ち よ こ っ と L O V E

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 校長室の扉の前に立つと彼女は一度深呼吸した。つい
数日前のテストで学校に残れることが決まったばかりだ
から退学ということはないと思うものの、形式ばったこと
の苦手な彼女である。そうした場所にいるだけでも息が
詰まる。深呼吸の後、扉の仰々しいレリーフを見て彼女
は小さな拳を握りしめた。
 眉根を寄せた彼女のその横顔は鼻筋が通っていて美
しい。やや眠たげなまぶたの下に濁りのない目が穏や
かな光をたたえている。上唇は心持ち前に出ていて、目
や鼻、輪郭によって整った顔に愛嬌を添えていた。彼女
のおてんばな性格と比べると、驚くほどの美貌だった。
しかし、彼女を知る者はそうした彼女の美貌に見向きも
しなかった。それはおてんばにすぎるということもあった
が、笑った際に唇から覗く派手な八重歯のせいであるか
もしれなかった。笑顔には、それまでのすましたような美
しさが跡形もなく消えて、まるっきり子供の愛らしい表情
しか見られなかった。
85:02/07/05 00:04 ID:GhrOBnbm
「失礼します」
 意を決して、彼女は扉をノックした。
「入りなさい」
 扉が開き、彼女のクラスの担任のミッダが顔を見せ
た。
「ノゾミさん、いつもぎりぎりで来るのやめなさいって
言ってるでしょう!」
 彼女は声を低めて言った。
「先生はもう行くけど、失礼のないようにね」
 ノゾミは彼女の言葉の意味がわかりかねたが、彼女
はノゾミの肩を軽く叩くと、そそくさと校長室から出てい
った。
「失礼します」
 ノゾミは覗き込むように首を伸ばしてから校長室に入
った。校長室に入るのは二度目であった。しかし、一度
目は入学の際に親が連れてきたときであるから記憶に
残っておらず、彼女にははじめてであるのと変わらなか
った。
 校長室は廊下の窓に比べるとはるかに小さな窓が一
つあるばかりで薄暗かった。燭台が校長のいる机の上
と、その背後の隅、その対角の隅とに三本あって、わ
ずかに部屋を明るくしている。彩光を無視した部屋の様
子にまずノゾミは驚かされたが、蝋燭の図柄が赤色の
地の中央に小さく描かれた校旗と、二本の羊の角が裏表
にして重ねられた図柄が黄色の地に描かれたイルドハ
の王室の旗が飾られているだけで、ほかにいかなる装
飾もないというところにまた驚かされることとなった。
86:02/07/05 23:14 ID:Ge00pEiP
 彼女は身をこわばらせ、部屋の中央に置かれた二脚の椅子の
うちの一脚が空いているのを見ながら、もじもじしていた。
「どうしたんだい、そこに座りなさい」
 校長が口を開いた。しゃがれているが、重い声だった。
「はい」
 ノゾミは右の肩を跳ね上がらせて我に帰った。二脚の椅子の一
方にはカライが座っていた。彼はノゾミが部屋に入ってきても、
振り返らずにじっと前を見ていた。ノゾミはちらりとカライを見てか
ら、憤然として椅子に座り正面の校長を見た。
 そこで、彼女は部屋にもう二人の人間がいることに気づいた。校
長のすぐ横に副校長のシラ、そして校長の左側の、少し離れた場
所に見知らぬ男が立っていた。
 男は年が四十から五十に見え、目元から放射状にしわが刻まれ
ており、その違和感たるやノゾミが何かの模様ではないかと思い目
を凝らしたほどである。口がきれいなへの字であるのに対して、目
尻に笑いじわがあるのが不気味に感じられる。その男の存在で、
校長室がいっそう息苦しくなるようだった。