91 :
ブラドック:
【無念の帰還】
「邪魔するぞ」
紗耶香は長門の漁村へやって来た。
気を失った真希を介抱するためだ。
眼の前で最愛のひとみが死んでしまい、
真希のショックは測り知れない。
このまま眼を覚まさない方が、
彼女にとっては幸せなのかもしれなかった。
「これはこれは紗耶香様」
村長は紗耶香をよく知っていた。
こういった地方の細かな人脈が、
紗耶香たち一族を支えていたのである。
海産物の買い付けで便宜を図ってやり、
恩を売っておけば何かと我儘を聞いてもらえた。
「この娘が眼を覚ましたら、吉備まで送ってくれないか?」
紗耶香は村長の家に寝かせた真希を見ながら言った。
これからは真希と一緒に行動することになるだろう。
真希の中に眠っている意識を覚醒させるために。
しかし、その意識が覚醒したとき、
果たして真希は真希でいられるのか。
それは紗耶香にも分からなかった。
「ひ・・・・・・ひとみちゃん」
真希は苦しそうに唸った。
ようやく眼が覚めた真希は、
眼前にいる紗耶香に驚く。
そして、反射的に身構えた。
「眼が覚めたようだね」
「あなたは誰?」
真希は殺気の入った眼で紗耶香を睨む。
だが、真希の殺気を含めたエネルギーは、
紗耶香に吸収されてしまうような感じである。
それほど、紗耶香の顔は穏やかであった。
「覚えてないか。もう十年も前だからね」
真希の頭は思考を始めた。
十年前の出来事を思い出して行くと、
二歳年上の少女と遊んだ記憶がある。
その場所がどこであったのかは、
いくら考えても思い出せなかった。
92 :
ブラドック:02/05/29 18:12 ID:7ywpY/BY
「あなたは・・・・・・あたしと遊んだ」
「やっと思い出したか。私は紗耶香だよ」
紗耶香・・・・・・
真希は詳細を思い出した。
彼女は手裏剣の名手であり、
石をぶつけてカラスを落とした。
真希が死んでしまったのかと思って覗き込むと、
カラスは何事も無かったように飛び立って行った。
「紗耶香さん、どうしてここに?」
「十年前と同じさ。あんたの身辺警護だよ」
真希は落ち着きを取り戻したが、
同時にひとみの死を思い出した。
それは辛すぎる現実である。
「紗耶香さん・・・・・・ひとみちゃんが・・・・・・死んじゃった」
真希は大粒の涙を零した。
十六歳の少女には残酷な状況である。
紗耶香は冷静に真希を見つめた。
真希の中で眠っている意識が覚醒すれば、
どうなるのかは全く予測不能である。
その『意識』が暴走する前に、
紗耶香は彼女を殺さねばならない。
「村長、支度はできたか?」
「へえ、舟は用意できました」
紗耶香は真希を連れて舟に乗り込んだ。
この頃は、瀬戸内海にも海賊がおり、
海路には危険が付きまとっている。
しかし、海路は陸上輸送と違って、
一気に大量の運搬が可能であるため、
流通業的には大きな魅力であった。
「これからどうする?」
紗耶香は項垂れる真希に聞いた。
つんく♂の策略を話すわけには行かない。
策略を真希が知ったら、たいへんなことになる。
これから先、大和は東国を平定しなくてはならない。
真希がつんく♂と対立しようものなら、
絶好の機会とみて、毛野が動き出すだろう。
東国に大義名分を与えてはならなかった。
93 :
ブラドック:02/05/29 18:13 ID:7ywpY/BY
「許せない・・・・・・絶対に許せない」
真希の心の中では、悲しみと憎しみが葛藤している。
梨華は初恋の相手だったが、最愛のひとみを殺した。
真希は愛情と憎しみの狭間で揺れ動いている。
ドクン・・・・・・
真希の脳が鼓動を始める。
『意識』の覚醒が始まったのだ。
これに気付いた紗耶香は、真希を眠らせる。
『意識』を覚醒させるには時期尚早だった。
まず、吉備で兵を集めなくてはならない。
猛烈な勢いで山賊を配下にしている圭と、
弓のスペシャリストを持つ真里が必要だ。
これで紗耶香の人脈を駆使すれば、
五千くらいの兵力にはなるだろう。
その軍勢を率いて熊襲に上陸したとき、
真希が覚醒すれば、その真価が見えるのだ。
舟が長門と吉備の国境近くにさしかかると、
案の定、このあたりを縄張りとする海賊が現れた。
海賊船は舟を取り囲み、積荷を要求して来る。
「このあたりは陶の縄張りだったな」
紗耶香の声に海賊が仰天した。
海産物の流通で口利きをしてくれる人物だからである。
紗耶香を怒らせでもしたら、海賊たちの生活が成り立たなくなってしまう
「もうじき、大きな戦が始まる。瀬戸内の海賊は全軍を率いて集結せよ」
紗耶香の声は神の声と同じである。
瞬く間に海賊船は姿を消した。
瀬戸内の海賊を動員できれば、
大量の兵を海路で輸送できる。
圭たちを薩摩あたりに上陸させると、
二方向からの攻撃が可能だった。
吉備に着いた紗耶香は、真希を担いで舟をおりた。
自宅に戻った紗耶香は、配下の者に真希を預ける。
「紗耶香様、この娘は?」
「桃だ」
この当時、桃には不思議な力があると信じられていた。
孫悟空は天界の桃の実を食べて斉天大聖になったし、
『古事記』にも黄泉の国へ入ったイザナギが、
悪鬼に桃を投げるシーンが書かれている。
しかし、紗耶香の手下たちは、立派な真希の尻を見て、
全く別の意味で桃を連想したのであった。