーボール…)
体育館を覗いてみると、たった一人で練習を続ける娘がいた。見覚えのある娘だった。確
か第一発見者の藤本さんである。といっても、意気投合した真里が一緒に遊びに行ったと
き撮ったプリクラで見たのみで、まだ直接の面識はない。声を掛けてみることにした。
「練習中ごめん、ちょっといいかな?」
美貴は動きを止め、軽く振り向いた。汗を浮かべたその横顔は、美しいオーラをかもし
出していた。ほんとにこの学校はアイドル集団かよ、と突っ込みたくなる。まだまだこん
な美人さんがいたとは。
「何ですか?」
「朝日奈警察署の安倍と言います。石川梨華さんのことで、少し聞きたいんだけど。」
すると美貴はなぜか口元に手を当てて笑い出した。
「安倍さんって、もしかして、やぐっつぁんの相方の安倍なつみさんですか?」
「うん、そうだけど…」
「アハハハハハ、ごめんなさい。あのなっちさんだぁー。キャー、やったー!」
突然騒ぎ出し大爆笑を始めた。この娘はこういうキャラなのか?
「初めてパトカーを運転した日に電柱に突撃した話とかー、泥棒と勘違いして引っ越し屋
さんを逮捕した話とかー、やぐっつぁんから色々な伝説をお聞きしました。」
(アノヤロウ…そんなことを話していたのか!)
「一度実物をお目にかかりたいと思っていたんです。感激です!」
そんな理由で感激されてもちっとも嬉しくない。だけど、おかげで少し話しやすくなっ
たかもしれない。私は差し障りない話題から踏み込んでゆくことにした。
「バレーの練習?一人なの?」
「はい、本当は今日は部活休みの日なんで。」
「休みの日なのに練習に来てるの、えらいねぇ〜。」
「別にえらくないですよ。ただ目標があるからです。」
「目標?何?」
「それは秘密です。恥ずかしいから誰にも言ってないんですよ。」
「そうなんだぁ、まあ言いたくないならいいよ。ところでさ、あの事件のこと何だけど。」
「村田先生の、ですよね。だと思いました。いいですよ、話しますよ。」
「ごめんね。」
「第一発見者なんかなるもんじゃないっすね、ほんと。もう百回くらい説明した気分。」
「それは言い過ぎでしょ。」
「エヘヘ〜やっぱりですか。」
なるほど真里と意気投合したのも良く分かる。明るくて話しやすいイイ子だ。
「チアの練習終えて、次はバレーの練習しようと体育館に移動してたときにですね。
いつもなら真っ暗なはずの部屋の電気が点きっぱなしだったんですよ。」
「あの理科準備室ね。」
「ええ、誰かが消し忘れたのかと思って向かったんです。そこで見てしまったと…」
「いう訳か。」
「はい。本気で叫びましたよアレは。しばらくご飯食べれなかったですもん。」
「痩せた?」
「痩せた。でもすぐ戻りました。」
「あれの犯人、石川さんなんですよね?」
それまで笑っていた美貴が、急に笑みを潜め聞いてきた。私は静かに頷いた。
「警察の見解では、そういうことになってる。」
「なかなか信じられないです。あんな酷い事する様な子に見えなかったから。」
「美貴ちゃんの眼から見て、石川さんって、どんな子だったの?」
「あんまりしゃべってないから、よくわからないんですけど。悪い子じゃなさそうかな。」
私はあのときの石川梨華の顔を思い出した。確かに悪い子には見えなかった。
「少し思いますよ。本当に石川さんが犯人なのかなって?」
美貴が疑問を投げかける。私はこう思っていた。
1. 犯人は間違いなく石川梨華だ
2. 石川梨華は犯人ではない
3. 犯人は藤本美貴だ
3、で行きたいけど、多分Badになりそうなので2・・・