【T・E・N】 第65話 石川と高橋
「でぇ、サラダ出来たでしょ、スープもほとんど完成でしょ」
「オムライスもあとはタマゴかけるだけですぅ」
「ジュースもこれだけあれば足りるでしょ」
「保田さんはワインがいいって言ってました」
「それも今用意する。つんく♂さんが、地下にあるの自由に飲んでいいって」
「おッ。サスガに太っ腹〜♪」
「グラタンもオッケー。でも予定よりは少し遅れそうかな。
今5時40分ぐらい?」
この食堂には時計がないため、正確な時間を把握できないでいる石川。高橋
は自分のポケットに仕舞ってある携帯電話を取り出し時間を確認すると「圏外」
の文字の隣りに「5:39」と表示されている。
電波の届かない地域であるこの屋敷では、携帯電話もただの時計の役割しか
果たさない。
「うん・・・あと20分で全部はムズカシイかもです。食堂にはもうサラダと
かは運んであるんやけど、他何かないっすか」
「うーん、他はもうアツアツ系と冷たい系ばっかりだしねぇ・・・
食堂のほうはお皿とか、カトラリー大丈夫なの?」
「カトラリー?」
「ナイフとかフォークとかスプーンとか。人数分足りている?」
「多分・・・確認してきましょうか?」
「あっ、私見てくる! 愛ちゃんはそのままスープかき混ぜといて」
「ハイっ」
石川はピラフの型押しがちょうど人数分終了し(その上から半熟のタマゴを
かける予定)、手の放せない―――とはいっても楽な高橋の仕事をそのまま続
けさせて、自分は食堂へと向かった。
高橋は、本人がその気さえあればレストランのシェフだって可能なんじゃな
いか、と石川を手伝っていて思った。味見した限りでは、その出来はちょっと
信じられなかったが高級店並のレベルだし、段取りも非常に練られていて無駄
がない。
この食堂で断片的に聞いた、石川の事件後の5年間を本人は一言でこう表現
していた。
「ほとんど引きこもりみたいな生活だったよ」
自虐的に言い放った石川だったが、週3回の料理教室と家庭の食卓の準備の
ために買い物に出掛けたりすることはあるという。
(石川さん、それって全然引きこもりじゃありませんよ・・・)
高橋も―――あの武道館での集団レイプ事件によって、石川が男性恐怖症に
なったのは人づてに聞いて知っていた。もちろん表だってそのことは触れない
が、本人曰く“テレビも見ない、ネットや携帯もしない”と言っていたので、
相当重度なのではないかと感じた。男性を見たり、話したりするのも避ける程
の。
そう考えると、昼間近所の料理教室やスーパーに買い物に行くのも、ほとん
ど男性と関わる機会はないので案外石川が極度の男性恐怖症であるというのも、
噂によって大袈裟になったとは思えなくなってくるから不思議だ。この女だけ
の屋敷で石川がやけにイキイキ輝いているのもそのためなのだろうか、と高橋
は妄想を膨らませる。
そして石川は吉澤との5年振りの再会の様子を、さらに興奮ぎみにこう語っ
た。
「だからビックリしたよぉ! よっすぃーいつの間にか男の子になっちゃって
いるんだモン!」
「あはは、石川さんはあまりテレビ観ていないっていうから知らんかもしれま
せんけど、たまにあのカッコで出演していますよ。サマになってますよねぇ」
「ホント・・・ホントに素敵です・・・。よっすぃーは素敵です・・・」
その時、石川は遥か彼方を見つめてキラキラとした瞳で恍惚の表情を浮かべ
ていた。まさに“チャーミー石川”の真骨頂、あの微笑みだ。
「ひやああぁあ!!!」
高橋はそんな先ほどまでの厨房の会話をホノボノと反芻していると、突然食
堂から石川の絶叫が耳を突き抜ける。
スープをかき混ぜていた高橋は、一旦火を止めて声のしたほうへ駆けつける。
開けっ放しにされた、食堂と厨房を結ぶ扉にもたれ掛かっている石川が青ざめ
た顔で小刻みに震えている。
「ど・・・どーしたんですかっ!? 石川さん!」
「あっ・・・あれ! あれっ!!」
高橋は石川が指さしている、食堂の床に視線を移す。
綺麗に磨かれ黒光りしている大理石の床の上に、無惨に潰された虫の死骸。
「ぅわっ!」
高橋も思わず叫びながら目を逸らす。
「愛ちゃん! お願い・・・片づけてよぉ・・・」
「い、嫌ですよ私もぉ!」
茶色い羽がまくり上がり、身体から黄色い体液がにじみ出ている何かの昆虫
の死骸。原形を留めていないが、高橋にとってはそれがゴキブリに見えた。
「でもぉ〜、今からこの食堂使うんだよぉ! 晩餐会がぁ!」
ひたすらうろたえる石川。
しかし高橋にしても田舎育ちとはいえ、こういったグロデスクなものは苦手
だ。二人で手を繋ぎあって、オロオロするばかりで打開策がまったく見あたら
ない。
(ああ、こんな時に男の子がおればなぁ・・・)
「梨華ちゃん、いるかぁ〜?」
裏口から聞こえてきた脳天気な声。石川がいまだ困惑の表情のまま扉から顔
だけ出して目をやると、そこに吉澤が不思議そうに無人の厨房を見渡していた。
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