【T・E・N】 第68話 安倍
カーテンはすべて閉めきってあるし、室内灯の類も一切点いていない。夕暮
れどきということもあり、薄暗いを通り越してこの山奥では真っ暗闇といって
いい部屋。
明かりをつけていないのは、そこが本来誰もいないはずの部屋だからだ。
唯一の光源であるパソコンのディスプレイは、部屋の隅にあり左右を壁一面
のディスクラックに挟まれているため、カーテン越しに光が外に漏れるという
ことはまずないだろう。
この部屋だけホテルだった頃の面影を残している他の客室とは違い、新品同
様の明るめのチークのフローリングや、うすピンクの壁紙等にこの部屋の主で
ある者の今風のセンスがうかがえる。パイプベッド、ガラステーブル、フェン
ダーテレキャスター、背の高い観葉植物―――。この部屋だけ見れば都心の高
級マンションの一室。
だがこの暗い部屋で一人、パソコンチェアに腰掛けディスプレイに向き合っ
ているのは、その部屋の主―――つんく♂―――ではない。
その女は、パソコンに映し出されている文字列をじっくりと凝視する。
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愛という字を辞書で引いたぞ
ねぇ笑って
叱られたってかまわない 体重計乗って
もっと下さい愛を下さい 「じゃない!」
ホイッ!
本当の気持ちはきっと伝わるはず でも笑顔は大切にしたい
どんなに不景気だって 「ほんまかいな〜」
涙止まらないかも
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モーニング娘。や、そのユニットの歌詞の一部を羅列しただけの、テキスト
ファイル。
そのファイルの名前は「20030709」。女はひと目で、その文字列が
「暗号」だと確信した。
自分が求めている、例の「あれ」のありかを示す・・・。
(もちろん私も、モーニング娘。メンバーだった。
この中には私のパートもある。だからこそわかる。
これはもしかして・・・)
それぞれの歌声を思い出す。
汗だくに歌っている時のメンバーの顔が、次々と頭の中に浮かんでは消える。
後藤・市井・保田・飯田・安倍・辻―――。
「!」
「あ・・・いっ・・・!」
その女が「暗号」をついに解読してその内容に愕然とするのと、背後に人の
気配を感じたのがほぼ同時だった。
振り向くと、安倍が口を半開きにしてドアの隙間から立ち尽くしているのが
薄暗いながらも確認できた。そして彼女は自分の名前を呼ぼうとしている。
(シーッ!!)
女は慌てて、口の前に人差し指を立てて「静かにして」と伝える。
お互い驚くのも無理はない。なにせ誰もいないはず、誰も来ないはずの部屋
に他のメンバーの姿を見つけたのだから。
このドア、廊下を隔てた向こう側の居間ではメンバーが何も知らないでくつ
ろいでいるはず。ちょっと大声を出してしまっただけで、声が漏れてしまう恐
れもある。
それはこの女の立てている計画が破綻することを意味する。
安倍は胸に手をあててゆっくり深呼吸をしてから、暗い部屋に入ってきた。
(さすがに女優になって落ちついてきたのかな)
以前の安倍なら「ナニやってんのぉ〜! こんな暗いところでコソコソとぉ
〜!!」と大声を張り上げてドカドカと大股で近づいてきたかもしれないが。
釘を刺す意味も込めて、ディスプレイに急いで文字を打ち込む。もちろん例
の「暗号」の書いてあるテキストファイルは速攻で閉じた。
安倍は女の隣りにまで、ゆっくりと近寄る。
“静かにして”
それを見て、安倍はゆっくりうなずいた。
なぜ鍵がないと入れないこの西棟1階に安倍が入ってこれたのか。
(もしかして、私と同じ方法で・・・?)
安倍はパソコンデスクに半分だけ腰掛けるような形で向き合う。
“どうやってこの部屋に入ってきたの”
画面上に新たに打ち込んだその質問に、小声で安倍は返答する。
「・・・私この屋敷に来たの、実は初めてじゃないんだ。裏口の合い鍵の隠し
場所も、実は・・・知ってるの」
(・・・!!)
「ねぇ、あなただから先に相談するよ・・・。
実は私、あることをメンバーみんなに告白するつもりで今日ココに来たんだ」
安倍がこの状況で・・・割と落ちついて話しかけてきているのが気になる。
もし逆の立場だったら、メンバーに隠れてこんな暗い部屋で何を企んでいるだ
この女は(実際その女は企んでいるわけだが)と、疑いの目を向けるのが普通
だろうに。
「ねぇ、聞いてくれる?」
沈痛な面持ちで語りかけてくる安倍。その表情から、今から話そうとする内
容が軽い相談レベルではないことがヒシヒシと伝わってくる。
(なぜ私に・・・? よっぽど思い詰めているの・・・?)
その女にとって、この一瞬でいろんなことが起こりすぎた。暗号を発見し、
それを解読してまた新たな謎にぶつかった。そして、誰も入ってこないはずの
つんく♂の部屋に安倍が突然姿をあらわし、相談を持ちかけてきた。安倍はこ
の部屋に何の用事があったのだろう? それも知りたい。しかし、あと30〜
40分もすればもう夕食が始まってしまうだろう。悠長なことは言っていられ
ない。ここに長居すればするほど、計画の破綻するリスクを背負うことになる。
しかし安倍の真剣な眼差しから、今から彼女が話そうとすることがこの同窓
会に大きな意味をもたらすことになるかもしれないと、女は敏感に感じとった。
その好奇心がリスクにまさった。
“どんな話?”
「あのね、もう思い出したくもないけど・・・あの5年前の武道館、解散コン
サートの時の話」
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