秋が深まり始め、六甲の山々が、また赤や黄色に色づき始めたころ、
ののの手術の日が決まった。
体調のほうは問題もなく、あとは手術さえ成功すれば、良くなるだろうとのことやった。
ウチは、女学校へ入るための勉強を本格的にやりながら、ののの見舞いも
できるだけいくようにしていた。
「あれ?ののは?」
ウチは病室にののの姿がないことに気が付く。
「あ、検査に行ってるの。ほら、手術もうすぐだし」
飯田さんが、少し忙しそうに点滴を持ちながら、振り返る。
「ふーん」
ウチは手にもった数冊の教科書を抱えるようにして、病棟の休憩所で、
少し勉強することにした。
あんまり頭の良くないウチにとっては、教科書ですらなかなか難しい。
うんうんと唸りながら考えていると、ふと、声がした。
「分からないの?」
ふと見上げると、そこには髪の毛の長いお医者さんが立っていた。
それは、この前おにいちゃんと一緒にいた先生やった。
ウチはその人の顔を見て、心臓がドクンと鳴ったのが分かった。
格好いい──
「あ、はい……」
ウチはなんか恥ずかしくて、思わずうつむく。
なんだか、耳まで赤くなっている気がする。
「どこ?教えてあげようか?」
「あ、いいです。いいです」
「そう?遠慮しなくていいよ」
そういってその人はにこりと微笑む。
その笑顔がまた、とても優しくて、どきどきした。
おにいちゃんが優しくしてくれたときとは違う胸の鼓動。
じっとりと手が汗ばんでくるのが分かる。
「ここかな?これはね……」
そういって、その人はウチが開いていたところを見て、
説明を始めてくれた。
それは、多分すごく丁寧なはずやったが、
ウチはその人の顔がとても近くて、緊張して何を説明してくれているのか
わからんかった。
ただ、コクコクとうなずきながら、その人の顔を見つめるだけやった。
「分かった?」
「は、はい」
そういってウチは分かってもいないのに返事をする。
「綾小路先生」
看護婦の飯田さんが慌てたように、その先生を呼ぶ。
「はい、今行きます」
その人は、ウチに、いつでも聞いていいからね、と言って、
頭をぽんぽんとなでた。その瞬間、ウチの心臓がのどから出そうなぐらい
はやく動いた。
ウチはお礼もいえないままに、その人をただ呆然と見送った。
心臓がいつまでたってもどきどきとして、
変な汗がとまらなかった。
「あいぼん!」
「うわっ!」
急に聞こえたののの声。ウチはまた心臓が飛び出るかと思った。
「ののか……。今日はなんだか寿命が縮まるわ……」
「どうしたのれすか?」
「ん?いやなんでもない」
「なんか、顔があかいれすよ。熱でもあるのれすか?」
「え?い、いや大丈夫や」
「それならいいんれすけど……」
ウチはふーっと大きなため息をつく。
綾小路先生って言ってたな。おにいちゃんの同僚やろうな。
でも、見かけん顔やった。いったいどういう人何やろう。
なんだか、その人が気になってしょうがなかった。