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9月になっても、まだまだ暑い日が続いていた。
おにいちゃんは、相変わらず全然家に帰ってこなくて、
おかあちゃんも、ウチも、戦争にいってるのと変わらんな、なんて、
言ったりしていた。でも、やっぱり男の人が家にいると、
安心で、おにいちゃんの稼ぎもあって、それなりに楽しく暮らすことができた。
ののの病状は大分良くなったみたいで、最近では病棟を歩けるようになっていた。
これなら、治るんやろな。おにいちゃんはやっぱり約束を守ってくれる
そんなことを思いながら、この日もののの見舞いにいった。
病棟にはいると、ののは休憩所の長いすで、なにやら飯田さんと話し込んでいた。
「……、怖いれす」
ののが小さく震えていた。飯田さんはののの肩をやさしく抱きしめながら、
「がんばらないと」
と答えていた。
ウチは、なにか良く分からないまま、二人のやり取りを遠くで聞いていた。
ののは、不安げな瞳で飯田さんを見上げると、
「どうしても、手術しなければいけないんれすか?」
と、尋ねた。
手術?なんのこと?
だって、もう歩けるようにもなって、お薬も効いているはずやんか。
ウチは、思わず大きな声をだした。
「手術するん?」
「あいぼん……」
ウチに気付いたののは、ちょっぴりばつの悪そうな顔をした。
「なんで?なんでなん?」
「それは……」
ののは、口篭もる。
それをみた飯田さんが、おにいさんに聞いてないの?と尋ねた。
「いや、全然ウチに帰ってこうへんし」
「そう……」
「なんで?なんで?」
ウチは飯田さんのそばに駆け寄って、彼女の肩をゆする。
「ののちゃんのね、肺の部分が悪くてね、そこを切り取らないと、なかなか良くならないの」
「え?」
ウチはののを見る。するとののは、悲しげな表情をして、首を縦に振った。
「ほんまなんか……。で、したら治るの?」
「上手くいけば」
飯田さんは真剣な表情でそう答える。
「上手くいかんかったら?」
ウチはそう尋ねたが、飯田さんはそれ以上なにも答えんかった。
そして、ののの体は小さく震えつづけていた。
「そうか……」
ウチはその姿を見て、それ以上なにも聞けなかった。
しばらくして、ののは大きく息を吐くと、
「手術、おねがいします」
と、飯田さんに向かってはっきりと言った。
すでに、ののの震えはとまっていた。
「どうしたの?急に?」
飯田さんがそう尋ねると、ののは、あの、おにいちゃんにいつも見せる表情をして、
「手術しないと、なおらないんれす。ののは、なおりたいんれす」
そうつぶやいた。
「でも、手術したらもしかするかもしれへんのやろ?」
ウチは不安やった。お薬で粘れるのやったら、そのほうがいいのかもしれん。
そう思っていた。
「早くなおりたい。元気になって、先生に……」
と、ののはいったところで、はっとした表情でウチをみた。
「なんでもないれす」
そういって恥ずかしそうな顔をするのの。
その雰囲気がなんかいじらしくて、昔感じていた軽い嫉妬はどこかへ飛んでいっていた。
「わかってるよ」
ウチはそういって笑う。
「え?」
急に真っ白だったののの頬が赤く染まる。
「な、なにがれすか?」
「ウチのおにいちゃんのこと、好きなんやろ?」
「え?いや、そ、そんなこと……」
ののは慌てて、飯田さんの顔をみる。
すると飯田さんは、もう言っちゃえば、と言った。
それを聞いて、ののは、
「うん……」
と、うつむいた。
それを聞いて、飯田さんの言っていた、ののの生きて理由が
完全に分かった。
ののの生きていたい理由って、おにいちゃんやったんやな。
そして、おにいちゃんと一緒にいたい理由だけで、
意識が回復したり、手術を決意したりできるんやな。
なんか、それがとてもすごく思えたのと、
逆にそんなことで、人って変われるんや、
ということが同時に思い浮かんで、なんか笑えてきた。
「お、おかしいれすか?」
「いや、ごめん、ごめん」
「ののの立場はわかってるれすよ」
「そんなん、気にせんでええって。しかし、ののも単純やな」
「え?なにがれすか?」
ののは、不思議そうにウチと飯田さんをみる。
すると、飯田さんは、ウチにむかって、
「でも、人ってそんなものなんだよね」
と、微笑んだ。