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320ブラドック
≪死期近し≫

 私は真希と事前に会い、圭が重傷である旨を告げた。
それを聞いた真希は心配して圭に会いたがっていたが、
私は嫌がる彼女を強引に出雲女王代理のところへ連れて来る。

「そんな女王代理なんて、後で会えばいいじゃん。
あたしは圭ちゃんのところへ行くの!」

真希は唇を尖らせて私を睨んでいた。
彼女にしてみれば、身内同然の圭が心配でならない。
だが、出雲女王代理に就任した彩は、実の姉なのである。
懐かしい妹の顔を見て、彩は思わず真希に駆け寄った。

「真希!元気そうだね。立派になって・・・・・・」

聞き覚えのある声に、真希は驚いて彩を見る。
その声は十七年も一緒に暮らした姉の声だった。
怒りに任せて彩を簀巻きにし、川へ放り込んで以来、
音信不通だった姉の彩に間違いない。

「お姉ちゃん?」

真希は信じられないような顔で彩を見た。
やはり、怒りにまかせて彩を叩き出したことを、
彼女はこれまでずっと悔いていたようである。
感極まった真希は痩身の彩に抱きつくと、
声を上げて泣き出してしまった。
321ブラドック:02/08/01 12:45 ID:30dvVxww
「ごめんなさい。あたし、お姉ちゃんにひどいことを・・・・・・生きてて良かった」
「あたしも悪かった。大王への反抗だったのに、あんたにまで嫌な思いをさせて」

二人はもう子供ではない。
彩は真希を恨んだ時期もあったが、
因幡で苦労をし、自身の甘さを痛感していた。
こういった試練を科してくれた真希に、
いつの間にか感謝するようになって行ったという。
一方の真希は、実姉を叩き出したという事実を悔い、
十年間も悩み苦しんでいたのである。
互いに姉妹であるからこそ、思いが通じた瞬間だった。
彩は真希を抱きしめながら、圭の死を語り始める。
本当に手に汗を握る緊張の時だった。

「真希、残念なことを言わなきゃいけないの。圭が今さっき、亡くなったわ」
「ええっ!」

驚く真希の頭を撫でながら、
彩は彼女を圭の遺体と対面させた。
私は密かに真希の背後へつく。
もし真希が覚醒を始めたら、
この場で殺さなければならない。

「圭ちゃん・・・・・・」

真希は大粒の涙を零していたが、覚醒を始める気配はなかった。
やはり、彩に対してのトラウマが、ある程度癒えたためだろう。
私は真希に圭の遺髪を渡し、壮絶な最期を話して聞かせた。
322ブラドック:02/08/01 12:46 ID:30dvVxww
 翌日、出雲勢は引き揚げて行った。
私たちも野ざらしになったおびただしい死体を
丁寧に埋葬してから尾張に戻ることにする。
指を咥えたままで動けなかった大和軍は、
怒りの矛先を我々に向けて来たものの、
正面から攻撃することなどできなかった。
時折、大きな音のする鏑矢を放って
ウサを晴らすのが限界だったのである。

「紗耶香さん、これで出雲は安泰だよね」

真希は圭が死んだ後の出雲が心配だったようだ。
圭は多くの国民に、心から慕われていたので、
代わる新女王に不安があるのは確実だろう。
しかし、きつい性格の彩であるが立派な大人だ。
それに加え、大王の娘というステータスがある。
更に、因幡での苦労は、決してムダではなかった。
一般的なバランスを手に入れていたのである。

「彩なら上手に経営するだろうな」

圭に比べると大王の長女だけあって、
プライドが高いというところがある。
だが、女王はそのくらいでいいのだ。
圭は政に関しては素人同然だったが、
彩は幼い頃から帝王学を学んでいる。
人望で人を動かしていた圭に対して、
彩は適材適所で動かすことができそうだ。
これから出雲は面白くなる。
323ブラドック:02/08/01 12:46 ID:30dvVxww
「・・・・・・そうだ・・・・・・ね」

真希の声がおかしかったので振り返ると、
彼女は馬上からゆっくりと落ちて行った。
あの乗馬の上手い真希が落馬するなど、
普通の状態では考えられない。
私は慌てて馬から飛び降り、
真希を抱き上げて様子を診た。

「真希!うっ、すごい熱だ」

真希は高熱で意識を失っていたのである。
これだけ高熱が出るというのは、
間違いなく土蜘蛛の呪いであった。
続けて触診すると、真希の胸にしこりがある。
真希のように妊娠したことがない女性の場合、
乳腺が炎症を起こしている場合が多かったが、
これは恐らく新生物(癌)だろう。
更に、肝の臓もひどく腫れており、
ここにも新生物が進出しているに違いない。
ここまで新生物が進出(転移)していると、
治療のしようがないのが現実だったのである。
真希の状態を診る限り、もはや手遅れのようだ。
私は真希の死期が近いことを悟る。
とりあえず尾張に戻り、真希の意向によって、
彼女の死に場所を選ぼうと思っていた。
324ブラドック:02/08/01 12:47 ID:30dvVxww
 尾張に到着すると、事前に知らせを受けていた亜依が出迎えた。
真希の意識は回復せず、三日三晩の昏睡を経て、ようやく眼が覚める。
比較的、元気に起きたのだが、すでに真希の表情には死相が現れていた。
小康状態にこそなっていたものの、恐ろしい土蜘蛛の呪いは、
確実に真希の体を蝕んでいたのである。

「真希、どこへ行きたい?」

私が聞くと、真希も感じ取ったようだ。
もう自分の命は幾許も無いことを。
真希は寂しそうに微笑むと、亜依の手を握った。
そして私に向かって正直に話し出したのである。

「紗耶香さん、大和に帰りたいな」

あれほど戻るのを嫌がっていた真希だったが、
もう最後の旅だと思うと、故郷が恋しくなったようだ。
それは当然のことであるから、私は驚かなかった。
真希は生まれ故郷で死にたがっている。

「それじゃ、明日にでも出かけようじゃないか」
「・・・・・・うん」

真希は笑顔で微笑んだが、その顔は寂しそうだった。
彼女は亜依の同行を許さなかったばかりか、
養子の子供たちも連れて行く気ではない。
どうやら少人数で行き、大和の自宅で死にたいようだ。
そんな真希が痛々しくて、私は胸が張り裂けそうになる。
真希は今、死出の旅に向かおうとしていた。
325ショックを受けたブラドック:02/08/01 19:02 ID:BSBjXJh2
《安倍の最期》

 出羽胆沢の安倍のもとに知らせが入ったのは、
木々の葉が落ち、初雪が降り始めた頃であった。
安倍は出雲の圭が死んだことを聞くなり、
不自由な体で小躍りをして喜んだのである。
その様子を何気なく見ていた家臣たちは、
安倍のはしゃぎように、首を傾げていた。

「狛犬が死んだべさァァァァァァァー!残りは猿だけっしょ!
なっちが得意のあ・ん・さ・つ、使っちゃおうかな?うふっ」

安倍は二人の子供を産み、三人目を身篭っている。
これで安倍一族の今後は安泰であったが、
彼女が執拗に画策するリベンジには成功していない。
安倍の計画では、毛野の大和進駐軍を壊滅させ、
関東平野を領有化することが一番だと思われた。
すでに安倍は鉄器の製造技術を会得していたし、
大陸から兵法学者を招いて最新の技術をマスターしている。
まともに戦をしたことのない大和進駐軍では、
安倍の率いる奥羽連合軍に勝てるわけがなかった。

「奥羽全体で二十万石突破だべか。チャンス到来っしょ!」

安倍の熱心な技術改革のお陰で、奥羽に稲作を普及できている。
本来、熱帯植物である稲は、寒冷地帯の奥羽では栽培ができなかった。
そこで彼女は時期をずらし、温かくなってから田植えをすることにする。
これで行くと、収穫時期が霜の降りる頃だったが、充分に食べることができた。
こうして食糧の安定供給が始まると、一気に人口が増えて行ったのである。
326ショックを受けたブラドック:02/08/01 19:03 ID:BSBjXJh2
「残りは日本武尊と猿だけだべさ。一気に暗殺しちゃおうかな?」

安倍は奥羽を統一するため、敵対する部族長を暗殺して来た。
そのために刺客部隊を編成していたのだが、最終的には、
日本武尊と大和大王を暗殺するのが目的だったのである。
自分の野望を悉く打ち砕いた日本武尊、
自分の片足を奪った市井猿楽紗耶香、
そして自分を嵌めた大和の大王。
この三人だけは、絶対に殺さなければ、
安倍の気がすまなかったのだ。

「さて、おほん!刺客部隊、集合するべさ」

安倍が号令すると、七人の刺客が整列した。
手裏剣の名手、吹き矢の名手、弓の名手、槍の名手、
剣の名手、毒の名手、そして空手の名手である。
どの刺客も安倍が数年をかけて育てた者であり、
その能力は折り紙付であった。

「時期が来たべさ。市井猿楽、そして日本武尊を殺しておいで」
「はっ!」

七人の刺客は風のように城を出て行った。
日本武尊が死んだら、もう怖いものはない。
関東平野を平定したら、そこを足場に、
北陸道・東山道・東海道を進めば良い。
尾張・近江で集結し、一気に大和を攻撃する。
残った国などは、後からゆっくり攻め落とせばいい。
まだ安倍は第二、第三のリベンジ計画をたてていた。
327ショックを受けたブラドック:02/08/01 19:03 ID:BSBjXJh2
「嬉しいことがあると、腹が減るもんだべさ。
誰か、山葡萄汁と焼肉を持って来て」

安倍が侍従に焼肉を要求するとすぐに、
厨房から骨付きカルビやハツ、タンなどが運ばれて来た。
そして、よく冷えた山葡萄汁が目の前の食卓に置かれる。
炭火が運ばれて来ると、安倍は嬉しそうに肉を焼き始めた。
香ばしい香りがたちこめ、安倍は涎を啜る。
その時、炭火を弄っていた女が、火箸で安倍の腹を突いた。

「あがっ!」

気づかないでいたが、鋭く尖った火箸の先は、安倍の背中にまで達していた。
激痛に顔を顰める安倍は、ここで自分の死を悟ったのである。
安倍は火箸を抜こうとするが、深く刺さっているため、びくともしなかった。
彼女を刺した女は、被っていた頭巾と上着を脱ぎ捨てる。
露となった女の肩や背中には、生々しい傷跡があった。

「お前は・・・・・・」
「やっと仇を討てた。・・・・・・地獄に落ちろ」

何と、安倍を刺した女は、死んだはずのりんねだった。
彼女は瀕死の重傷を負ったが、無事だったまいに助けられる。
だが、まいはりんねを担いで逃げる途中、弓で射られて川に転落。
最後の力を振り絞って、りんねを川岸に揚げたのだった。
りんねはその後、故郷の出羽に戻って、復讐を待ち続ける。
そして、ついに胆沢城の女房(厨房を手伝う女性)になった。
こうして安倍を襲う機会を覗っていたのである。
328ショックを受けたブラドック:02/08/01 19:04 ID:BSBjXJh2
「もうじき・・・・・・子供が生まれるのに・・・・・・」
「そうなると二人分ね。あさみ、まい、そしてお姉ちゃん。
こっちは三人だから、まだお釣が来るわ。じゃあね」

りんねは隠し持っていた小さな刃物で、安倍の喉を切り裂いた。
安倍は血を噴き出しながらテーブルに倒れ込み、
二度と起き上がることはなかった。
野望のために多くの人を犠牲にして来た安倍の、
ほんとうに呆気ない最期である。

「うっ、女王様!」

こときれた安倍を発見した侍従は、りんねに襲い掛かった。
りんねは侍従をかわして逃げようとしたが、衛兵に囲まれてしまう。
目的を果たしたりんねに迷いはなかった。
自分の首を掻き切って、自殺を遂げたのである。

 こうして安倍は野望を果たせずに死亡してしまった。
しかし、彼女の産んだ二人の子供によって、
安倍一族はこの後、七百年も繁栄するのである。
安倍の意思は代々の当主に受け継がれて行き、
前九年の役・後三年の役まで朝廷に逆らうことになる。
また、平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明も、
彼女の子孫であったのは言うまでもない。