【T・E・N】 第5話 吉澤
吉澤はあらためて、屋敷の中を見渡した。
重厚という言葉がふさわしい玄関の扉を開くと、目の前に広がるきらびやか
なシャンデリアがぶら下がっているエントランスホールに度肝を抜かれる。2
階の廊下が見える吹き抜けで、ホール右手奧のらせん階段から上に登ることが
できるようだ。
一週間前にここからの電話で、石川は「すっごい大豪邸でね、もう、すっご
い広くてね、もう」とかなり興奮ぎみで要領を得ない話をしていたのを思い出
したが、たしかにそれも無理ない。
しかし豪邸というよりもこの赤レンガに包まれた洋館は内装も含め、数年前
流行った、とあるホラーアドベンチャーもののビデオゲームの舞台に雰囲気が
似ていて、吉澤は正直なところあまり住んでみたいとは思えなかった。
(つんく♂さんも、よくこんな屋敷買ったよなぁ・・・)
この屋敷は、モーニング娘。の総合プロデューサーであるつんく♂が、解散
直前にタダ同然(というのはオーバーだが)の破格値で知り合いの不動産業者
から購入したものだった。つんく♂は地下室をスタジオに改造し、山奥の閑静
な洋館を創作活動の拠点とする予定だったという。
もともとこの建物は、リゾートホテルとペンションの中間あたりを狙って建
築されたものだ。しかしバブルが崩壊し近くのゴルフ場が閉鎖されたり、山道
が土砂で流されて観光地から遠くなってしまったりといった不運が続き、地理
的には完全に陸の孤島と化した。つまりこの洋館は、商業的には全く成立しな
くなっていたのだった。
しばらく廃墟になっていたが、つんく♂がこの屋敷を購入してからは月に1
週間程度はお手伝いさんを伴って滞在している。
客室が充実しているので、多い時には10人程のバンド仲間や友人が常駐し
ていた、という話を吉澤も聞いたことがある。モーニング娘。のメンバーも解
散直後に、ここでメンバーやごく内輪のスタッフを招いてパーティを開くこと
になっていた。しかし、例の大惨事によってその話はうやむやになっていたの
で、吉澤自身ここに招かれるのは今回が初めてである。
また、つんく♂自身あの爆破事件以降、精神的ショックにより徐々に創作意
欲を失っていき、皮肉にも購入と同時に改造した地下スタジオはその後使われ
ることはほとんど無かったという。一時は30以上のユニットをプロデュース
したつんく♂も音楽界から徐々に身を引いてゆき、その凋落ぶりは週刊誌など
でも嘲笑の的になっていた。
そんな折、つんく♂もこの娘。同窓会の計画を知り積極的に協力を申し出た。
丁度、今から1週間前につんく♂が海外へレコーディングの研修に出掛ける
ということになっていた。
その直前にみんなで集まらないかという話になったが、結局他のメンバーの
スケジュールの都合もあり(またあくまでも飯田がメンバーだけの開催にこだ
わっていたというのもある)、石川と加護が、つんく♂と入れ替わりに住み込
んで、彼が出発した1週間後に1泊2日のモーニング娘。だけの同窓会を開く
という形をとった。石川と加護はこの一週間の間に、ほかのメンバーを受け入
れるための準備を少しづつ進めていたのだ。
事件から5年ものの月日が経過したとはいえ、あの爆破事件は日本犯罪史上
最大のミステリーとしてモーニング娘。ファンならずともいまだに様々な憶測
を呼んでいる。事件直後にいくつか出版された検証本は軒並みベストセラーを
記録し、毎年事件があった時期になるとテレビでは特集プログラムが組まれ、
これも高視聴率。トップアイドルを巻き込んだ大衆の虚々実々の憶測は、今も
なお続いていた。
そんな芸能界を引退したメンバーでさえ人目を忍んで日々を送る身である中、
都内に全員が顔を揃えるといったことは、現実問題として難しかった。事件の
当事者であり心や身体に大きな傷を負ったメンバー自身が、たとえ些細なこと
でも好奇の目に晒されることは避けなければならなかったのだ。
だからこの都心から遠すぎず、それでいて人里離れた洋館を同窓会の会場に
飯田が選んだのは、吉澤もある程度理解はできる。しかしこの、いつ幽霊が出
てもおかしくない雰囲気は・・・。
吉澤はその時、二階の廊下の奧に白い布のようなものが横切ったのが見えた。
その白い布の上には、黒い髪と青白い顔がくっついていた。
「・・・!」
吉澤は、普段から大きな目をさらに見開いた。
それに呼応するかのように青白い顔の目も一瞬こちらを向いたようだった。
悲しげな目を。
そして、その白い布は音もなくねずみ色の廊下の壁の中へ消えていったよう
に見えた。
吉澤は汗がどっと吹き出した。
(やめよう)
激しくかぶりを振ったが、昔のように髪が頬に触れることはない。
(幽霊なんているわけない。幽霊なんているわけない。非科学的なことを考え
るな。非科学的なことを考えるな)
しかしその青白い顔がどこか見覚えのある顔だったため、吉澤はずっとその
目を記憶から引き剥がすことができなかった。いつも振りまいていた笑顔が、
ふと素に戻るときにみせるあの悲しげな彼女の目。
広々としたエントランスホールに、一人ぽつんと佇んでいる吉澤の口から大
きな溜息が漏れた。
ホール正面奧に、居間へと続く大きな扉が見える。
その扉の脇には小さなテーブルにシンプルな白い花瓶。
色とりどりの花が添えられているが、吉澤は手にしている真紅のバラをちょっ
と失礼して、その中にやや乱暴に押し込んだ。
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