《使者への暴力》
少しすると、真希から伝令がやって来た。
とうとう出雲軍と浪速軍が激突したという。
これは間違いなく一刻を争う事態である。
そこで私は単身、真希のもとに向かった。
真希たちまで浪速軍と戦おうものなら、
それこそ、小心者で狡猾な大和の大王に、
日本武尊討伐の大義名分を与えてしまうからだ。
「真希、ここは何とかする。お前は大和に備えてくれ」
「でも!」
「次に大和の使者が来た時は、お前を指名して来るぞ」
私は真希を対大和軍の陣へ戻してしまった。
なぜなら、この地で圭が死ぬことを、
私は以前から感じていたからである。
それはほぼ間違いなかったが、
私はできる限りのことをしたかった。
「紗耶香様、出雲勢は苦戦しております」
私は特殊能力を使って、最前線を目視してみた。
そこでは二千張の弓の前で、出雲勢が次々と斃れている。
やはり、いいタイミングで退路を断った浪速軍の方が、
圧倒的に有利な地形に弓隊を布陣してあったからだ。
圭の率いる槍隊は圧倒的な破壊力を持っていたが、
相手が飛び道具となると話は別である。
ここは浪速軍に退却してもらうしかない。
「出雲の本陣へ伝令!兵を引かせろ!」
私は圭に兵を引かせ、浪速軍と交渉することにした。
こんな中途半端な時期に姿を現した浪速軍としても、
大和の大王に命令されて嫌々出て来たに違いない。
浪速軍は、ここまで大和に義理を果たしたのだから、
ここで引き揚げたとしても問題にはならないだろう。
問題なのは、むしろ頭に血が昇っている圭だった。
「浪速軍からの御使者でございます!」
私が部下に細かく指示を出していると、浪速軍から使者がやって来る。
こっちから使者を送ろうと思っていたので、送る手間が省けた。
使者は偉そうに床几に腰を降ろし、私を威嚇するように睨んでいる。
目つきが気に入らないので、ヤキを入れてやろうかと思ったが、
浪速軍の代表であるため、とりあえず話だけでも聞いてみることにした。
「これは猿楽殿、早速だが、何で出雲勢を攻めんのだ」
「それが使者の口上か!」
私は頭に来て立ち上がると、徐に使者の胸を蹴った。
使者は一回転して、うつ伏せの姿勢で地面に落ちる。
鼻血を出しながら土埃塗れの顔を上げる使者の頭を、
私は非情にも土足で踏みつけた。
高飛車な使者の態度を見て、私の腹は決まった。
浪速軍は本気で圭を抹殺しようとしている。
そうなれば、浪速軍を脅すしかなかった。
「何をするかァァァァァァァー!」
使者は侮辱を受け、怒りに眼を剥いた。
しかし、戦場で試練を積んで来た私にとって、
どんな使者が暴れようと、全く平気である。
「口の利き方に気をつけろ!私は大王の家来ではない!この大馬鹿者!」
私は使者を立たせると、胸倉を掴んで突き飛ばした。
再び地面を転がる使者を、私の部下の一人が受け止める。
ここはひとつ、思いきり使者を脅かしてやることにした。
私は太刀を抜くと、怯えた使者の首に突きつける。
「いいか?自陣へ戻ったら、すぐに全軍を撤退させろ。
日本武尊軍の邪魔をする輩は、容赦なく踏み潰すぞ」
「じゃ・・・・・・邪魔など、しておらん!」
私は太刀を持ち替え、使者の顔面を殴った。
使者というのは総大将の代理なのである。
つまり、使者への待遇は基本的に、
総大将と同じでなけれなばらない。
その使者を平気で殴る私の行為は、
浪速軍総大将へのそれとみなされる。
私もさすがに浪速国王の使者には、
ここまでの仕打ちをすることはできない。
だが、部隊指揮官の使者程度であれば、
立場はあきらかに私の方が上なのである。
使者を虐待するのは、浪速軍への敵対行為だが、
この場の指揮権に関しては真希の方が優先だった。
「出雲軍は国に戻す。それが日本武尊の意思である。
事あらば、日本武尊軍が出雲まで攻め入ってくれるわ!」
「しかし・・・・・・」
使者は強情だった。
本気で首を刎ねてやろうかと思うほどである。
だが、こいつも浪速軍の総大将から言い含められて来たのだろうから、
まさか、手ぶらで帰るなんてことができないに違いない。
しかし、ここで甘い顔はできなかった。
何しろ、圭の命がかかっているからだ。
「無駄な戦は日本武尊がお許しにならん。
日本武尊への叛逆行為は、どうなるか分かっているのか?」
「ま・・・・・・まさか、熊襲!」
使者が眼を剥いて震え出した。
日本武尊の武勇伝は伝説になりつつあるが、
その徹底した破壊と殺戮は事実である。
正直なところ、真希が最後の覚醒をすれば、
浪速も大和も破壊し尽くされるだろう。
だからこそ、ここで真希を覚醒させてはいけないのだ。
「そうなってからでは、遅いとしか言いようがない」
市井家としても、魅力的な浪速の市場をなくすのは忍びない。
浪速軍に退いてもらえれば、こんなに楽なことはなかった。
浪速軍にはプライドもあるだろうが、ここは平和解決が望ましい。
大和を壊滅させた方が得策だとは思っていたものの、
浪速が退路を断ったともなると、圭も穏やかな心で対処すべきだ。
「それでも良いのなら、私は何も言わん」
「わ・・・・・・分かり申した!・・・・・・撤退じゃァァァァァァー!」
使者は転がるように飛び出して行った。
周囲の部下たちは、思わず吹き出している。
私が使者を虐待したことに不安を感じていたようだが、
浪速と市井家とのつながりは強いので心配はない。
海産物と海運を一手に取り仕切る市井家は、
吉備や浪速と持ちつ持たれつの関係だった。
「紗耶香様!出雲勢に動きがあります!」
私は部下の報告を受けて、出雲軍の様子を見た。
すると、陣形が徐々に変化しているではないか。
何と、鋒矢の陣を目指しているようだ。
地形を考えて拡翼の陣を張る浪速軍に対し、
圭は強行突破しようとしている。
私は圭の『気』を読んでみた。
「そんな・・・・・・」
圭は我々が充分に戦えないことを悟り、
浪速軍と刺し違える覚悟であった。
弓隊を主力とした浪速軍との戦いは、
圧倒的に不利であるのにもかかわらず。
このままでは、出雲軍は全滅してしまうだろう。
「全軍、浪速軍と出雲軍の中間へ移動するぞ!」
私は大急ぎで圭に使者を送り、準備ができた者から移動を開始させた。
《狛犬の生き方》
我々が出雲勢と浪速勢の中間に達した時、すでに戦闘が始まっていた。
私は仕方なく、出雲・浪速両軍の横から攻撃を仕掛けてみる。
出雲兵は驚いて逃げて行くが、浪速軍は反撃して来た。
「仕方ない。圭を見殺しにはできないからな」
私は浪速軍に攻撃を始めた。
我が方は少人数でこそあるが、
痩せても枯れても日本武尊軍である。
さすがの浪速軍も怯えて逃げ出し、
再び陣を構えて動かなくなった。
浪速軍に戦闘を仕掛けたのであるから、
大和への叛逆行為と言われても仕方ない。
だが、いくらでも申し開きできる内容を、
私は予め色々と考えていたのだった。
「紗耶香ー!」
振り返ると、圭が泣きながら走って来る。
私は圭を抱きしめ、話を聞いてみた。
すると、圭の許婚が戦死したという。
私はそれで納得した。
なぜ、圭が捨て身の戦法に出たのか。
彼女は許婚が死んで自暴自棄になっている。
圭には酷だったが、ここは諭すしかない。
そうでないと、罪もない出雲兵を殺すことになるからだ。
「お前は一国の女王だろう?しっかりするんだ」
私が話をしていると、浪速軍に動きがあった。
どうしたのかと思って圭と二人で見ていると、
浪速軍は何かに怯えて蹴散らされているらしい。
私は可視能力を増幅して、敵陣か観察する。
「あれは真希!」
何と、真希が数百人の兵で、浪速軍を攻撃しているのだ。
真希は最強の武将であるが、多勢に無勢で苦戦している。
一刻も早く支援しなければ、真希の命にもかかわった。
私が兵を動かそうとすると、それを阻止して圭が槍隊を押し出す。
「続けー!」
圭は白刃を抜くと、三千の槍隊を率いて突撃を始めた。
優しい圭のことであるから、真希を見殺しにはできない。
だが、これは自殺行為である。私は圭の後を追った。
「圭!気をつけろ!弓隊が隠れてるぞ!」
私がそう叫んだ瞬間、敵の弓隊が現れて攻撃して来た。
圭の率いる槍隊の中で、五百人程度が昏倒する。
圭は更に突撃させようとするが、こんな無謀な突撃は無意味だった。
ここは何としてでも圭に引かせなくてはならない。
あと三回の攻撃を受けると、槍隊は全滅してしまう。
「くっ!後詰を繰り出せ!」
圭は決して後退させず、更に後詰部隊を投入し、
とにかくむりやりにでも押し切ろうとしていた。
しかし、二千もの浪速精鋭弓隊の前に、
次々と出雲兵の屍の山が築かれて行く。
それでも真希を救いたい圭は絶対に諦めず、
自ら先頭に立って突撃して行ったのである。
私たちも、真希が危険な状態だったので、
とにかく夢中で敵に飛び込んで行った。
総大将である真希を何とか救おうという気持ちが、
全員を勇敢にさせ、浪速弓隊に気力で勝って行く。
こうして我々は敵の懐に突入し、
接近戦に持ち込むことに成功したのである。
「遠慮はいらん!暴れてやれ!」
接近戦になったら、もう我々のペースである。
浪速の弓隊は大混乱になって逃げ出し始めた。
私が細かく敵掃討の指揮を出していると、
そこへ圭がやって来る。
何とか敵の阻止線を突破し、とても満足そうだった。
「紗耶香、浪速と戦わせちゃったね」
圭は我々も叛逆者としての汚名を着たことを気にしていた。
だが、そんなことなど、大した問題ではないのである。
現場での最高権限者である日本武尊の指示に従わなかったのだ。
大和や浪速が何と言おうと、私はこれで押し通す。
「何を言うんだ。私たちの仲じゃない・・・・・・」
私がそう言いかけた時、どこからか数本の矢が飛来した。
その矢は圭の腕に浅く突き刺さっている。
私は反射的に伏せて、あたりの様子を覗った。
圭は「痛いな」と言いながら、矢を引き抜いている。
流れ矢のようだが、敵が付近に潜伏しているかもしれない。
それは、私が圭に「伏せてろ」と言おうとした直前だった。
更に数本の矢が飛んで来て、圭に突き刺さったのである。
今度は深く刺さっており圭は膝をついてしまった。
「圭!」
私は圭を引き寄せ、容態を診る。
二本の矢が胸に深く刺さっており、
これが致命傷になるだろう。
そんなことは信じたくなかったが、
私は圭の耳元で、正直に言った。
圭には嘘がつけなかったからである。
「だめだ。もう・・・・・・」
すると圭は笑顔で頷き、私の手を握った。
圭の気持ちは痛いほど良く分かる。
許婚が戦死し、すでに生きる気力もない。
こなまま無事に出雲に戻ったところで、
大王は執拗な圧力をかけて来るだろう。
圭は死に場所を探していたのである。
「ありがとう、紗耶香・・・・・・真希を頼むね。
最期にお願いがあるの・・・・・・楽にしてくれない?」
圭は私にトドメをさせと言っているのだ。
私たちの周囲には、圭を心配する者が集まっている。
圭はもう助からないが、私が息の音を止めるのは憚られた。
しかし、圭の最期の願いである。
「分かった」
私は太刀を抜くと、圭の心臓に宛がった。
圭は太刀の刃を握り、嬉しそうに頷く。
溢れる涙が圭の頬に落ち、彼女は言った。
「泣かないで、紗耶香。これがあたしの運命だったのよ」
「さらばだ。・・・・・・圭」
私は太刀に体重をかけた。
太刀は圭の心臓を貫き、彼女は即死する。
同時に周囲からすすり泣く声が上がった。
私は太刀や矢を全て引き抜くと、
血塗れの圭を抱きしめて泣き叫んだ。
以前、圭が死ぬ未来予知をしたことがある。
その時、圭にトドメを刺す人間の顔が見えなかった。
見えないのは当然である。それは私だったのだから。
やがて、真希が浪速軍を駆逐したとの報告が入り、
私は周囲の出雲兵たちに、何をすれば良いのかを伝えた。
まず、圭が死んだことは大和に隠さねばならない。
そして、このまま出雲に引き揚げるのだ。
大和から詰問の使者が来ようと誰が来ようと、
圭は重傷であるとして、一切面会を断らなければならない。
そして何より、真希にだけは隠し続けなければならなかった。
そうでないと、真希は確実に覚醒し、須佐男命になってしまう。
「真希は私が何とかする。急いで出雲へ引き揚げろ」
私は圭の遺髪を受け取り、彼女の遺体を布に包んだ。
そして、数人の重臣を呼んで、以降の対応を教える。
大和への対応ができていれば、数年は対処することが可能だ。
いよいよごまかしきれなくなったら、死亡したと公表すれば良い。
「猿楽様、宮様はいったい?」
「何でもない。宮様のことは詮索するな」
「紗耶香様、『少々愛』、楽しみにしていたのに・・・・・・」
はらはらと落涙する出雲の重臣の肩を叩き、
私は「頼んだぞ」とくりかえした。
圭が死亡した以上、誰かを国家主席に据える必要がある。
暫くは女王代理として働ける根性の据わった者だ。
そう思っていると、私の横から迫力のある声がする。
「あたしが暫く代理をやるよ」
そう言って来たのは、鼻ピアスをした痩身の女である。
どこかで見た記憶はあったが、誰なのか分からなかった。
すると女は私の手を取り、笑顔で話しかけて来る。
「客将の身分だけど、背に腹は換えられないでしょう?」
「い・・・・・・石黒宮彩比売(いしぐろのみやあやのひめ)!」
真希に放逐された彩であった。何という幸運なのだろう。
彩が女王代理であれば、大和の使者など簡単にあしらうことができる。
何しろ大王の娘であるから、彼女に意見できるのは貴子くらいだ。
誰も反対する者はいなかった。重臣たちは彩に頼もうと思っていたらしい。
彩が出雲の女王代理、いや、新女王になったとすると、圭の死が発表される。
真希がそれを知ったら、恐らく覚醒を始めてしまうに違いない。
散々考えた挙句、彩と真希を対面させ、そこで圭の死を知らせようと思った。
真希にしても、自分が殺してしまったと思っていた彩との対面は嬉しいだろう。
どこまで効果があるか分からないが、真希が覚醒を始めたら私が殺す。
私は決心して彩に詳しいことを相談した。
「真希・・・・・・何だかんだ言っても姉妹だしね。あたしの口から話してみる」
彩はもう、親に反抗する子供ではなかったので、私は安心して任せることにする。
これで真希の覚醒がなかったとしたら、恐らく一生、三度目の覚醒はないだろう。
「うん、確かに真希は普通じゃなかった。でも、須佐男命の化身とは・・・・・・」
「あたしも最初に聞いた時は、我が耳を疑ったくらいだ」
こうして私たちは、真希を迎え入れる準備をしたのだった。