【T・E・N】 第45話 矢口と安倍
しばらくすると狭くて薄暗い密林に包まれた山道が突然ひらけて、ポッカリ
とした空間が広がった。
西に傾いた陽光が運転する矢口の目に突然飛び込んだので、慌てて額に留め
てあったサングラスを再びかけなおす。はるか前方に緑色のなめらかな稜線を
背後に控えた、直線的な建物が二人の視界に飛び込んでくる。
つんく♂邸だ。
安倍が手をたたき、大はしゃぎしている。
「なっち、ココは初めてだったよね?」
「うん!」
本当にこんなところに元モーニング娘。(自分もそうだが)が集まっている
のだろうか、と同じく初訪問の矢口は不安になる。
密林を抜けても、屋敷まではまだかなりの距離がある。
乱雑に積まれた石垣は敷地を仕切るためのものらしく、外門と呼べるほどの
立派なものではない。正門もさほど立派なものは用意されていなくて、石垣が
ぱたっと途切れて車で乗り入れるには十分の幅の道が続いているだけだ。正門
から屋敷まで距離にして3、400メートル程であろうか。垣根の外にも中に
もそれほど目立つものはなく、ただ草木が生い茂っているのみ。
それでも屋敷に近づくにつれて、少しづつ整備された木や花壇なども目立つ
ようになってきた。芝生を植えようとしている跡もあるが、いまひとつ中途半
端な印象は否めない。
つんく♂邸の外観が、ようやくはっきりと見えてきた。
まさに絵に描いたような洋館。3階建てのどっしりとした構えの豪邸は二人
を威圧しているようだ。
屋敷は赤レンガとツタの葉に包まれている。ツタの葉にはところどころ小さ
くて白い花が咲いていて、もっと空が薄暗くなったら屋敷の壁一面が星空のよ
うに見えるかもしれないね、と安倍はロマンチックで緊張感のないコメント。
車のスピードを緩め、じっくりと矢口もその洋館のたたずまいを目に焼き付
ける。
その時だった。
屋敷正面入口から右の・・・2階の窓からこちら側を誰かがじっと見つめて
いる。
黒い滑らかなロングヘアー。
幼児体型の身体にぴったり沿うように着ている白いワンピース。
顔は・・・確認する前に奧に消えてしまった。
どことなく懐かしい―――そんな顔だったが、矢口は思い出せない。
ただなんとなく、悲しげな目をしていたような・・・しかしイメージばかり
が先行して実体を捉えることができない。
そもそも今日会うメンバーのほとんどがあの事件以来のご対面になるわけで、
誰に会っても懐かしいと感じるのは当たり前だし、敏感になりすぎているのか
もしれない。
「なっち、見えた? 誰だろ?」
「何がぁ?」
「いや・・・なんでもない」
屋敷のそばの木陰に3台の車が駐車してある。
矢口のRVもそれに並べるように停車した。
「すっげぇ・・・」
車にロックをかけた矢口が屋敷を見上げる。
遠目には大自然の中にひっそりとたたずむ小さな箱という印象を受けたが、
いざ屋敷の正面に立つと、ミニマムな矢口はその巨体に圧倒される。
入り口は正面の大きな扉だろう。短い石階段と緩やかなスロープ、そして両
脇には青銅製の手すりが添えられている。
何故だかわからないが映画のセットのようにハリボテであればいいのに、と
矢口は思った。
(えーっと、呼び鈴はどこだろ?)
あたりを見渡したが、それらしきものは見あたらない。
ボストンバックを肩に掛けた安倍がタッタッタと小走りにその手すりまで寄
り、その一番前に申し訳程度に付いているような白くて小さなボタンを押した。
あとから聞いた話だが、もともとホテルだったこの建物は外に呼び鈴を備え
付けておらず、改築の際に設置したものには若干手を加えて、屋敷全体に音が
響き渡るようにしたそうだ。
「ピンポ〜ン♪」
柔らかい音色が、小さな箱の中にこだました。
【45-矢口と安倍】END
NEXT 【46-吉澤】