【T・E・N】 第35話 高橋と保田
武道館の事件から2年の月日が流れたある日のことだった。
生放送の歌番組の収録から帰ってきた高橋は、自室のパソコンにまず電源を
入れる。
起動させているあいだの虚無の時空に漂っている―――時間にしてみれば2
分から3分程だが―――そのとき、高橋は娘。が解散後の自分の軌跡をたどっ
てみたりする。
「転落」
たった二文字で表現できてしまう。
日に日に芸能界で自分の居場所が失われていくのが分かる。
事務所はバラエティやグラビアの仕事を増やしたいらしいが、あくまでも活
動の中心を歌に据えた高橋。しかし、新曲の売り上げはその情熱に反し発売毎
に下降線の一途をたどるのだった。
(やっぱり私には華がないのかな・・・)
メールチェックのボタンを押して次々現れてくる名前の中で、意外な人物の
名前を見つけて高橋はマンションの一室でひとり声を張りあげた。
「Kei Yasuda」
恐る恐るその名前をクリックした。
あいちゃんへ
ひさしぶり!
テレビで、川 ’ー’川の歌っているところ見みたよ!
ずいぶん声もでるようになったな〜って思うヨ
ヒットまちがいナシって感じ?
でも、こないだの「うたばん」みてビックリしたよ
だってまだ訛り抜けてないんだもん(^_^;)
ああ、そうそう私のことに関しては心配かけてごめんね
一部雑誌でのったように、私はあの日全身に大ヤケドを負いました
一生、顔の傷が消えないと言われたときは、
本当に死ぬことも何度も考えました
その後、アメリカの美容整形のお医者さんを紹介してもらって
1年間半、渡米して治療に専念しています
おかげでかなり直ったものの、まだ少し目立つ部分もあります
(髪型である程度ごまかせるようになったけど)
ほとぼりが冷めたらメンバーのみんなにも逢いたいな、と思っています
でも今のところは絶対ナイショだよ
文字通り「会わす顔が無いから」
じゃあ歌のほう、ガンバってね!
私は川 ’ー’川の歌っているところが大好きです
やすだ( `.∀´)けい with LOVE
高橋のマウスを握りしめたこぶしの上に、大粒の涙がいくつも落ちてくる。
(最後に保田さんにかけてもらった言葉がなかったら、私は今でも歌手活動を
続けていなかったんだよ・・・)
保田と高橋が親密になった頃には、すでにモーニング娘。の解散が決定して
いた。
その頃、メンバー全員に芸能界に残るかそれともそのまま引退するのかの二
者択一が迫られていた。
高橋は悩んでいた。
鳴り物入りでモーニング娘。5期メンバーとして加入した高橋だったが、歌
に対する自信は喪失する一方だった。
同期では歌唱力ナンバー1の評価を受けてたし、高橋にもその自負はあった。
しかし、同期との差は縮まる一方、そして先輩との差は広がる一方。
自分がセンター・メインパートを務めた曲は、練習のしすぎで喉をつぶして
しまい、その結果、歌番組では満足に歌えず、発売されたシングルCDはモー
ニング娘。史上最低の売り上げとなった。それがますます高橋のプライドを傷
つける結果となる。
なんのために私はモーニング娘。に加入したのだろう。
その自信喪失に追い打ちをかけるように、グループの解散が決定。胸が張り
裂けそうになった。
メンバーには通達されたが、世間にはまだ解散が公表されていない段階で、
テレビのバラエティ音楽番組の収録があった。
話の流れで、お笑い芸人が高橋にちょっと冗談混じりに強めのツッコミをす
る。
「お前おる意味ないやんか!」
どっと巻き起こる笑い。だが、次の瞬間、スタッフも観衆もその笑いが凍り
付いた。
高橋は笑顔を保ったまま、頬に滝のような涙を流していたからだ。
収録後、控え室でマネージャーにこってりしぼられた。
マネージャー自身も叱り疲れたのか、ジュースを買ってくる、と言い残して
席を外した。
部屋に高橋一人取り残される。
静寂が自分をますます情けなく感じさせ、がっくりと肩をうなだれる。この
ときの私は、常にネガティブな思考が頭を支配していたのだな、と後になって
高橋は思う。
トントン。
そこに突然鳴り響くノック音。
高橋が部屋に一人になるスキをうかがっていたかのように、ドアのすき間か
らひょっこりと何かが飛び出した。
とある歌番組でお馴染みの、子泣き爺人形だった。
「アイチャン、アイチャン、これからヒマかい?」
「保田さん、何やっているんですか」
「何だよーもう分かっちゃったのかよー」
その人形を片手に保田が登場する。
「ねえ、これから焼き肉でも食べにいかない?」
「いえ・・・まだマネージャーと話があるんで」
「いいじゃん、どうせ説教でしょ? バックレようぜい」
保田は鼻息も荒げて、高橋を威嚇しているようにも見える。
「・・・保田さんあたし」
高橋が言い終わるより早く、保田は強引に彼女の腕を引っ張っていた。
訛り丸だしの抵抗の言葉を高橋はいくつも並べたが、保田は一向に意に介し
ない。
そしてそのまま二人は夜の街へと消えていった。
【35-高橋と保田】END
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