《最後の戦い》
真希の容態は安定せず、尾張の館を出発できたのは、
彼女が倒れてから、じつに十日後のことだった。
あまり大人数であると、大和が警戒してしまうため、
私と真希、そして従者が二人だけの旅である。
体の抵抗力が落ちているため、真希に無理はさせられない。
ゆっくりと尾張から伊勢、そして大和を目指すのだ。
馬を乗り継いで飛ばして行けば、一日半の距離だったが、
そんな強行軍には、真希の体がもたないのである。
私は四日くらいを予定して、ゆっくり行くことにした。
「もうじき冬だね。紗耶香さん」
真希はススキの群生する野原を見ていた。
穂の上に赤トンボの姿が見えなくなると、
じきに寒い冬の到来を告げる季節風が吹く。
冬は私が生まれた季節ではあったが、
生まれてこの方、好きになったことがない。
「そうだな。何度も冬を過ごして来たけど、嫌いな季節だよ。冬って」
そんな話をしながら、私たちは伊勢に入って行く。
二泊目の渡し舟宿で、私は真希と語り合った。
もう十年以上も、私は真希と一緒にいる。
その間の楽しい思い出や、悲しい出来事を語った。
熊襲潰滅作戦から出雲征伐や尾張平定、毛野討伐。
中でも真希は、伊豆への湯治の旅が楽しかったらしい。
すると真希が、ふと私に尋ねてきた。
「紗耶香さん、ずっと気になっていたことがあるの」
「何?」
「どうして真里さんと別れたの?」
「それは・・・・・・」
私は迷っていた。
真希に本当のことを言うべきなのだろうか。
このまま何も知らないで死んで行く方が、
真希にとって幸せではないのか。
しかし、私は正直に話をすることにした。
自分の死を悟った真希は全てを受け容れるだろう。
それに、私自身が彼女に嘘を言うことが辛かったのである。
私は順序だてて話を始めた。
「真希、お前は須佐男命の化身なんだ。次に覚醒すれば、今の意識は消滅してしまう」
「ふーん、須佐男命か・・・・・・意外にカッコイイじゃん」
真希は達観していたので、驚くこともなかった。
その穏やかな表情には、覚醒した時の面影はない。
初めて会った時の、六歳の少女だった頃と同じ眼をしていた。
私は持ってきた干し肉を火で炙りながら、話を続ける。
「あたしの使命は、日本武尊を殺すことなんだ。
つまり、あたしは真希を殺すことが使命だったの」
「そうなの。それであたしと一緒にいたんだね」
私は干し肉を細かく裂き、真希の口に放り込んだ。
そんなことは大儀名分であり、ほんとうの理由は別にある。
私が真希と一緒にいたかったのだ。なぜなら私は・・・・・・
「あたしね。紗耶香さんが好きだったんだよ。でも真里さんがいたから、コクれなかった」
私は思わず真希を抱きしめていた。
こうして抱いてみると、体の熱が伝わって来る。
ケシから作った痛み止めを服用させているので、
新生物(癌)の痛みはないだろうが、だるいはずだ。
それでも真希は、時間を惜しむように話をする。
「亜依を連れて来なかったのは、紗耶香さんと二人きりになりたかったから」
そんなに私のことを愛していてくれたのか?
私はそんな真希の想いにもこたえられず、
結果的に真里や圭を死なせてしまったのである。
私は真希に何かを与えるつもりでいたのだが、
むしろ、奪い取っていたのかもしれない。
ほんとうの破壊者は真希ではなく、
私なのではないのだろうか。
「紗耶香さんを好きになったのは、何があっても、あたしを見捨てなかったから」
私には真希の言葉が痛かった。
真希の無垢な心が痛かった。
こんな時代に生まれて来なければ、
もっと幸せな一生を送っていただろう。
真希は悲しみを背負いすぎたのだ。
もっと早く殺してやるべきだった。
私が真希を殺せなかったのは・・・・・・愛していたから。
「あたしが真希のそばにいた、ほんとうの理由は・・・・・・」
その時、私は殺気を感じ、真希を抱いたまま床に伏せた。
太刀に手を伸ばした時、従者の叫び声が聞こえる。
私は自慢の能力を発揮し、敵の『気』を探った。
『気』の感じからすると、大和の者ではない。
(七人か・・・・・・従者も腕に自信のある二人だが)
真希は事態を察し、草薙の剣を掴んで引き抜いた。
敵の『気』が乱れているので、更にスキャンしてみる。
どうやら、思わぬ抵抗に遭って、一人が死んだらしい。
残りは六人だったが、従者の一人も『気』が消えつつある。
(なるほど、安倍が放った刺客か。死んだのは・・・・・・毒の名手だな。
外に出ると、手裏剣の名手と弓の名手、吹き矢の名手が厄介だ)
私は室内で三人を始末しようと考えた。
残る槍の名手と剣の名手、空手の名手であれば、
外でも戦うことができるからである。
真っ暗な中で、各人の『気』を追う私は、
壁の向こう側に弓の名手の気配を感じた。
私が壁に太刀を突き刺すと、簡単に貫通し、
弓の名手は胸を貫かれて絶命する。
吹き矢と手裏剣が飛来するものの、
私は壁を隔てているので無事であった。
「宮様、猿楽様、ご無事で!」
従者は手裏剣の名手を刺し違えて絶命した。
残るは吹き矢・槍・剣・空手の四人である。
ここに来て、『剣』と『空手』が『気』を消してきた。
狭い室内であるから、ある程度の気配は感じられる。
そのことも考えながら、私は待ち構えていた。
(紗耶香さん、まだ手裏剣は使える?)
(当たり前だ。それがどうした?)
(外に出よう)
真希は壁を切り崩し、外に飛び出した。
私も真希に続いて外に飛び出すと、
手ごろな石を掴んで付近の木陰に飛び込む。
すると真希がやって来て、私に作戦を告げた。
こういった真希の判断は、私よりも正確で速い。
この場は彼女の作戦に従った方がいいだろう。
「どうやら吹き矢がいるみたいじゃん。
あたしが囮になるから、そいつを仕留めて」
危険な賭けだったが、こうなったら真希に従うしかない。
真希が飛び出して行くと、夜目の利く私は吹き矢を探す。
気配を消した『剣』と『空手』は分からなかったものの、
『吹き矢』と『槍』は発見することができた。
『槍』の殺気は激しいので、真希でも感じられるだろうが、
『吹き矢』のそれは微々たるものであり、私でも見失いそうになる。
「死ね!日本武尊!」
『槍』が真希に襲い掛かって来た。
真希は槍を草薙の剣でかわし、一気に間合いを詰めて行く。
槍というのは懐に入られると、意外に脆いところがあった。
(さすがに刺客だな。『槍』がやられた時を狙って来るか)
私は『吹き矢』の『気』を読み取り、場所を特定して背後から接近した。
真希を突き放そうとした『槍』は、彼女の太刀で腹を抉られてしまう。
やはり、真希はこんな時でも最強の武将なのである。
「つええ・・・・・・がくっ!」
『槍』がこときれた時、長い棒のようなものが真希に伸びて行く。
これが吹き矢であった。困ったことに、吹き矢には毒がしこんである。
私はそれを、かすかな臭いで感じたのであった。
もう、飛び掛る余裕がなかったので、私は持っていた石を投げつける。
石は後頭部に命中し、『吹き矢』はそのまま昏倒してしまった。
私は『吹き矢』に踊りかかると、背中に太刀を突き立ててトドメを刺す。
「紗耶香さん!後ろ!」
私の背後に回りこんでいたのは、動きの素早い『空手』だった。
連続で技を繰り出して来るので、私には避けるのが精一杯である。
真希は眼前に現れた『剣』と戦いながら、険しい山に入って行った。
彼女の戦術は分からなかったが、野性的な勘の強い真希である。
直感的に木々の生い茂る場所の方が、有利だと感じたのだろう。
しかし、問題は空手である。これでは私が何もできない。
そこで私は、代々家に伝わる、奥義を披露することにした。
(男の頭にこの風景を送り込め・・・・・・)
要するに逆エスパーであり、敵の頭を混乱させるものだ。
私が強く念を入れて行くと、『空手』は私よりも幻覚と戦っている。
私を視認できなくすると、一気に後方へ回り込んで息の音を止めた。
この能力は精神的に疲れるものであり、私はかなりの疲労を覚える。
だが、真希を放っておくわけには行かない。
「真希!」
私は急勾配の山道へと駆け上がって行った。
しばらく山道を進むと、すさまじい殺気が感じられる。
それは吐き気すら感じるほどのものであった。
真希と『剣』は原生林の中で向かい合っている。
互いに隙を窺っているようだ。
「紗耶香さん、動かないで。もう終わるから」
真希が言い終わると同時に『剣』が動いた。
『剣』の太刀は真希の眼前にある樫の木にめり込む。
しかし、『剣』は樫の木を切断できず、太刀の回収に慌てる。
その隙を逃さず、真希は樫の木ごと、『剣』を袈裟懸けに斬った。
真希の腕と草薙の剣であれば、樫の木などはものの数ではない。
「ふう、終わったな」
私が真希に駆け寄ると、彼女は片膝をついてしまった。
すでに真希の生体エネルギー自体が少なくなっている。
彼女は戦うことによって、死を早めてしまったのだ。
「真希、ここの山を越えたら大和だぞ」
私は真希に肩を貸し、山道を登り始めた。
《夜明け》
「もうだめ・・・・・・紗耶香さん、もういいよ」
真希は辛いらしく、座り込んでしまった。
以前に触診したところ、真希は胸と肝の臓に腫れがあった。
恐らく土蜘蛛の呪いの最終段階(末期癌)だろう。
腑(消化器系)にしこりがないのが、せめてもの救いだ。
腑に新生物が広がると、七転八倒の苦しみとなる。
だが、真希は確実に肺の臓まで新生物に冒されていた。
恐らく、右の肺の臓は機能していないようである。
「がんばれ!」
私は息を切らせる真希を背負った。
自分の体重よりも重い真希を背負うのだから、
私も汗だくで息があがってしまっている。
それでも私は真希に故郷を見せてやりたかった。
「紗耶香さん・・・・・・いいってば・・・・・・あたし・・・・・・もう」
真希の意識が混濁して来た。
もうじき夜明けの時刻である。
真希は日の出までもたないだろう。
だからこそ、私は心臓が破裂しても、
何とか大和に入りたかった。
東の空が明るくなって来た頃になって、
私はようやく山頂に辿り着いたのである。
「真希、見えるか?大和だぞ」
真希は私の背中で薄目を開け、
朝餉の支度の煙が立ち昇る村々を見た。
私は真希を降ろすと倒木に寄りかかる。
そして二人で大和の全景を眺めることにした。
真希は私の手を握りながら、小さな声で呟く。
「大和・・・・・・あたしの・・・・・・故郷」
真希はかすかに微笑んでいた。
思えば、彼女がこの地を追われて十年にもなる。
真希の望郷の念は日に日に強くなっていたのだろう。
私は真希に何をしてやれたのだろうか。
真希は充実した一生を送れたのだろうか。
真希にとって私とは・・・・・・
「真希」
「・・・・・・うん?」
「覚えてるか?初めて会った時、お前は私の顔を触った」
「・・・・・・そうだっけ?」
「大和の顔とは違うからな」
真希は覚えていないようだ。
私は幼い彼女を見た瞬間に、
避けられない運命を感じている。
それが使命や愛情と感じたのは、
もっと大人になってからだった。
「・・・・・・紗耶香さん・・・・・・だーいすき」
すでに真希は抱きつく力も残っておらず、
かろうじて私の手を抱きしめただけだった。
私は真希の頭を撫でながら、ほんとうの話をして行く。
「あたしも真希を愛していたんだよ。だからそばにいたの。
ほんとうは、使命なんかどうでもよかったのかもしれない。
あたしはお前から、何もかも奪ってしまったんだね」
真希は私の話に反応しなくなっていた。
私たちの背後から太陽の光が差し込んで来る。
真希の柔らかな髪が風に揺れた。
「真希?・・・・・・寝たのか。いい夢を観るんだよ」
私は真希を抱きしめたまま、朝日に輝く大和を眺めていた。
――――――― 終 ―――――――――
この物語はフィクションであり、『古事記』『日本書紀』に登場する
日本武尊(倭建の命)の物語とは、一切関係がありません。
一部、類似した名前・名称等が登場しますが、それらは全て、
作者(ブラドック)による架空のものです。