【T・E・N】 第61話 保田
保田がこの5年間で身につけたものは多い。
英語や音楽的知識。
そして以前の自分では考えられなかったが、趣味として始めたバイク。高橋
にメールで「今、バイクに乗っているの」と書いたら「え〜なんか想像できな
いっす〜」と返ってきた。どちらかというとインドア的な趣味の多かった保田
にとって、バイクやツーリングといった保田のアクティブな活動は高橋にとっ
て想像の範囲外にあるようだった。
バイクが好きになった理由は、いくつかある。
顔の傷の治療を続けていた保田にとって、公共の交通機関を利用するという
ことはよっぽどのことがない限りなく、自分専用の足となるものを必要として
いた。フルフェイスのヘルメットを被れば(時には包帯が巻かれた)顔が見え
なくなるので、保田はよく好んでバイクに乗るようになった。
事故を心配する担当医師にはあまりいい顔をされなかったが、特に日本とア
メリカを頻繁に行き来するようになったここ2〜3年の間に両国に自分専用の
バイクを1台づつ所有する程にまでなった。
そして顔を隠す、足になるといった理由以前に―――バイクでアメリカのハ
イウェイを思いきり走ることの壮快感は何者にも代え難かった。
今、保田がまたがっているのはSUZUKIバンディット250。
小回りの利く黒とオレンジのツートンカラーの単車は、日本での保田の足と
して大活躍している。
当然今日もそれに乗って同窓会に向かっているが、慣れない山道に保田は苦
戦していた。屋敷へ向かう最後の数キロは、道路も舗装されていない、ガード
レールも街灯も当然ないと聞いている。
(暗くなる前に、着かなきゃ・・・)
すでに陽は落ちかけており、薄暗い閑静な森にバイクの排気音が響きわたっ
ている。
この同窓会が開かれることを知った時、保田は参加する、しない以上に悩ん
だことがあった。
アメリカで起きたこと。たぶん他のメンバーのもっている以上の情報を、自
分は知っている。そして5年前の武道館の事件以降、保田が受け取った唯一の
後藤の想い。
それを今日集まる仲間たちに、果たして伝えるべきか否か。
世間を震撼させた爆破事件から丁度3年が経過した初秋のある日。
つまり現在から2年前ということになる。
再びモーニング娘。メンバーに、大きな悲劇が訪れた。
その頃になると保田は3ヶ月のうちの1ヶ月ほどは帰国して、昔世話になっ
た和田マネージャーと復帰に向けての打ち合わせと下準備に追われていた。
だがその日はたまたまアメリカの、もう何度目になるか分からない皮膚移植
手術のために保田が常駐していた治療施設にいた。
ここに来て最初の頃は、言葉が通じないことや、果たして治療が上手くいく
のかといった将来への不安で、胸が張り裂けそうになっていたものだ。だが、
手術がくり返されるごとに目に見えて成果があらわれてくるようになるとその
不安は徐々に解消されていった。精神的にかなりタフになったな、と保田自身
でも思う。
その証拠に手術を前日に控え、保田は施設の仲間たちとささやかなパーティ
を開くための準備に追われていた。以前では考えられないことだ。パーティの
主役はもちろん保田。会場の看板には「Beauty KEMEKO」の文字
が踊る。
すでに夕日がオレゴンの西の空に黄金色に輝いている、その時だった。
サンフランシスコ市警の者と名乗る男から、保田宛に一本の電話がかかって
きた。
「ケイ・ヤスダさんですか」
「ええ、そうですが」
「あのー、マキ・ゴトウさんはご存じですよね」
「!! ・・・・」
「? あのー」
「・・・ええ、友達です。彼女がなにか」
受話器の向こう側からは、聞き慣れない男の声で淡々と用件を話された。
だがその内容は保田にとって、にわかに信じがたいものだった。あまりにも
唐突すぎるその報告に、頭の中は真っ白になる。
「なぜ・・・?」
その声を振り絞るのがやっとだった。
どうして私に電話をかけてきたのですか、という意味を込めて尋ねると警官
は不思議そうな声で答える。
後藤が所有していたアドレスブックに載っていたアメリカ在住の日本人の名
前で、一番距離的に近そうなのが保田だったので、連絡してきたのだという。
赤い丸で名前の部分が囲ってあったので、親戚か友人かと思った、と説明する。
確かに親しかったが―――モーニング娘。のメンバーだった頃は―――爆破
事件によって後藤が記憶を失ってからは、一切連絡を取り合ったことはない。
そもそも保田が事件以降どういった状況に置かれているのか、後藤が知って
いるかさえ不明だった。
唯一接触したのが、1年半ほど前。それも保田が後藤に対して一方的に。い
や、あれは接触とは言うべきではないかもしれない。サンフランシスコに思い
つきで向かった保田が、バスの中で遭遇した幸せそうに男に寄り添う後藤を見
て、何もせずに帰ってきただけなのだから。
そうだ。
あの時バスの中で幸せそうにしていた二人は、何だったのか。
人違いだ。後藤でないことを確認しにいくんだ。
そう思った保田は急いでそこへ向かうと男に伝え、連絡先をきいて電話を切っ
た。すでに受話器を持つ手の震えが、膝にまで伝搬していた。
後藤の所属事務所や肉親にもその旨の連絡を入れたらしいが、一番早く確認
できそうなのは保田のようだ。ポートランドからサンフランシスコ。飛行機で
行けば2〜3時間。
施設の仲間に事情を話し、パーティを急遽欠席した。そして夜間便のチャー
ター機を予約し、空港へ向かう保田。
飛行機の中で何を考えていたのか、保田は思い出せない。
何も考えていなかったのかもしれない。何も考えられない精神状態だったの
かもしれない。
頭の中で繰り返し響きわたるのは、先ほどの電話の中での警官の声。その度
に保田は両手で頭を押さえつけ、大きく左右に振ってかき消そうとする。
「マキ・ゴトウさんがアパートで自殺した。
都合さえよければ、遺体の確認をお願いしたい」
【61-保田】END
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