どんよりとした日のことでした。
「紺野はさぁ、声がちっちゃいんだよね、声量?が足りない時がめだつって
言うか。あたしもそんな時あったけど、でも地声が小さいとかそういうので
やっぱり自分が控え目になっちゃいけないと思うのね。あたしもこの世界
はいって気付いたんだけど、やっぱりネガティブ…っていうとみんな笑うけど、
でもそういうのってやっぱりなんかよくないと思うから。あたしとかはテニス部の
部長なんかやっててそういう色々なこととかもわかってたけど、紺野はさ、
やっぱり…いてっ」
後ろからぶたれました。矢口さんでした。
「えらそうに説教してんじゃねーよ、石川のくせに」だそうです。
あたしは「そんなぁ、矢口さんひどい」と言いました。
それで、紺野も矢口さんも笑いました。
「ねぇよっすぃそう言えばこないだすごいいい店みつけたって言ったじゃん、
もうかわいい服がいっぱいあってすごい絶対オススメのとこでさぁもう
多分よっすぃだって気に入るはずだから行こうよ……
あ、そうなんだ、ごっちんと……
いやいや、全然いいよそんなの、急に誘ったみたいなもんだし
…約束したのに…
いやいや、なんでもないからさ、うん」
よっすぃは行っちゃいました。
見ると、高橋となんか楽しそうに喋っていました。
高橋が「とっておきのメイクなんです!」とか言ってます。嬉しそうね。
「飯田さん聞いて下さいあたしこないだのドラマですごい褒められたん
ですけどやっぱり前向きに頑張ったからだと思うんですよそれって。
飯田さんがやっぱり教えてくれたことがすごいなんか残ってる、って
言うか、いつもアタマのどこかにあって元気づけてくれる、っていうか…」
飯田さんは手をあたしの前に出して、
「石川、うるさい」にっこり笑ってくれました。
中学生の子達は集まってはしゃいでいました。
安倍さんはごっちんと珍しく二人で楽しそうに喋っています。
みんな楽しそうです。あたしはちょっと手持ち無沙汰って感じになりました。
そう言えば、保田さんが見当たりません。飲み物でも買いにいったのでしょうか。
あたしも、やけに喉が乾いていました。
保田さんを探そう、ついでにジュースも買おう、そう思い、楽屋を出ました。
廊下の突き当たりには自動販売機がいくつか並んでいて、ベンチや
灰皿などが据え付けられてちょっとした休憩所のようになっています。
保田さんの姿は見えませんでした。
自販機の前で小銭を取り出したその時、どうしてかはわかりませんが
なんだかとっても寂しい気持ちになりました。
小銭を入れボタンを押してからジュースが落ちてくるまでの間、ずいぶん
色々なことを考えたように思います。
メンバー全員からやっぱりうっとうしがられてるんじゃないか。
いじられてるんじゃなくていじめられてるんじゃないか。
そして、あたしは駄目なまんまなんにも変わっていないんじゃないか…
そんなネガティブな思いが、アタマを駆け巡っていきました。
ジュースはなかなか落ちてきません。
よく見ると、ランプが消えていました。
…自動販売機までがあたしを馬鹿にするなんて…
ちょっとショックでしたが、120円くらいで大騒ぎするとまた何を
言われるかわからなかったので、泣く泣く小銭入れを取り出しました。
……小銭は表示されないどころか、返却レバーを何度押しても
戻って来ませんでした。
踏んだり蹴ったりとはこの事ね…あたしはなんだか笑えてきました。
人間の悲しみを激しく実感しているその時、後ろから声をかけられました。
「どした、買わんのか」
「これ、壊れてるみたいなんですけど…!」
苛々していたせいなのか、語尾がちょっと震えてしまいました。
「壊れてる…?なるほど。」
その青い服の人はつかつかと自販機に駆け寄ると、短く叫んで
投入口のあたりに綺麗なハイキックを叩き込みました。
がしん。ものすごい音が響いて、あたしはびっくりしました。
「どや!直ったやろ、入れてみんかい!」
どこかで聞いたことのある声でしたが、とにかくあたしは震える手で小銭を入れました。
やはり表示もされませんし、返却レバーを押してもうんともすんとも言いませんでした。
「駄目でした…」
「なんやて?エライ頑固な自販機やな…よし、もいっぱつ」
「いや、もういいですから!」
というか、中澤さんでした。一瞬わかりませんでした。
なんか青いマントのようなものをスッポリ被っていたからです。
良く見ると顔だけ出ていました。
「もういいんです…あたしなんてどうせいっつも我慢してればいいんです」
「馬鹿なこと言ったらアカン!」
われんばかりの大声でした。
「120円言うたら大金ちゃうんか?自分勘違いしたらアカン!
額の問題ちゃうで!120円を笑う者は120円に泣く、これ覚えとき」
「でも…」
大金ではないですよね、危なく言いそうになりました。
そんなあたしを見て、中澤さんはにやりと笑いました。
「安心せぇ、ウチが来たからには問題ナシや。自分を助けに来たんやで?」
そう言うと眉間にシワをよせて、ぶつぶつと何事か呟き始めました。
あたしはなんだかドキドキしながらその様子を見守っていました。やがて。
「裕ちゃん、ええこと思いついたわ。」
「ええか、整理さしてもらうわ。自分何でここ来たん?」
「いや、ジュースを買おうかなって思ったから…」
「せやろ。重要なんは、なんでジュース買おう思ったか?言うことや」
中澤さんはまるで演説でもするような口調でした。
あたしはおそるおそる言いました。
「喉が…乾いたから?」
「『喉が乾いた』正解や。」
正解だったようです。何故か非常に緊張します。
「次。自分はなんでそんなジュース買えへんかったくらいでおちこんでんねん」
「…なんか寂しい気分だったんです、あたし、実はさっきも…」
「『ネガティブだから』正解や。」
今度は、端折られてしまいました。
「最後の問題。ネガティブな人間が喉乾いた時、言うのは、どないするんが
一番ええと思う?…いや、直感でええから答えてみ?」
「あたし直感とか、そういうの苦手なんですよぉ…」
「答えはこれ!『石川レボリューション21!』」
やたらテンポのいい会話とともに、あたしの右手にはいつの間にかコップが
握らされていました。おそらく、「飲め」ということなのでしょう。
断ろうかな、とも思いましたが先ほどのハイキックの鮮やかな軌道が
頭をよぎりました。第一あたしが中澤さんに逆らうなんて、無理というより無茶。
「これはな、裕ちゃんが22世紀からわざわざ持って来たモンでな、実は
めっちゃ高いねんで。飲みやすさが売りの…あぁ、ええから飲んで、ホラ。」
なみなみとつがれた無色の液体を、あたしは目を瞑って一気に飲み干しました。
「まずいもんやないやろ?むしろ元気が出てきたハズやで」
確かに、なんだか熱くなってきたような、気がしました。
「ところで、中澤さんはこんなとこで何をやってるんですか?」
「中澤さんに見えるやろ?ウチはUえもん言うてな、
よく間違われるんやけど、実は中澤さんちゃうねん。」
「えーでもさっき自分のこと裕ちゃんって言ってたじゃないですかぁ?」
「Uえもんかてゆうちゃんやないか!」
「そうですけどぉー」
「まぁそれはええわ。しかしめっちゃええタイミングやったわ…
助けにきたら、丁度困ってるところだったなんてまるでドラマやで。」
「よくわかんないれすけど、チャーミーかんげきです!」
「…おっと、効いてきたみたいやな。アレや、人間元気が一番やからな
辛気くさい面しとったら周りもなんや辛気臭くなってまうねん。
さて、ゆっくりしててええんか?お前の元気を見せるええチャンスやで…」
「あたしもそんなきがしれきました!そろそぉいかなきゃ!」
「完了…やな。」
楽屋のドアを開けるとさいわいまだ収録は始まってませんでした。
みんなはすごい仲良くおしゃべりしたり雑誌いっしょに読んだりしてました。
「あ、石川さん。さっきはありがとうございました…」
「どこ行ってたんだよー、もうすぐ本番はじまるぞー。」
「ごめん、さっきカオリ考え事してたからさー。」
「梨華ちゃんさっきの店の話だけど…」
みんながあたしの方を向いて、声をかけてくれました。
こんな嬉しいことはありません。やだ、泣いちゃいそう。
「みんな!」
あたしは嬉しくて、この嬉しさを伝えたくなって。
「ハッピーー!?」
両手を広げて、叫びました。
「うおっ、梨華ちゃん酒くせぇーぇ!」
「えっ、…ほんとだ!オマエ、何飲んでんだよ!?もうすぐ収録だぞ!」
「カオリ!カオリ大変だって!ちょっと目ぇ覚ましてよ!」
「酔っ払い梨華ちゃん?」
「お待たせしましたー!モーニング娘。さん、お願いしまーす!」
「お願いしますってやばい、ADさん来ちゃったよ?」
「ちょっと、ちょっと待っててください、すぐ行きますんでドア閉めて!」
みんながあたしを心配してくれました。
辛うじてドアを閉めた飯田さんが、ゆっくりとこちらを振り返るのが見えました。
そこから先はよく、覚えていません。
幸い顔にそこまで出なかったのと元々酔っ払ってるようなもんだし大丈夫という失礼な理由で
あたしはなんとそのまま収録に参加したそうです。
収録中のあたしはと言えば訳もなく笑いだしたりアドリブを連発したりそしてそれはむしろ
台本よりアドリブの方が多いんじゃないか位の勢いだったそうですが、殆ど覚えていません。
全て後から聞いた話です。勿論オンエアは怖いので見ません。
矢口さんによると「かなり面白かった」そうです。
収録後、緊急ミーティングが開かれましたが、あたしはもうその頃には素面に戻っていました。
飯田さんのお説教は2時間に及びました。
「まぁ、面白かったからいいや、なんならいつも飲んでからこいよ、キャハハ」
矢口さんのその言葉でミーティングはお開きになりました。
アタマが痛かった、それだけははっきり覚えていました。
こんな調子でした。
保全してくれた人には激しく感謝しています。
ありがとう。待たせてごめんなさい。では次。
第八話
『Do you think so?』
家に帰ったら裕ちゃんがいたけど、あたしはそんなに驚かなかった。
「おぉ、お帰り」
「…ただいま」
「いただいてるでぇ〜」
「どうやって入ったの」
「しかしなぁ〜豪華な部屋やなここは。」
「うん、ありがとう、その前に」
「無駄に、やけどな」
「…帰って。」
「だいたい勝手に人の部屋はいって、酒飲んで待ってるってどうなの」
「固いこと言っとったらアカンで」
「なに、なんか急用?」
「ものすっごい急用やで、自分聞いたら驚くんちゃうかな」
「えっ、何よ」
「まぁええがな、とりあえず座っとき」
「いや、ここあたしん家だし…まぁいいや、あたしも飲もうかな」
「乾杯しとこ!乾杯!」
「うわっ、これ全部空けたの?一人で…だよね?」
「待ちくたびれたわ、ホンマ…」
「いや、いつからいたのよ?」
「ここはええなぁ…いっその事ココ住んでまうか…」
「いや、困るからさ」
「冗談やて、じょーだん」
「本気っぽくて、恐いんだけど」
「そない邪険にすることないやんか…裕ちゃんえらい寂しいわぁ」
「いきなり来るのとか初めてだよね。で、急用ってなんなの」
「裕ちゃんがぁ…来た、言うたら…アレに決まってるやろ…」
「まさか…チューしに?ま、まさかね」
「それは無いな。」
「わかってたけどさぁ…」
「さて、そろそろ始めるか」
「なによ、いきなり立ちあがって」
「22世紀から助けに参りました、Uえもんです」
「あぁ、わかったわかった」
「なんやそのリアクション」
「ごっつぁんがこないだ言ってたよ、Uえもんさんがどうこうって」
「話通ってんのかい、したら早いな。ウチは」
「家燃やすのはやめてね、マジで」
「…なんか悩みとか、ないんかいな」
「ないよ」
「ところでさ、そのカッコ、なに」
「これか?…まぁ、ユニフォーム、ちゅうか」
「ユニフォーム…なんかの罰ゲーム、とかじゃないよね」
「罰ゲームて自分、ちょっと待てや。なわけないやないか…」
「違うんだ」
「ウチがなんかえらい恥ずかしい格好しとるみたいに聞こえるで」
「恥ずかしくないの」
「恥ずかしいことあるかい!」
「ならいいんだけどさ」
「なぁ〜。なんかあるやろ悩み。」
「ないよ」
「助けに来た言うてる人間に対して『悩みなんてないよ』って自分きっついな」
「ていうか、お酒飲みにきただけでしょ?そうなんでしょ?」
「しかし、ええ酒もっとるな、流石」
「もらいもんばっかだけどね」
「タダ酒か…ええなぁ、自分大人気やないか」
「…大人気(…今、だけのものだけど)」
「なんやて?」
「なんでもない、氷とって」
「あぁ、よっと」
「マドラーも」
「…なんでちょっとムッとした感じやねん」
「べつに」
「なぁ、なんかつまみないの?」
「まだ飲む気?弱いくせに」
「弱い?アホなこと言ったらあかんで、酒豪のウチを捕まえて弱いて」
「ていうか、さっきからもうぐでーってしてんじゃん」
「腰が痛いだけや、まだまだ全然イケルで」
「…んじゃ、ちょっと待ってて」
「…なんや、これ」
「ホルモン焼き、レトルトだけど」
「…」
「んで、こっちはナンコツの唐揚げ、レトルトだけど」
「…」
「最後は、白子の」
「もうええわ!どうせなら枝豆とか持ってこいや!」
「枝豆?え〜っと、…ごめん、それしかないや」
「珍味野郎やで…ホンマに」
「はいはい、好きなこと言ってなさい」
「…ねぇ」
「ん」
「そんなとこで寝ないでよ」
「誰も寝てへんわ!ちょっと休憩や休憩」
「絶対ウソだよ…」
「ウソちゃうで」
「…」
「う〜ん」
「なんかお腹掻いてるしさ…」
「そう言えばさ」
「ん?」
「裕ちゃんってさぁ、どうだった?」
「なんや?」
「…やめる、時さ」
「知らん」
「…?知らんって何」
「『中澤さん』に聞いたらええやん」
「あのねー、ふざけてる場合じゃなくてさー、こっちはマジメに」
「ウチかてマジメや、っちゅーねん」
「(どこがマジメなのよ)」
「大体人のことなんていくら聞いたってわからんのちゃうんか」
「そうかもしれないけどさぁ」
「とりあえず自分だったらどう思うのか語ってみぃ、話はそれからや」
「あたしが…どう思うか?」
「いや、いまいちピンとこないよ、卒業ってやつ自体が」
「…」
「あたし、中学しかでてないからさー。」
「…」
「丁度ね。高校やめる時がこんな、感じだったかもしれない…
あたし、今でこそ歌手にね、なりたくて高校やめたみたいな
話につなげちゃってるけど、当時はそこまでのしっかりした
決意じゃなかった気が、今となっては、してる。」
『(酔っ払っているせいだろうか、とりとめのない話が口を滑って行く。
裕ちゃんはそれを目を伏せたまま黙って聞いていてくれてる。それで、いい。』
「不安はあるけど、現状が変わるってことがなんだか嬉しい。
ドキドキするし、それにいつかは来る日だってわかってたからね。」
「…」
「だけどさ、寂しいってのは勿論でさ、やっぱり……」
「…」
「…ねぇ」
「…」
「…ババァ」
「…誰がババァやねん…」
「寝てても、わかるんだ…すごいな」
「むにゃむにゃ…痛っ!」
「ごめん、力入りすぎた」
「めっちゃ痛いわ!なにすんねん人が気持ちよう寝とるっちゅーのに…」
「ていうか、やっぱ寝てたんじゃん…一人で喋っちゃったよ鬱だ…」
「いや、話長いわ…自分マジで」
「つーか助けに来たとか言ってなかった?」
「せやけどやなぁー」
「愚痴くらい聞いてくれてもいいでしょ!」
「…元気でたみたいやないか、裕ちゃんも嬉しいわ…」
「つーかもう寝ていいよ…布団敷くからそこで待ってて」
「なんや、結局力になれんかったみたいで、スマンなぁ…」
「泊まっていけばいいのに」
「裕ちゃんかて忙しいっちゅーねん…あっ」
「ほら、よろよろしてんじゃん、せめてタクシー呼ぶから待ってて」
「大丈夫やて、ほらほら」
「まぁいいけど、気をつけてよ…ホント何しに来たんだか」
「…」
「何、あんまジロジロ見ないでよ」
「まぁ……頑張りや。」
ドアが開いて、閉まるまでの間に、その言葉があたしに染みていった。
ほんと、何しに来たんだか。散らかったリビングを見ながらそう思った。
お酒のせいか、最後に見せてくれた笑顔が目の奥でくるくると回っていた・・・。