《さらば真里》
「安倍は足を負傷している!遠くへは行っていないだろう!探せ!」
私は三百人の部下と安倍の追跡を始めた。
あれだけの重傷であれば、馬に乗ることもできない。
徒歩か担架で運ばれた可能性が高かった。
そうなれば、付近を隈なく捜せば発見できるだろう。
「紗耶香様ー!大川(利根川)河川敷で安倍らしい女が目撃されました!」
「海に出るつもりだな?よし!騎馬隊百騎で追い詰めろ。首を取って来い」
私自身の手で安倍を殺したかったが、
そろそろ真希が引き上げて来る頃だった。
神経質になっている土蜘蛛を刺激しては困るので、
とりあえず私は、毛野女王の館に戻ることにする。
私が単騎で戻って来ると、館の前では激戦となっていた。
「紗耶香様!土蜘蛛でございます!」
「何!希美の言葉を伝えたのではないのか!」
私はそう言って思い出した。
この東征は大王が画策したものである。
大王の目的は、真希を潰すことだった。
古くからの仲間である真里を殺させ、
真希の神経を切り裂くのが目的である。
きっと、私が思いもよらないような、
狡猾な罠が仕掛けられていたのだろう。
「やめんかァァァァァァァァァー!」
私は太刀を放り投げ、防具を脱ぎ捨てた。
全くの丸腰で戦闘の中に飛び込んで行く。
土蜘蛛たちは私を見ると逃げ出したが、
少し離れた場所に集結した。
そして、その中央にいたのは、
真っ赤に眼を腫らした真里である。
「真里!」
私は馬から飛び降り、真里に向かって歩いて行った。
今となっては真里を救えるのは、この私だけである。
今ここで私が救わなければ、土蜘蛛の全滅は確実だ。
間違いなく真里もこの地で死ぬことになるだろう。
それはごめんだ。私は真里と一緒に暮らす。
子供は死んでしまったが、それはそれで構わない。
真里と二人、この地か尾張で暮らすのだ。
「来ないで!」
真里は私に弓矢を向けた。
この距離であれば、真里は正確に目玉を射抜くだろう。
それでも良かった。真里に殺されるのなら本望だ。
私は躊躇することなく、真里に向かって行く。
もう、私の使命など、どうでも
その時、真里の矢が放たれ、私の太腿に突き刺さった。
「うっ!」
矢は筋肉に突き刺さり、私は立てなくなって転がった。
真里であれば、こういった人間のツボに命中させられるだろう。
それほど不思議なことではなかった。
「紗耶香、もう土蜘蛛は終わりなのよ。大和の大王が兵を向かわせてるわ」
「終わりなんかじゃない!諦めるな!真里!」
私は這ってでも真里のところへ行こうと、矢を引き抜くと前進を始めた。
ようやく真里が視界に入って来ると、彼女は火に髪を投げ入れている。
この儀式は土蜘蛛特有のものであり、命を賭して闘うというものだった。
大和に殺されるよりは日本武尊軍に。これは真里の選択だったのだろう。
「ずいぶん数が減ったよね。弓しか武器がなかったワケだし」
真里は最後の突撃を行うところだった。
白兵戦の苦手な土蜘蛛たちは、
恐らく全滅させられるだろう。
私は日本武尊軍を指揮したくとも、
この足では自陣に戻れない。
「真里、やめろ!やめてくれ」
「かかれー!」
そして私が手を伸ばそうとした時、
一本の矢が真里の胸に突き刺さった。
真里は苦しそうに矢を抜こうとするが、
深く刺さっているので抜けない。
すると、今度は数本の矢が飛んで来て、
次々と真里に突き刺さった。
「真里ー!」
私は急いで這って行くと、倒れた真里を抱き上げた。
数本の矢のうち、二本が急所に決まっており、
もう真里は助からないだろう。
「紗耶香・・・・・・これで良かったのよ」
真里は血塗れになっていたが、笑みをもらした。
泣き疲れた顔ではあったが、それは愛しい真里に違いない。
しかし、その真里の命も、もはや風前の灯火であった。
「何がいいもんか。これから一緒にいられると思ったのに」
「土蜘蛛は・・・・・・こうなる運命だった。あたしも・・・・・・あの子も」
「大王から何を聞いたんだ?お前の子供は、とっくに安倍が殺していたんだ」
私は真里を抱き締めていた。
頭領であるがゆえにムリに子供を産まされ、
その子供を殺されてしまうとは憐れな話である。
「そんなこと・・・・・・分かってた。だって・・・・・・あたしは母親なんだよ」
そこで全てが氷解した。
大王と安倍はグルだったのである。
今思えば、どうも話ができすぎていた。
真里の子供が拉致されて、すぐに大和からの無理難題。
恐らく、近くに観戦武官がおり、安倍が敗れるようなことあらば、
真里の子供は、日本武尊軍が侵入したために、殺されたと言ったのだろう。
真里は泣く泣く諦めたが、周囲の土蜘蛛が黙っていなかったのだ。
「お前の人生を狂わせたのは、私だったのかもしれないな」
私は真里の頬を撫でた。
真里は薄れ行く意識の中で、
私に最高の笑顔を見せてくれる。
初めて真里と会った頃は可愛らしいだけだったが、
今の彼女は、とてもきれいだった。
「紗耶香・・・・・・自分を責めないでね。あたしは・・・・・・嬉しいの。
これでようやく・・・・・・あの子のところへ・・・・・・行ける」
真里はそう言うと眼を閉じ、二度と開けることはなかった。
私はしばらくその場にいたが、足が回復すると、
冷たくなった真里を抱いて自軍に戻った。
翌朝、真里を埋葬した時、真希はたいへんだった。
昨夜とはうって変わって、普段の彼女に戻っていたからである。
私は心に大きな穴が開いてしまったようで、涙も出なかった。
そんな私の頭の中に話し掛けて来たのは、やはり貴子である。
(真希の状態は危険やで。同化せずに『意識』が残っとるわ)
真希は右目では涙を流していたものの、左目では冷酷な光を放っていた。
今は『真希』になっているが、いつ『日本武尊』に変わるか分からない。
こういった二重人格は、幼児期の虐待によって発症することが多いのだが、
それは逃避行動の一環であり、今の真希の状況とは違っている。
「真希の『意識』は、安倍との最終決戦で開放させる」
私は大和軍とは入れ違いに、陸奥に逃げた安倍を追跡するつもりだ。
草の根を分けてでも安倍を探し出し、この手で黄泉の国に送ってやる。
そうすることが、私が真里のためにできる唯一のことだった。