【T・E・N】 第66話 吉澤と石川
薄暗い地下のワイン庫。
裏口から入って左に行くと厨房、右へ行き階段を降りるとこのワイン庫だ。
当然一年中一定に温度・室温が保たれている。壁一面に並ぶワインの棚、その
ワインをケース単位で地下から1階、2階へ運ぶことが出来る小型エレベータ
ー。長期的に肉や魚を保管できる冷凍室などがある。
石川と吉澤は今、二人きりで裸電球に照らされたこの部屋にいる。
吉澤はすっかりそのワインの数に圧倒されて、そこらじゅうを丹念に調べ回っ
ている。逆に石川はこの部屋にほとんど足を踏み入れたことはない。冷蔵庫は
厨房にある一般家庭用のもので十分足りているし、加護も石川もお酒にはほと
んど興味がないのであった。
「梨華ちゃん、ほんとにつんくさんここのワイン好きなの飲んでいいって?」
「うん」
「・・・ウソだって。多分。このガラス張りになってるワインあるじゃん」
「えーっと、ロ・ロマニー・・・何て書いてあるの?コレ」
「ロマネ・コンティ。幻の赤ワインって言って40万ぐらいするよ」
「よんぢゅ・・・!」
「よし、今夜これにしよう」
「や、やめよーよ、よっすぃー・・・そんな・・・」
「ハハハ、冗談だヨ。サスガに」
つんくさんは私を試しているのかも、と吉澤は思った。
夜の世界にもレヴェルがあって、ホンモノの客を相手にする場合にはごまか
しなど通用しない。吉澤は必死に自分の店レヴェルを上げるために勉強した。
その成果が今こうして役に立っているわけだが、もし知識が無ければ、何の気
兼ねもなくこの超高級ワインを口にしていたかもしれないのだ。
「おお〜いいねぇ。ジュヴレ・シャンベルタン。コレにしよっ」
「スゴイスゴ〜イ! なんでそんなにお酒に詳しいの、よっすぃ〜!!」
「え・・・何故って・・・水商売もー長いし・・・」
「?〜」
石川は悲しそうな顔で首をかしげる。
吉澤は事情を話した。自分の経営しているバーが普通のバーではないこと、
そこで得たもの、失ったもの、そして今はその生き方をまったく後悔していな
いこと・・・。
何故か吉澤が「ウチの店は男子禁制だから、女のお客さんしかいない」と言っ
た部分で、石川はホッとしたような表情を見せる。
「あッ、でも今日のディナーはニク? 魚?」
「サーモンです」
「じゃあ白のほうがいいかなぁ」
そして再びズラっと並んだ棚の中から、自分の知っているワインを探す吉澤。
しびれを切らして石川が後ろの回した手をモジモジさせながら言う。
「ねぇ・・・用事って何なの?」
「うーん・・・さっきまでオレ裏庭にいたんだけどね・・・」
「裏庭って・・・噴水のある?」
「うん・・・梨華ちゃんが、ののを見たっていうトコロ」
「はぁ・・・」
吉澤はそう言いながらも、目線はワインのラベルをなぞっている。
「いた? ののが」
「ううん、いなかった」
「ねぇ、ウチら見たの本当にののだったのかなぁ・・・」
「わかんね。それに5年前にこの屋敷で起こったことも気になるし・・・」
小川や新垣が遭遇したという「幽霊」の話と、コミュニケーションノートの
中で後藤が書いていた「あんなことがあったのでブルー」な話は多分同じなん
だろう。この屋敷でかつで何か普通じゃないことが起こったことは間違いない
のだが・・・。それが、どう繋がっているか分からない。
「ジャブリでいいっかぁ」
どうやら吉澤は辻のことより、いつの間にか並べられたワインに関心が移行
しつつあるようだ。
「もう、よっすぃーったら・・・」
「あと、梨華ちゃん」
「え? 何」
「ますます可愛くなったよなぁ」
ワインを片手で掲げて石川の方へ振り向き、クールな笑みを浮かべる吉澤。
石川は耳まで真っ赤になった。
【66-吉澤と石川】END
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