ウチが家に戻ると、おかあちゃんが晩御飯を作って待っていてくれた。
「おそくなった。ごめん」
と、ウチは言うと、
おかあちゃんは、あんまり病院にずっといるものあれやで、といった。
「そうやな」
といって、ウチはご飯を食べる。
しかし、なんだか胸が一杯で、あんまり食べられへんかった。
「どないしたん?おかわりはええんか?」
おかあちゃんは心配そうに聞く。
「うん、もうええわ」
ウチは箸を置くと、ごちそうさま、と言って、
寝室に向かった。
教科書を開いて、勉強なんかを始めてみる。
しかし、綾小路先生が教えてくれた場所をみつけると、
あの人の顔が浮かんでしまって、教科書の内容が頭にはいらへんかった。
そんなことを考えては、教科書をめくったりしながら時間は過ぎていく。
しばらくすると、がらりと玄関の扉が開く音がした。
「ただいま」
おにいちゃんやった。こんなに早く帰ってくるのは珍しかった。
ウチは慌てて居間へと向かう。
「おにいちゃん、どないしたん?」
ウチが不思議そうに聞くと、たまにはこういう日もあるやろ、
と笑った。
すると、おかあちゃんが、
「今日あいぼん、全然ご飯食べへんねん。どっか悪いんかな?」
と、心配そうにおにいちゃんに尋ねる。
おにいちゃんは、ウチのほうをみると、
別に大丈夫そうにみえるけどな、と答えた。
「なんかな、胸が一杯でご飯食べられへんかった」
ウチはそうおにいちゃんにいうと、そのそばにぴったりと寄り添う。
久しぶりに早く帰ってきたおにいちゃん。やっぱり嬉しかった。
そして、ウチはこっそりおにいちゃんに聞きたいことがあった。
おにいちゃんがご飯を食べている最中、ウチはいつそれを切り出そうか、
と思っていたが、なかなか言い出すきっかけがつかめなかった。
そして、気が付けば、おにいちゃんはもう寝るか、といって布団へと向かう。
ウチは布団を引くと、おにいちゃんと一緒に、久しぶりに同じ布団に入った。
「久しぶりやな」
おにいちゃんはそういって笑う。
「うん……」
ウチは話しをうまく切り出すことができなくて生返事をする。
すると、おにいちゃんは、今日は元気ないな、どないしたんや、と尋ねた。
「あのな、おにいちゃん……」
しかし、何をどう尋ねたらいいのやろう。
急に聞いたらへんやろか。
そんなキモチでおもわず黙ってしまう。
「なんや?」
おにいちゃんは笑いながらそう尋ねる。
ウチは意を決して口を開いた。
「綾小路先生って、おにいちゃんの同僚?」
「そうやけど、なんであいぼんが知ってるんや」
「あ、いや。なんか勉強おしえてもろてん」
やっぱり同僚やった。そして、ウチは
勉強を教えてもらったいきさつを話す。
すると、おにいちゃんは、あいつも物好きやな、
と、つぶやいた。
「物好きってなんなん?ウチが綾小路先生に話しかけられるっていうのは、おかしいん?」
ウチはちょっぴり不機嫌になる。
おにいちゃん、そら、ウチはまだ子供かもしれん。
飯田さんや、ほかの看護婦さんみたいに綺麗で大人ならええのかもしれん。
せやけど、ウチやったら、あかんの?
ぷいっとおにいちゃんに背中を向ける。
なんでかわからんけど、どんどん不機嫌になっていくのがわかった。
おにいちゃんは、なに怒ってるんや?と尋ねる。
「物好きって、そんなんウチに失礼や」
「なにムキになってるねん。物好きっていうのは、綾小路先生がおまえと話すこと
じゃなくて、忙しいのによう勉強なんかおしえよるな、ということや」
「そ、そうなんか」
ウチは少しほっとする。べつにウチがお話ししてもええねんな。
そうや、ウチ、結構可愛いし。
おもわずにやけてしまう。
すると、おにいちゃんは、ウチの頭をくしゃくしゃとなでると、
綾小路先生のことが気になるねんな、と笑った。
ウチはその言葉を聞いて、急に心臓がどきんとなったのが分かる。
顔が熱くなっていって、胸のどきどきはとまらなくなる。
「そんなん、ちゃうわ」
そういって、顔を伏せる。
おにいちゃんは、まあ、どっちでもええけどな、と笑った。
なんだか、ウチのキモチを見透かされているようで、
ちょっぴり、悔しかった。
そして、しばらくの間沈黙が続く。
「そろそろ、新しいお布団買うか?」
おにいちゃんはおもむろに、そうつぶやく。
「え?」
「まあ、あいぼんも、いつまでも添い寝するわけにもいかんやろ」
そういって、笑うおにいちゃん。
すこし寂しげやったけど、ウチはなぜか、イヤやとはいえへんかった。
「う、うん……」
ウチは思わず頷いてしまった。