≪死期近し≫
私は真希と事前に会い、圭が重傷である旨を告げた。
それを聞いた真希は心配して圭に会いたがっていたが、
私は嫌がる彼女を強引に出雲女王代理のところへ連れて来る。
「そんな女王代理なんて、後で会えばいいじゃん。
あたしは圭ちゃんのところへ行くの!」
真希は唇を尖らせて私を睨んでいた。
彼女にしてみれば、身内同然の圭が心配でならない。
だが、出雲女王代理に就任した彩は、実の姉なのである。
懐かしい妹の顔を見て、彩は思わず真希に駆け寄った。
「真希!元気そうだね。立派になって・・・・・・」
聞き覚えのある声に、真希は驚いて彩を見る。
その声は十七年も一緒に暮らした姉の声だった。
怒りに任せて彩を簀巻きにし、川へ放り込んで以来、
音信不通だった姉の彩に間違いない。
「お姉ちゃん?」
真希は信じられないような顔で彩を見た。
やはり、怒りにまかせて彩を叩き出したことを、
彼女はこれまでずっと悔いていたようである。
感極まった真希は痩身の彩に抱きつくと、
声を上げて泣き出してしまった。
「ごめんなさい。あたし、お姉ちゃんにひどいことを・・・・・・生きてて良かった」
「あたしも悪かった。大王への反抗だったのに、あんたにまで嫌な思いをさせて」
二人はもう子供ではない。
彩は真希を恨んだ時期もあったが、
因幡で苦労をし、自身の甘さを痛感していた。
こういった試練を科してくれた真希に、
いつの間にか感謝するようになって行ったという。
一方の真希は、実姉を叩き出したという事実を悔い、
十年間も悩み苦しんでいたのである。
互いに姉妹であるからこそ、思いが通じた瞬間だった。
彩は真希を抱きしめながら、圭の死を語り始める。
本当に手に汗を握る緊張の時だった。
「真希、残念なことを言わなきゃいけないの。圭が今さっき、亡くなったわ」
「ええっ!」
驚く真希の頭を撫でながら、
彩は彼女を圭の遺体と対面させた。
私は密かに真希の背後へつく。
もし真希が覚醒を始めたら、
この場で殺さなければならない。
「圭ちゃん・・・・・・」
真希は大粒の涙を零していたが、覚醒を始める気配はなかった。
やはり、彩に対してのトラウマが、ある程度癒えたためだろう。
私は真希に圭の遺髪を渡し、壮絶な最期を話して聞かせた。
翌日、出雲勢は引き揚げて行った。
私たちも野ざらしになったおびただしい死体を
丁寧に埋葬してから尾張に戻ることにする。
指を咥えたままで動けなかった大和軍は、
怒りの矛先を我々に向けて来たものの、
正面から攻撃することなどできなかった。
時折、大きな音のする鏑矢を放って
ウサを晴らすのが限界だったのである。
「紗耶香さん、これで出雲は安泰だよね」
真希は圭が死んだ後の出雲が心配だったようだ。
圭は多くの国民に、心から慕われていたので、
代わる新女王に不安があるのは確実だろう。
しかし、きつい性格の彩であるが立派な大人だ。
それに加え、大王の娘というステータスがある。
更に、因幡での苦労は、決してムダではなかった。
一般的なバランスを手に入れていたのである。
「彩なら上手に経営するだろうな」
圭に比べると大王の長女だけあって、
プライドが高いというところがある。
だが、女王はそのくらいでいいのだ。
圭は政に関しては素人同然だったが、
彩は幼い頃から帝王学を学んでいる。
人望で人を動かしていた圭に対して、
彩は適材適所で動かすことができそうだ。
これから出雲は面白くなる。
「・・・・・・そうだ・・・・・・ね」
真希の声がおかしかったので振り返ると、
彼女は馬上からゆっくりと落ちて行った。
あの乗馬の上手い真希が落馬するなど、
普通の状態では考えられない。
私は慌てて馬から飛び降り、
真希を抱き上げて様子を診た。
「真希!うっ、すごい熱だ」
真希は高熱で意識を失っていたのである。
これだけ高熱が出るというのは、
間違いなく土蜘蛛の呪いであった。
続けて触診すると、真希の胸にしこりがある。
真希のように妊娠したことがない女性の場合、
乳腺が炎症を起こしている場合が多かったが、
これは恐らく新生物(癌)だろう。
更に、肝の臓もひどく腫れており、
ここにも新生物が進出しているに違いない。
ここまで新生物が進出(転移)していると、
治療のしようがないのが現実だったのである。
真希の状態を診る限り、もはや手遅れのようだ。
私は真希の死期が近いことを悟る。
とりあえず尾張に戻り、真希の意向によって、
彼女の死に場所を選ぼうと思っていた。
尾張に到着すると、事前に知らせを受けていた亜依が出迎えた。
真希の意識は回復せず、三日三晩の昏睡を経て、ようやく眼が覚める。
比較的、元気に起きたのだが、すでに真希の表情には死相が現れていた。
小康状態にこそなっていたものの、恐ろしい土蜘蛛の呪いは、
確実に真希の体を蝕んでいたのである。
「真希、どこへ行きたい?」
私が聞くと、真希も感じ取ったようだ。
もう自分の命は幾許も無いことを。
真希は寂しそうに微笑むと、亜依の手を握った。
そして私に向かって正直に話し出したのである。
「紗耶香さん、大和に帰りたいな」
あれほど戻るのを嫌がっていた真希だったが、
もう最後の旅だと思うと、故郷が恋しくなったようだ。
それは当然のことであるから、私は驚かなかった。
真希は生まれ故郷で死にたがっている。
「それじゃ、明日にでも出かけようじゃないか」
「・・・・・・うん」
真希は笑顔で微笑んだが、その顔は寂しそうだった。
彼女は亜依の同行を許さなかったばかりか、
養子の子供たちも連れて行く気ではない。
どうやら少人数で行き、大和の自宅で死にたいようだ。
そんな真希が痛々しくて、私は胸が張り裂けそうになる。
真希は今、死出の旅に向かおうとしていた。
《安倍の最期》
出羽胆沢の安倍のもとに知らせが入ったのは、
木々の葉が落ち、初雪が降り始めた頃であった。
安倍は出雲の圭が死んだことを聞くなり、
不自由な体で小躍りをして喜んだのである。
その様子を何気なく見ていた家臣たちは、
安倍のはしゃぎように、首を傾げていた。
「狛犬が死んだべさァァァァァァァー!残りは猿だけっしょ!
なっちが得意のあ・ん・さ・つ、使っちゃおうかな?うふっ」
安倍は二人の子供を産み、三人目を身篭っている。
これで安倍一族の今後は安泰であったが、
彼女が執拗に画策するリベンジには成功していない。
安倍の計画では、毛野の大和進駐軍を壊滅させ、
関東平野を領有化することが一番だと思われた。
すでに安倍は鉄器の製造技術を会得していたし、
大陸から兵法学者を招いて最新の技術をマスターしている。
まともに戦をしたことのない大和進駐軍では、
安倍の率いる奥羽連合軍に勝てるわけがなかった。
「奥羽全体で二十万石突破だべか。チャンス到来っしょ!」
安倍の熱心な技術改革のお陰で、奥羽に稲作を普及できている。
本来、熱帯植物である稲は、寒冷地帯の奥羽では栽培ができなかった。
そこで彼女は時期をずらし、温かくなってから田植えをすることにする。
これで行くと、収穫時期が霜の降りる頃だったが、充分に食べることができた。
こうして食糧の安定供給が始まると、一気に人口が増えて行ったのである。
「残りは日本武尊と猿だけだべさ。一気に暗殺しちゃおうかな?」
安倍は奥羽を統一するため、敵対する部族長を暗殺して来た。
そのために刺客部隊を編成していたのだが、最終的には、
日本武尊と大和大王を暗殺するのが目的だったのである。
自分の野望を悉く打ち砕いた日本武尊、
自分の片足を奪った市井猿楽紗耶香、
そして自分を嵌めた大和の大王。
この三人だけは、絶対に殺さなければ、
安倍の気がすまなかったのだ。
「さて、おほん!刺客部隊、集合するべさ」
安倍が号令すると、七人の刺客が整列した。
手裏剣の名手、吹き矢の名手、弓の名手、槍の名手、
剣の名手、毒の名手、そして空手の名手である。
どの刺客も安倍が数年をかけて育てた者であり、
その能力は折り紙付であった。
「時期が来たべさ。市井猿楽、そして日本武尊を殺しておいで」
「はっ!」
七人の刺客は風のように城を出て行った。
日本武尊が死んだら、もう怖いものはない。
関東平野を平定したら、そこを足場に、
北陸道・東山道・東海道を進めば良い。
尾張・近江で集結し、一気に大和を攻撃する。
残った国などは、後からゆっくり攻め落とせばいい。
まだ安倍は第二、第三のリベンジ計画をたてていた。
「嬉しいことがあると、腹が減るもんだべさ。
誰か、山葡萄汁と焼肉を持って来て」
安倍が侍従に焼肉を要求するとすぐに、
厨房から骨付きカルビやハツ、タンなどが運ばれて来た。
そして、よく冷えた山葡萄汁が目の前の食卓に置かれる。
炭火が運ばれて来ると、安倍は嬉しそうに肉を焼き始めた。
香ばしい香りがたちこめ、安倍は涎を啜る。
その時、炭火を弄っていた女が、火箸で安倍の腹を突いた。
「あがっ!」
気づかないでいたが、鋭く尖った火箸の先は、安倍の背中にまで達していた。
激痛に顔を顰める安倍は、ここで自分の死を悟ったのである。
安倍は火箸を抜こうとするが、深く刺さっているため、びくともしなかった。
彼女を刺した女は、被っていた頭巾と上着を脱ぎ捨てる。
露となった女の肩や背中には、生々しい傷跡があった。
「お前は・・・・・・」
「やっと仇を討てた。・・・・・・地獄に落ちろ」
何と、安倍を刺した女は、死んだはずのりんねだった。
彼女は瀕死の重傷を負ったが、無事だったまいに助けられる。
だが、まいはりんねを担いで逃げる途中、弓で射られて川に転落。
最後の力を振り絞って、りんねを川岸に揚げたのだった。
りんねはその後、故郷の出羽に戻って、復讐を待ち続ける。
そして、ついに胆沢城の女房(厨房を手伝う女性)になった。
こうして安倍を襲う機会を覗っていたのである。
「もうじき・・・・・・子供が生まれるのに・・・・・・」
「そうなると二人分ね。あさみ、まい、そしてお姉ちゃん。
こっちは三人だから、まだお釣が来るわ。じゃあね」
りんねは隠し持っていた小さな刃物で、安倍の喉を切り裂いた。
安倍は血を噴き出しながらテーブルに倒れ込み、
二度と起き上がることはなかった。
野望のために多くの人を犠牲にして来た安倍の、
ほんとうに呆気ない最期である。
「うっ、女王様!」
こときれた安倍を発見した侍従は、りんねに襲い掛かった。
りんねは侍従をかわして逃げようとしたが、衛兵に囲まれてしまう。
目的を果たしたりんねに迷いはなかった。
自分の首を掻き切って、自殺を遂げたのである。
こうして安倍は野望を果たせずに死亡してしまった。
しかし、彼女の産んだ二人の子供によって、
安倍一族はこの後、七百年も繁栄するのである。
安倍の意思は代々の当主に受け継がれて行き、
前九年の役・後三年の役まで朝廷に逆らうことになる。
また、平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明も、
彼女の子孫であったのは言うまでもない。