【T・E・N】 第10話 加護
加護は最初、何が起こったのかよく分からなかった。
暗い武道館が一瞬明るくなったかと思うと、階段を降りる途中だったはずの
自分がいつのまにかステージ脇で倒れ込んでいる。轟音と火薬の臭い。
(いけない、歌の途中だ。歌わなくちゃ)
加護はとにかく転んで恥ずかしい、立ち上がろう、と思った。
でも立ち上がれない。
上半身を起こそうとすると背中に激痛が走り、床に這いつくばる。立ち上が
るといった以前に、腰から下にまったく感覚がない。
そして歌おうにもそこに音楽は流れていなかった。
スピーカーから流れるのは、耳をつんざくようなキ―――――ン、といった
ハウリング音。
その音に混じり観客席から聞こえてくる「逃げろ」「どけ」「殺すぞ」「痛
てぇ」などといった汚い罵声や絶叫。
そこでようやく、なにかとんでもないことが起っていることを知った。
コンサートとか、解散とか、ラストソングとかは全く別の次元の何かが。
白煙が薄くなってきて、ようやく少しづつではあるが視界がひらけてきた。
ステージの階段を含む中央部分は、すでに黒こげで粉々になっていた。炎が
あちこちで立ち昇っている。
その中に血まみれで倒れている―――自分たちと同じコスチュームを身にま
とっている―――少女を見つけた。
顔は向こう側を向いていて見えないが、髪型やアクセサリー等からあのメン
バーだとわかる。
そして奇妙なことに彼女の背中だと思っていた部分に、二つの丸いふくらみ
があるのを確認した。
(背中なのに、胸がある・・・?)
つまり首とは逆に身体はこちらを向いているのだ。
ハッとそれが何を意味するのか理解し、加護は目を背けた。
客席に目を向けると、ついさきほどまで一体となって熱狂していた観衆の姿
はなく、横の非常口や奧の出口に逃げまどう人々が集中して押し問答になって
いるようだ。
何人かのファンが殴り合ったり、集団となってあちこちで怒号が響いている。
「いやああああああああああ!!!!」
観衆がひと塊になっている別の場所から、誰かは分からないがメンバーの壮
絶な悲鳴が聞こえた。
その集団の中で何が行われているのか・・・想像したくはなかった。
ステージの下ではそれとは別の男たちの群れが、狼のような目をこちらに向
けている。
その目は完全に理性を失っていた。
さきほどの絶叫。
そして狂気の目が自分にも向けられているのを知って、加護は背筋が凍った。
(なんとかしなきゃ)
だが蛇に睨まれたカエルのように一歩もその場から動けない。頭の中が真っ
白になる。
その時だった。
加護を支えている足場が崩れて、舞台セットの下へと転げ落ちた。
さらにその周辺が炎と煙に包まれる。
こんな時に運良くというのも変だが、それによって狼の群れは加護を見失っ
たようだった。
ステージを支える鉄骨やベニヤ板などの基材が散乱する中で、加護は5メー
トル程先に、自分と同じ衣装を着て倒れ込んでいるもう一人の仲間を見つけた。
「のの・・・?」
辻希美が、そこにいた。
【10-加護】END
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