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270ブラドック
《大和の陰謀》

 安倍の息の音を止めるため、私は毛野から那須を越え、南陸奥に兵を進めていた。
毛野を発つ時には、我々の兵も六千程度だったが、その数は着実に増えつつある。
なぜならば、この機会に恭順して生き残りを狙う部族たちが集まり出したからだ。
その数は二千にも達し、私は意気揚々と胆沢に向かって兵を進める。
我々が会津に入る頃になると、胆沢から使者がやって来て、和平を提案した。
しかし、私の目的は諸悪の根源である安倍を殺すことに他ならない。
あの女を殺さない限り、私の中での戦は終わらないのである。

「使者殿、胆沢の全ての者に伝えられい。目的は安倍の首だけだ」

私は使者を大切に扱った。それが無言の圧力になるのを、私は熟知していた。
相手は僅か二千の兵力しか持たないが、最後まで戦を避けるのが私のやり方である。
安倍の首さえ差し出してくれたら、胆沢に攻め込む気はなかった。
ところが、青天の霹靂とでもいうような早馬が、毛野からやって来たのである。

「紗耶香様に申し上げます!日本武尊こと後藤宮真希比売様、御病気再発とのことにございます!」

突然の知らせに、私は落馬すると思うほど仰天した。
真希の病気が再発したのなら、土蜘蛛の呪いに間違いない。
再発で生き延びた者は、十人に一人もいないという。
とにかく、また和泉の宮での治療が必要だ。

「くっ!やはり生きている者の方が大切だな」

私は胆沢攻めを中止し、兵を毛野に戻すと、数人の手下を連れて尾張に向かった。
真希のことが心配で、私は何度も馬を替え、わずか三日で尾張に到着する。
そして、とにかく真っ先に、真希の住む館に飛び込んだ。
271ブラドック:02/07/24 18:47 ID:pVECImUn
「市井猿楽紗耶香だ!宮様の具合はどうだ」
「はっ!ただいま、寝所におられます!」

下男が私の足を洗いながら容態を説明した。
私の到着を知った亜依が飛び出して来る。
ちょっと見ない間に大人になったようだ。
私は彼女の穏やかで明るい表情から、
真希が深刻な状態ではないことを悟る。

「紗耶香様、こちらへどうぞ」

亜依は私を連れて館の奥へと入って行く。
数年前に私が設計した館であるが、
住みやすいように手が加えられている。
亜依が寝所の戸を開けると、そこには真希が座っていた。

「真希、具合はどうだ?」
「うん、まだちょっと眩暈がする」

真希は苦笑しながら首を傾げた。
これは土蜘蛛の呪いによる血の病(白血病)である。
この病を克服するには、誰かの血と交換しなければならない。
私と真希は血が合わないので、合う人間を探さねばならなかった。

「土蜘蛛は滅びたというのに、皮肉なものだな」

真希は悲しそうに頷くと「疲れた」と言って横になった。
この病は疲れやすくなり、風邪をこじらせて死んでしまう。
私は真希の治療に専念するため、館に住み込むことになった。
272ブラドック:02/07/24 18:48 ID:pVECImUn
 私は魚介類や海藻を真希に与える一方で、
『伯方の塩』を取り寄せて食事に使わせた。
豆食品を多く摂らせ、牛乳を飲ませたのである。
その甲斐あって、真希は徐々に回復して行った。
何よりも天真爛漫で差別意識のない真希の人柄で、
血の提供者が多かったのが救いである。

「真希、辛いとは思うが、三日に一度は血を捨てて、新しい血を入れなくてはならない」

真希は顔を顰めて苦笑したが、それで命が持続するのだ。
毎回、茶碗に二杯程度の血を交換するのだが、
その治療は血管に細い管を入れるので苦痛である。
血の提供者は一回きりで終わりなのだが、
真希は死ぬまで続けることになるだろう。

「紗耶香さん、大和が不安だよ。きっと、また何か企んでる」
「尾張から美濃、近江の経営は任されているじゃないか。収穫も毎年、一万石以上伸びているぞ。
入植者も多いし、これからはもっと発展するだろう。何せ土地がいいからな」

この新しい土地では、瞬く間に稲作が普及して行き、人口も爆発的に増えていた。
経営が得意な私は、密かに防衛施設の建設や、義勇軍の組織化に取り組んでいる。
表面上は八千程度の兵力を持つと公表したが、実際は二万以上の兵を動員できた。
大和から身を守るには、これでも少ないくらいだったのだが。

「北陸は押えてあるからね。浪速と吉備には根回ししてる」

浪速と吉備が中立を保つようになると、
大和が自由になる兵力は二万〜三万程度である。
これでは我々を潰すことなどは不可能だった。
273ブラドック:02/07/24 18:48 ID:pVECImUn
 数年が過ぎた頃、妙な噂が飛び込んで来た。
出雲の圭が不穏な動きをしているという。
私は人脈を駆使して調べてみることにした。
すると、一月も経たないうちに多くの情報が集まって来る。
それは大和の狡猾な真希潰しの一環だった。

「あのクサレヤロウが!」

真希の父である大王は、今度は圭を嵌めようとしている。
山陰地方が冷夏で不作だったのにもかかわらず、
大和は例年以上の年貢を要求したのだった。
これでは領民を含め、圭たちは餓えてしまうだろう。
最初は浪速や吉備、北陸の各国に援助を申請していたが、
他国に供出するほど余裕のある国と判断されれば、
大和からより多くの年貢を要求されるのは確実だ。
ゆえに各国は援助を断っていたのである。

「出雲に使者を送れ。『早まるな』と伝えるんだ」

私は部下を出雲に送った。
圭のことだから「まさか」とは思うが、
これまで大和の汚いやり方を見てきている。
過剰な年貢の強制は、大和が軍備を増強するためだ。
今や列島から大きな反抗勢力が消えた以上、
大王が狙うのは真希だけである。
圭にしても、ここらへんは理解しているだろう。
だからこそ、圭の判断が怖かったのだ。
274ブラドック:02/07/25 18:23 ID:tI13Pu5c
《圭を救え》

 私は我慢できず、ついに大和へ向かった。
真希は止めたが、これ以上、仲間を失いたくない。
大王を脅してでも、圭への圧力を阻止しなくては、
このままだと、本当に真希が壊れてしまうだろう。
土蜘蛛の呪いが再発した今、真希はもう永くないのだ。
 私は二人の従者を連れ、二日目で大和に入った。
大和に来るのは、真希が追放されて以来だから十年振りになる。
十年一昔というくらいで、大和もずいぶんと立派な国になった。
大王の館周辺には大きな家が建ち並び、豊かさを象徴している。
大和が豊かなのも、傘下国からの法外な上納金のお陰だ。
この国が富んで行く一方で、餓死者の出る国もある。
分かっていたことだったが、大和の掲げる『正義』などは、
侵略をする大義名分に他ならなかった。

「市井猿楽紗耶香比売だ。大王に伝えろ」
「これはこれは猿楽様。遠路はるばる御苦労様にございます」

館の門番は頭を下げると、私の馬の轡を握った。
私たちは馬場の前で待たされていたが、
やがて数人の男がやって来る。
男たちは私たちの太刀を預かるという。

「太刀を?ふざけるな!これは草薙の剣に勝るとも劣らないものだ」
「それでは、大王にお会いすることは、できませんな」
275ブラドック:02/07/25 18:23 ID:tI13Pu5c
一人の男が私の太刀を掴んだ。
この太刀は真里の形見である。
それを奪われそうになったのだから、
私は頭に来て男を殴りつけた。
やがて三対五の殴り合いとなったが、
やはり、この男たちは素人である。
いくつもの戦場で敵とわたりあい、
修羅場をくぐって来た私たちが相手では、
たとえ男だろうが勝ち目はなかった。

「こら、騒ぐんやない。太刀なんかええから来いや」

高床の屋敷の戸を開けて現れたのは、大王のつんく♂だった。
つんく♂は苦笑しながら、私たちを屋敷に招き入れる。
小心者のつんく♂にしては、かなり太っ腹な態度だ。
小心者であればあるほど、豪傑を装ってみるものである。
せめて真希の十分の一くらいの度胸があれば、
この大王も救われただろうに。

「忙しいんや。話は何や?」

私たちは広間の床に座り、大王を睨みつける。
何で真希を捨てたのか。何で真里を殺したのか。
この際、いかなることがあっても返答させるつもりだ。
場合によっては、ここで大王と刺し違えてもよい。
私は本気でそう思っていた。
276ブラドック:02/07/25 18:24 ID:tI13Pu5c
「まず、圭のことから話してもらおうか」
「これ!大王に向かって、何という口のきき方!」

侍従が眼を剥いて怒鳴ったが、私は平気だった。
なぜなら、私は大王の家来ではないからだ。
私は誰にも縛られない。それが私の生き方である。
真希は身分に無頓着だが、私は彼女の家来でもない。
仲間にリーダーは必要だろうが、主従関係はいらないのだ。

「まあええわ。ほんじゃ、圭坊のことやな?あの女は、縁談を断りくさった。
ええか?一国の王ともなれば、宗国と姻戚関係を結ぶのが基本なんや。
従兄弟のたいせーを、婿養子に出してやろう思うたんやけど、断ったんや」

確かにそうだ。圭には恋人がいた。
彼を捨てて政略結婚などはできないだろう。
そういった場合は、二人にできた子供と縁組すべきだ。
しかし、小心者の大王にしてみれば、一刻も早い縁組を望んだらしい。

「当たり前じゃないか。圭には許婚がいるんだ」
「アホ!宗国に逆らうんは敵やろ!」

これで分かった。大王は不安で仕方ないのだ。
短期間で『大和』が大きくなり過ぎてしまい、
たえずクーデターの恐怖に怯えていたのである。
そのために、毛野や真里、圭に難題を押し付け、
傘下王国の忠誠心を試していたのだった。
小心者が保身に走った結果がこれである。
277ブラドック:02/07/25 18:24 ID:tI13Pu5c
「お前は敵を作ってれば安心なのか?圭を説得しろ!」

私は大王に噛み付いた。
口のきき方に腹をたてたのか、
侍従の一人が私を押さえつけようとする。
男であろうが、戦場も知らない細腕に、
この私が負けるワケなどない。
私は男の手首と胸倉を掴み、
壁に叩きつけてやった。

「圭には逆らう意思などないんだ!」

私が大王に迫った時、戸を開けて誰かが入って来た。
反射的に振り向くと、それは貴子である。
同時に彼女は、私の頭の中へ話しかけて来た。

(やめや。もう手遅れやな)

何が手遅れだ!早く圭を説得しないと、本当に手遅れになってしまう。
ここは使者を送って、占領地から兵を引かせる代わりに、
年貢をこれまでの額に戻すという確約が必要なのだ。
そうすれば、大和と出雲の戦は回避できる。

「甘いで、紗耶香!真里が死んで腑抜けになったか!」

貴子は私に怒鳴った。普段は温厚な彼女が怒鳴るのは珍しい。
他の何を言われても平気だったが、真里の件に関して別である。
真里の死には私にも責任があると思っていたからだ。
興奮した私は貴子に掴みかかったが、二人の部下に押えられる。
278ブラドック:02/07/25 18:25 ID:tI13Pu5c
「紗耶香、圭は真希と違うんや。圭は野望を捨てきれないんやな」

貴子に言われて思い出した。
そういえば、圭は私に言ったことがある。
『このまま行けば、大和より大きな国になるね』
あの時は大して気にしなかったものの、
今考えると、あの時から圭には野望があったのだ。
圭は決して、自分が頂点に君臨するとは思っていないだろう。
大王を斃して真希を頂点にした、連合王国を構想しているのだ。

「諦めちゃ終わりじゃないか!」

私には圭を見捨てられなかった。
これまで一緒に苦難を乗り越えて来た仲間である。
誰が何と言おうと、私には圭を守る義務があった。
絶対に真里の二の舞にはしたくない。

「圭とあんたたちが組めば、恐らく大和には勝てるやろ。
けどな、真希にはその気があるんか?真希かて人間や。
実の親に弓引くような真似ができるワケないやろ」

貴子が言うのは、正にその通りだった。
真希は大王に捨てられて死ぬほど傷ついたのである。
しかし、そのことは口に出さず、懸命に生きてきた。
やはり真希にとって大王は父親なのである。
279ブラドック:02/07/25 18:28 ID:JHLwLJfK
「紗耶香、真希に伝えや!狛犬を討て!」

大王は絶望的なことを命じた。
これで圭の命は終わったのである。
私は貴子に気付かれないように、
結界を張って頭の中を整理した。
この場で大王と刺し違えた場合、
どういったリスクがあるのか。
大王の命令を真希に伝えるべきなのか。
そして、ある結論に達した。

「真希は三度目の覚醒をするぞ。それで完全体になるんだろう?」

私が言うと大王は蒼くなって震え出す。
そんな大王を貴子が優しく支えた。
私はふと疑問に思った。
なぜ大王はここまで真希を恐れるのか。
もしかしたら、真希を追放したことと、
何か関係でもあるのだろうか。

「大王、話してくれ。次に真希が覚醒したら、どういうことになるんだ」
「真希は・・・・・・真希は死ななあかんのや!」

大王は半狂乱になって取り乱した。
その意味が分からない私は、唖然として彼を見ていた。
すると貴子は侍従たちに大王を預け、勝手に退室させてしまう。
私は追いかけようとしたが、再び貴子に頭の中で呼び止められた。

「うちが話をするわ」

貴子は私の前に座り、緊張したように深呼吸をする。
その蒼い顔は、とても深刻な事態を暗示していた。