◇
その日も、おにいちゃんは早く帰ってきた。
そして、新しいお布団を見ると、自慢げに、
どうや、結構ええやろ。奮発したで、と笑った。
ウチはありがとうと、嬉しそうな顔を作る。
でも、心の中では複雑なキモチのままやった。
晩御飯を済ませ、しばらくすると、おにいちゃんは新しい布団を引こうとする。
しかし、空襲で焼けた後立て直した、小屋としか呼べないうちの家は、
おかあちゃんが寝てる部屋と、ウチが使っている部屋の二つしかない。
そして、いつもはウチの部屋で戦争から帰ってきたおにいちゃんと寝ていたわけやった。
「どこにひくん?」
ウチは布団を目の前に悩んでいるおにいちゃんに尋ねた。
「どこにひこか」
「どないするん、なあ?」
意地悪そうにウチはおにいちゃんの腕をひっぱってみる。
「おまえは寝室をつかえや。おにいちゃんは居間で寝る」
「なんで?」
「おにいちゃんは朝早いし、夜遅いから、居間で寝たほうが楽や」
そう、おにいちゃんは笑った。
「じゃあ、やっぱり、ひとりで寝るんや」
ちょっぴり口を尖らせてみる。
すると、おにいちゃんは、いつも遅くて、ひとりで寝てたやんか、と笑った。
「そうやけどな。でも、今日は一緒に新しい布団でねえへん?」
今日はおにいちゃんに、また聞きたいことがある。
それは、あのお見合いのこと。
「は?」
「ほ、ほら、おにいちゃんも一度ぐらいは、このふかふかを経験せないかんで」
ウチはそういって、まだたたまれている布団に飛び込んで、
そして、おにいちゃんを見上げる。
「うーん」
「まあ、せっかくおにいちゃんが買ってくれたんやしな」
そう、ウチが笑うと、おにいちゃんも、分かったと答えた。
寝室に敷かれた、桃色の真新しい布団。
ウチは、それに飛び込むようにもぐりこむ。
ふかふかで、やわらかい。まだ新しい綿の匂いがする。
「おにいちゃん、早く、早く。ふかふかや」
ウチがそうせかすと、おにいちゃんはゆっくりと入ってきた
「おお、やっぱ高い布団はちゃうな」
満足げにそうつぶやくおにいちゃん。
ウチはその嬉しそうな表情をみて、
「ありがとうな」
と、笑った。
おにいちゃんはいつものように、ウチの頭を優しくくしゃくしゃと撫でると、
「また、欲しいもんがあれば、いつでもいえや」
と笑う。
「なんでもええの?」
ウチは、意地悪げに笑う。
「まかせとけ」
そういっておにいちゃんは胸を叩いた。
それはとても頼もしくて、暖かくて、
ウチは、おもわず、おにいちゃんに抱きついた。
「どないしたんや」
不思議な顔をするおにいちゃん。
おにいちゃんの暖かさ、そして匂い。小さいころからずっと一緒。
そして、いつでもウチを守ってくれた。それももう、終わりなんやろか。
「今日で最後かな……」
「んー、まああんまりな、ずっとこういうのもあかんで」
そういって胸のなかにいるウチの頭をぽんぽんと軽く叩く。
「そうか……」
ウチはおにいちゃんの匂いをかぎながら、なんだか悲しい気分になった。
「なあ、おにいちゃんお見合いするねんな」
「なんや、知ってたんか」
「うん」
ウチはおにいちゃんを見上げながら小さく頷いた。
「なあ、結婚したらどうするん?ここでくらすん?」
「まだ上手くいくかどうかもわからんのに、なに言ってるんや。あんな綺麗な人やのに」
「せやけど、ほら写真の人、色黒いやん。もてへんかもしらんで?」
「おまえ、失礼やな」
そういって笑うおにいちゃん。
「ほら、ウチなんか色白やし、ウチの方がかわいいんちゃう?」
そして、ちょっぴり写真の中のお見合い相手に張り合ってしまうウチ。
「ああ、可愛い、可愛い」
おにいちゃんは、そういって冗談ぽく頭を撫でる。
その言葉にウチはふと、綾小路先生の顔を思い出す。
そして、あの人はウチのこと可愛いと思ってくれてるんやろうか。
そんな疑問が頭をもたげてくる。
その疑問はどんどんと、ウチの心の中で大きくなっていって、
「なあ、おにいちゃん。ホンマのこといって、ウチ可愛い?」
思わずウチはそうおにいちゃんに尋ねてしまった。
「なんや、改まって」
驚いたおにいちゃんの表情で、ウチははっと我に返る。
「あ、いや、なんでもない……」
なんか、めっちゃあほなことを聞いてしまったようなきがして、恥ずかしくなる。
そして、ふかふかな布団の中へともぐりこんだ。
しばらく、ウチはじっと考えていた。
綾小路先生へのキモチ。おにいちゃんのお見合い。ののの手術。そして女学校の試験。
沢山のことがいっぱいありすぎて、わけがわからへん。
これが大人になるっていうことなんやろか。少し大人になりたくない気分になる。
「暑っ」
新しいお布団はそれはそれはあったかくて、おもわず暑くなって、
またウチは顔を出す。
ふと、目を上げると、おにいちゃんがウチの顔をまじまじと眺めていた。
「なに?どないしたん?」
ウチがそう尋ねると、おにいちゃんは、にっこりとわらって、
あいぼんは、ほんまに可愛いで。心配せんでええと、ささやいた。
「急に、なんやねん」
なんか、恥ずかしくなってウチはまた布団にもぐる。
すると、おにいちゃんは、もう寝るぞ、と言って電気を消した。
新しいお布団の中はすでに、いつものおにいちゃんの匂いがして、
なんか、落ち着いた。
そして、おにいちゃんが言ってくれた台詞がなんか嬉しくて、
声を殺して、くすくすと笑う。
せやけど、しばらくすると、ふとお見合い相手の顔が頭に浮かんだ。
「お見合いか……」
ウチは、ちょっぴり寂しい声を出す。
せやけど、おにいちゃんは何にも答えず、気が付けば寝息が聞こえていた。