次の日、起きてみると机の上に3通の手紙が置いてあった。一つはののへ。
もう一つはのののおばちゃんへ。最後のはウチへの手紙やった。
ウチは自分宛ての手紙を読む。そこには、今日お昼にののの家へ車を用意したとのことやった。そしてそのまま神戸のおにいちゃんの病院へ連れてくるようにとかかれていた。
おにいちゃんは、ののを本気で治療する気やった。
それほどまで、病状は深刻やった。
ウチはおかあちゃんに、おにいちゃんはなんか言ってたのか尋ねた。
おかあちゃんは、あんたの唯一の親友のために、なんとかせないかんと、
真剣に考え込んでたよ、と言った。おかあちゃんも、
おにいちゃんの言うとおり、ののを助けてあげたいとのことやった。
それは、結核で夫を亡くした身であるからこそ、そう思えるものやった。
ウチは手紙を懐に入れ、家をでる。
のの、まっときや。
ウチのおにいちゃんが、きっと助けてくれる。
のののおにいちゃんも、きっと天からみまもってくれる。
死んだらあかん。あきらめたらあかん。
2通の手紙をぎゅっとにぎりしめながら、抜けるような冬の青空にそびえたつ、
白く染まった山を正面に見据えて、六甲の坂を駆け上がった
ののの家につく。ウチはおばちゃんに手紙を渡す。
おばちゃんはそれを見ると、驚いた顔をして、そこまでしてもらう
理由がないと言った。ウチは、これはおにいちゃんが考えたことやから、
お金の件は心配しないでください、というと、おばちゃんは少しホッとした表情で、
まあ、そこまでいうなら、ご好意に甘えましょうか、と言った。
ウチは、そんなおばちゃんの薄情な姿に少し腹が立ったが、
戦後の不景気でお金がないのはどこでも同じ、ましては親戚の子供の病気まで、
気がまわらんのはあたりまえやと、自分に言い聞かせ、
おばちゃんに、ありがとう、と言った。
そして、そのままののの部屋に入る。
ののは、連日ウチが来たことに少し驚いていた。
ウチはおにいちゃんからの手紙をののに渡す。
ののは小さな咳をしながら、それを読むと暫くそれを見つめていた。
ウチは後ろからその手紙の内容を覗く。
そこには、入院しなければならないこと、治療費はこちらで負担すること。
そして、これは、のののおにいちゃんからの上官命令であるから、
気にしなくていいと書いてあった。
ぽろり、とののの大きな瞳から雫が落ちる。
「あいぼん……、なんでここまでしてくれるのれすか?」
ののは濡れた瞳でウチを見た。
「ウチはなんもでけへん。だからおにいちゃんに頼んだんや。
ウチ、ののがいなくなるのは嫌やねん……。だから、だから……」
「でも、お金も沢山かかるし、あいぼんのおにいちゃんにも迷惑れすよ……」
ののは、そう言って申し訳なさそうな顔をする。
「のの……、それは気にせんでええねん。それにきっとな、これはのののおにいちゃんが
そうせえ、と言ってるねんで。それがおにいちゃんにはわかってるねん」
ウチはそう答えた。
そう、ウチのおにいちゃんは、のののおにいちゃんに命を助けてもらったも同然やった。あのまま戦地へ入っていけば、間違いなくおにいちゃんは死んでいた。
指揮官としての命令が、おにいちゃんを救ったんや。
そして、のののおにいちゃんは、ウチのおにいちゃんに、妹をよろしくと言って、
南洋の島に散って行った。その絆は、きっとウチらにはわからんぐらいなんやろう。
ウチのためだけやない。のののおにいちゃんのためにも、ウチのおにいちゃんは、
ののの治療をしなければならないんや。
「おにいちゃん……」
ののは、染みのある部屋の天井を見上げる。
それは、どちらのおにいちゃんに向かって言ったのか、ウチにはわからんかった。
大きな咳をののはする。また手ぬぐいに赤い染みがつく。
ウチは、ののの背中をさすると、もうすぐ車がくるから、治してもらおうな、
と、言った。
ののは、濡れたままの瞳でウチを見つめると、有難うと小さく呟いて、頷いた。
入院の支度をおばちゃんがしてくれる。
少し嬉しげな表情やった。
病人がこの家からいなくなること、それは彼女にとっても良いことなのやろう。
その対応にまた少し怒りが込み上げた。
せやけどののは、申し訳なさそうに小さな咳をしながら、おばちゃんにお礼を言っていた。
それが、ののの肩身の狭さを感じて、なんか切なかった。
車がやってくる。初老の運転手がののを担いで運んでくれる。
ウチは荷物をもって、おばちゃんに挨拶をすると、ののと一緒に
後ろの座席に乗り込んだ。
「自動車なんて、久しぶりやな」
ウチはののにそう笑いかける。
ののは、緊張したようすで、初めてれすよ、と答えた。
車はゆっくりと神戸の山手の道を西へ向かって走り出す。
窓の景色が流れてゆく。右手には白く染まった六甲の山々が見える。
そして、暫く走ると、左手の視界が一気に開けた。
まぶしい光がウチら二人の瞼を閉じさせる。
「あいぼん……、海れすね……」
ウチはゆっくりと目を開く。
眼下には神戸の街並みと、その先に見える青い海。
ののがこれを見るのは、死んだおにいちゃんの砂を撒いたとき以来やった。
「綺麗やな」
「そうれすね……」
ののはそう言うと、きゅっと赤い髪飾りを握り締める。
ウチもののと色違いの青い髪飾りを髪からはずし、きゅっと握った。
「もう一度、この海がみれるんれすかね……」
ののは切ない声でそう呟いた。
ウチはののの手を握り、
「みれる。みせたる」
と答えた。
ののは、返事をせえへんかった。
せやけど、ウチには根拠のない自信があった。
それは海の輝きのせいやった。
それはまるで南洋に散ったのののおにいちゃんが、治してこいと、
ののに笑いかけているように感じたからやった。
車はゆっくりと、病院へ向かって走る。
神戸の青い海は、日の光をあびて、ずっと白くきらきらと輝いていた。