《説得》
圭は近江の伊吹山に陣を張っていた。その数は一万五千にも及んでいる。
私たちは一万二千の軍勢を率いて、紅葉に色づく伊吹山に接近した。
圭の軍勢には、何といっても無敵の破壊力を誇る槍隊が存在している。
うかつに戦おうものなら、屍の山を築くだけとなってしまうだろう。
ここは地形を選んで陣を張り、圭が動くのを待つしかない。
「圭ちゃん、引いてくれるかなあ」
真希は不安で仕方ない様子だ。
圭としては、我々と戦うとは思っていないだろう。
ここで戦うことになれば、圭は逆上するに違いない。
それは間違いなく圭の最期を意味していた。
圭を逆上させないためには、説得するしかないだろう。
私は陣をしき終えると、不安そうな真希に話をした。
「真希、圭の陣へ行ってみよう。話をするんだ」
「うん!」
真希は嬉しそうに頷くと、つないでいた馬に飛び乗った。
私も自分の葦毛馬に飛び乗ると、伊吹山へと駆け出す。
伊吹山にさしかかると、数人の兵士が飛び出して来る。
全員が私たちに槍を向けており、私はいちおう身構えた。
真希がいれば安心だったが、万が一ということもある。
「何者・・・・・・げげー!後藤宮様に猿楽様!」
「あははははは・・・・・・圭は元気か?案内を頼む」
「はっ!こちらへ」
兵士たちは馬の轡を掴むと、裏道を登って行った。
恐らく表通りには仕掛けがしてあるのだろう。
夕刻になって肌寒くなった頃、ようやく圭の本陣に到着する。
私と真希は馬から飛び降り、あたりの様子を覗った。
「御大将!後藤宮真希比売様、市井猿楽紗耶香比売様でございます!」
私の馬の轡を引いていた男が、大声で怒鳴りながら陣幕の中へ入って行った。
すると、入れ違いに、すごい勢いで狛犬が飛び出して来たではないか。
私は思わず太刀に手をかけたが、それはまぎれもなく圭だった。
「真希!紗耶香!」
圭は私と真希を見つけると、突進して来て抱きついた。
久しぶりに圭の顔を見るが、相変わらずの狛犬顔である。
圭は口を大きく開けて笑うクセがあった。
そのため、慣れない頃は、噛みつかれるのかと思ってしまう。
「夕餉はまだでしょう?大したものはないけど、一緒に食べようよ」
圭は私と真希を陣幕の中へと連れて行った。
真希は悲しそうに私の顔を見る。私も気付いていた。
圭たちの食糧は、あと二日ももたないのである。
つまり、急いで引き揚げるか、大和に攻め込むしかないのだ。
それほど深刻な状況だからこそ、挙兵したに違いない。
「圭、兵糧は腐るほど持ってきたよ。持てるだけ持って行ってくれ」
私は荷駄の木簡を圭に差し出した。
圭は木簡を受け取ると、その量の多さに仰天する。
普通、兵士一人あたり、一日に一升の米を用意した。
戦が十日なら一斗、百日なら一石となる。
このうち、半分は前払い。つまりギャラであった。
そうなると、実際に持って来るのは、二日で一升である。
十人で一斗、百人で一石、千人で十石、一万人で百石だ。
現在、圭たちの食糧は、百五十石しかないのである。
私たちは牛の荷駄隊を引連れていたので、軽く一万石は積んで来ていた。
女子供であれば、一年間で一万人分の食糧である。
「圭ちゃん、これで引いてくれない?」
「えっ?」
圭は信じられないような顔で真希を見つめた。
一緒に大和へ攻め込むつもりでいた圭にとっては、
真希の言葉は青天の霹靂だったに違いない。
「何言ってんのよ。今、大和に攻め込めば、あたしたちの国になるんだよ」
圭は苦笑しながら、私と真希を交互に見た。
真希は今にも泣きそうな顔で圭を見つめている。
貴子が言うように、圭には野望があった。
圭はどうしても真希を大王にして、
連合王国の樹立を狙っていたのである。
だがそれは、これまでに大和が採った、
理不尽な行為への反感から来ていた。
「圭、まだ時期じゃない。ここはいったん、兵を収めてくれないか?」
私は圭を説得しながら、貴子が言った事を思い出していた。
「もう手遅れや」と彼女が言ったのは、未来予知したのだろう。
そうなると、遅かれ早かれ、圭は真希に討たれるに違いない。
しかし、そんな未来は嫌なので、私は最善の努力をしてみる。
とにかく、悔いが残らないようにしたかったのだ。
「紗耶香、本気なの?」
圭は大きな眼を剥いて私を睨んだ。
これまで散々泣かされて来た彼女にしてみれば、
大和を潰す絶好の機会を提供した気になっている。
私の本心としては、大和を潰しておいた方が、
後々のことを考えると、正解であると思った。
だが、謀叛で大和を潰したともなれば、
傘下各国では互いの利権争いが勃発するだろう。
そうなったら、虎視眈々とリベンジを狙う安倍が、
好機とばかりに奥羽の兵を率いて南下するに違いない。
各国の思惑が一致しない、群雄割拠となった状態では、
安倍の侵攻を撃退するのは不可能だった。
「圭、一年いや、半年だけ待ってくれ。その間に安倍を殺して来る」
安倍さえ殺せば、列島から当面の敵がいなくなる。
そうなった時、あらためて考える方が良かった。
奥羽が平定されれば、大和は治安維持の軍勢を送らねばならない。
その隙を突いた方が、確実に大和を倒す事ができた。
「分かった。でも、あたしは諦めないよ。あたし達の国」
圭は頭がいい。納得してくれたようだ。
彼女の『野望』とは、自ら大王になることではない。
大和のような過度の搾取国家を排除し、
共存共栄の理想郷を創ることだった。
確かに搾取で成り立つ大和にしてみれば、
圭の考えは『野望』に違いない。
「圭ちゃん、あたし達は先に帰るけど、陣を解いて米を受け取りに来てね」
真希は勢い良く立ち上がると、嬉しそうに圭に抱きついた。
私と真希は圭の配下の者に轡を預け、伊吹山を下山することにした。
圭の配下の兵といっても、本当に気心の知れた仲間たちである。
何しろ、これまで一緒に戦って来た身内なのだ。
ついつい、思い出話に花が咲いてしまう。
「今じゃ偉そうにしてるけど、槍隊の指揮官だって、元山賊なんだから」
真希は屈託のない笑顔で言った。
初めて圭が率いる山賊に遭った時、
真希が最初に殴り倒したのが、
現在の出雲軍槍隊指揮官である。
そのためか、普段は偉そうな彼は、
今でも真希に頭が上がらない。
真希に何かを言われた時には、
まるでコメツキバッタのように、
幾度も頭を下げていた。
「そういえば、『少々愛』ですが、最近は観ていませんなあ」
『少々愛』は気分が良く、盛り上がった時に演じる即興である。
これまでに何度か披露して来たので、兵の間にも浸透していた。
当然ながら、無礼講の席で演じられるものであるため、
圭には『圭ちゃん』、真希には『ごっつぁん』、
そして私には『かあさん』と掛け声がかかっていた。
圭の方が年上であるのに、なぜ私が『かあさん』なのか。
部下に尋ねてみると、真希が私を呼ぶ時に使う『紗耶香さん』
が訛って『かあさん』になったという説と、
母親のようなことを言うからという説があった。
「また、いつかやりたいものだな」
「そうだね。奥羽を平定した時かな?」
真希が楽しそうに言うと、男たちも「期待しております」と笑顔になる。
そんな話をしながら下山すると、私たちの部下が迎えに来ていた。
戦に来たわけではないので、圭の配下の者たちと、のんびりしている。
「紗耶香様、戻られますか?」
「ああ、話は終わったからな」
私と真希の表情を見て、部下たちは良い結果であると判断したようだ。
後は、圭が陣を解いて我々から食糧を受け取り、帰って行くのを見届けるだけである。
ところが、この後の展開は、誰もが予想だにしないものとなった。