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287ブラドック
《平和解決に向けて》

 私は大急ぎで尾張に戻った。
しかし、真希に何と言ったらいいのか。
私が本気で圭を討つなどと言えば、
きっと真希は、すぐにでも覚醒を始めるだろう。
そうなったが最後、真希はこの島国に誰もいなくなるまで、
敵・味方の区別なく、破壊と殺戮を続けるに違いない。
とにかく、真希を殺すことができるのは、
彼女が信頼しきっている私しかいないのだ。

「真希、真希はいるか?」

私は真希の館に入って行った。
すると亜依が飛び出して来て、
私を奥にある広間へ案内する。
すぐに真希がやって来て、
私の眼の前に座った。

「圭を討たなくてはいけなくなった。すぐに兵を集めろ」
「そんな!」

真希は眼を剥いて震え出した。
これは、まずい前兆である。
このままだと三度目の覚醒をし、
真希は完全に日本武尊と化してしまう。
そこで私は真希を落ち着かせるために、
亜依も呼んで同席させたのだった。
288ブラドック:02/07/27 09:36 ID:WUB15h5h
「真希、誰も圭を討ちたいなんて思ってないんだ。今、圭は近江まで進出しているだろう?
これは挑発なんだ。我々と大和の両方に対して。我々が伊勢に向かえば、まず大和は滅びる。
美濃に向かえば、圭は兵を引くだろう。そうしたら、圭と一緒に嘆願戦法に入ろうじゃないか」

私にしても圭は殺したくなかった。
何だかんだいっても彼女は仲間である。
解決策が見つかれば分かってくれるだろう。
大和に逆らっても無駄なことは、
圭が一番良く知ってるはずだ。

「もし、許してもらえなかったら?」

真希は不安そうに尋ねて来た。確かに不安で仕方ないはずだ。
姉のように慕っている圭を討つことになるかもしれないのだ。
それで不安にならない方がおかしいだろう。
大王のことであるから、簡単には圭を許さないはずだ。
私は圭を九州南部あたりへ、改易の処分を提案するつもりでいる。
温暖な土地であり、台風の影響さえ受けなければ、
二期作、あるいは二毛作も可能であった。

「どうしてもダメだったら、その時は圭と一緒に兵を挙げよう」

恐らく、出雲・吉備・浪速・北陸・東国の連合軍となり、
真希を総大将に五万人は集められるに違いない。
海上は私が塞いでしまうから四国・九州の援軍は絶望的。
恐らく大和は二万人程度しか揃わないだろう。
そんな人数では防戦が精一杯で、大和からは出られない。
大和の権威が落ちれば、大王一族の誰かを掲げて一気に新王朝だ。
289ブラドック:02/07/27 09:36 ID:WUB15h5h
「そうだね。最悪はその手しかないよ」

真希は大きくうなずいたが、どこか寂しそうな顔をしていた。
私は真希の『気』を読んだ事は無い。彼女は純粋で無垢である。
そんな清らかな心を覗くのは、私自身が辛かったのだ。

「圭が兵を挙げたのも、凶作が原因のひとつだ。急いで米を用意しようじゃないか」

私は備蓄米や過剰流通米を中心に米を集める一方で、
それを運ぶ牛の確保にも乗り出して行った。
日本武尊傘下の美濃・尾張・信濃・三河・遠江
そして駿河からかき集め、その量は一万石にも及ぶ。
短時間でこれだけ集まったのだから、最終的には、
これと同じ程度の米が集まることになるだろう。
流通状態が悪い場所では、食糧不足は深刻な問題であり、
二割も収穫が落ちれば、餓死者が出ると言われていた。
そこで二万石を援助すれば、出雲の人口は十万人程度なので、
総人口の約二割分の食糧となるのである。

「兵を集めながら討伐作戦じゃなくて良かったね」

真希は率先して米運びを行い、労働の汗をかいている。
病み上がりであるため、私としてはムリをさせたくなかった。
しかし、真希は体を動かしていないと不安なのだろう。
そういった彼女の気持ちも、私には痛いほどよく分かる。
真希の三人の姉(?)のうち、真里が死んでしまった。
そばにいるのは私くらいなもので、圭は挙兵している。
これで圭に何かあったら、最終的な『覚醒』よりも、
真希の精神が耐えられないのではないだろうか。
彼女の精神が壊れてしまったら、もう誰にも止められないだろう。
その時こそ、この世の終わりなのだった。
290ブラドック:02/07/27 09:39 ID:sAwQsYwn
 食糧の安定した供給が始まると、人口が激増して行く。
平定した頃は十万人程度だったこの土地にも、
現在では二十万人以上が暮らしていたのである。
入植者もいたが、出生率が鰻登りとなって行き、
やたらと子供の数が多くなっていた。
人口が増えれば税収も増えて行くので、
自然と領国経営も楽になるものである。

「紗耶香さん、八千人が集まったよ」

真希が集まった兵の数を報告して来た。
今回は戦ではないので、女子供まで動員している。
武器を持った兵は三千人程度であり、
残りの全員が牛の世話や荷役であった。
貧しい農家では口減らしのために、
生産性のない子供を送り込んで来ている。
例え子供であっても、日当は一日一升の米だった。
少食な子供であれば、一日に二合くらいしか食べないため、
二十日も従軍すれば、一斗六升の米を持ち戻る。
それだけで八十日分の食糧となるのだ。

「まあ、戦じゃないからな。行くとするか」

私たちは大量の米を持って、近江へと向かって行った。