【T・E・N】 第13話 加護
(加護は見たのだろうか、辻の姿を)
(加護は聞いたのだろうか、私が辻を呼んで泣き叫んでいたのを)
石川は結局、その話題を切り出すことはできなかった。
昼御飯での出来事もそうだが、辻の名前を口にしただけで加護は態度を豹変
させてしまう。
無理もない。加護の目の前で辻は壮絶な最期を遂げたのだから。その光景は
今も脳裡に深く焼き付いているのだろう。
加護にとって、辻は今でも特別な存在であることに変わりはないのだ。
石川は後で吉澤に相談しよう、と思った。
そのとき加護は、石川に車椅子を押されながら事件直後の後藤真希のことを
考えていた。
後藤と加護は、あの事件の直後同じ病院に運ばれた。
加護は腰に強い衝撃を受けた。そして目の前で繰り広げられた惨劇。
その当時、心身共に深い傷を負った加護にとって尊敬する後藤が生きていて
しかも同じ病院に入院と聞いたときは、いくぶん救われたような気になった。
事件から3日後、集中治療室から出て最初に元マネージャーから聞いた話に
よれば、後藤は身体的ダメージは少なかったものの頭部を強めに打ちつけて、
まだ意識がはっきりとしておらず現在も精密検査が続いている状態だという。
(すぐにでも逢いたい)
白い壁に囲まれた部屋で、加護は一日中ベッドの上でぼんやり窓の外を眺め
ながら、後藤に逢ったらどういった話題から切り出そうか考える。
自ら動くこともできず、テレビや新聞雑誌(当然この事件を連日連夜採り上
げていた)などのメディアからも遮断されている生活のなかで。
病室に誰かが入ってくる。そしてそれが元メンバーじゃないと分かると心底
加護はガックリするのだった。
そしてひとこと「後藤さんは?」と聞くのが、その時の口癖になっていた。
しかし、ある日を境に担当医の人も看護婦さんも母親もマネージャーもお見
舞いに来た友達も、皆一様にこの質問に対しては言葉を濁すようになった。
加護は微妙な表情や発言からその人の本音を探るのが得意だったが、そうで
なくても後藤の身に何か起きたことは容易に想像できた。
その日以来、加護は後藤に関する質問をするのをやめた。
加護には常に母親と祖母が交替で付き添っていたが、彼女らが寝たのを見計
らって布団の中で毎晩、一人で泣き崩れる日々が続いた。モーニング娘。が解
散したこと。辻と喧嘩したこと。コンサートのフィナーレで突然ステージが爆
破したこと。メンバーが泣き叫ぶ声。そして阿鼻叫喚のなか盟友・辻と手を握
りあい、そのまま彼女の最期を見届けたこと―――。
(足さえ動けば、すぐにでもそこの窓から飛び降りるのに)
お見舞いのフルーツの香りが充満する病室で、加護はどの来訪者に対しても
努めて明るく振る舞っている。しかし、いつしか心の中では常に「そのこと」
ばかりを考えるようになっていた。
入院してから10日ぐらい経ったある日。
母親は用事で1時間ほど出掛けると言い残して出ていった。加護は一人病室
で留守番することになった。
加護は2日前から練っていた作戦を実行に移すことにした。
点滴をひっぺ外し、ベッドから這いずり出て母親がいつも座っているキャス
ター付きの椅子の上に乗る。激痛に耐えながら腕の力だけで壁を伝って、まず
入り口のドアを閉めてつっかえ棒(点滴をぶら下げていた棒だ)をかける。そ
のまま窓際まで移動し、窓のロックを背伸びして外す。重いガラス窓を、歯を
食いしばりながら開ける。6階の窓の外へ身を乗り出すと、遥か眼下に広がる
黒いアスファルト。
目がくらみそうになった。
今から、その大地へ身を委ねる。
そして加護の計画は完遂される。
その時だった。
ぎるるるる。
突然、隣りの病室の窓が誰かによって開かれた。
反射的に視線をその音へ向ける。
加護の目に飛び込んできたのは、ピンク色のパジャマ。サラサラの茶髪が風
になびき、トロンとした目の美少女が寂しそうに遠くを見つめている。
その少女が、静かに、ゆっくりと、逆光の中こちらへ振り向く。
まぎれもなく後藤真希その人だった。
「ごとーさん!」
加護は無意識のうちに叫んだ。
しかし、当の後藤は意外、といった表情を浮かべてこう答える。
「んぁ、なんでアンタ私の名前知ってんの?」
【13-加護】END
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