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253ブラドック
《さらば真里》

「安倍は足を負傷している!遠くへは行っていないだろう!探せ!」

私は三百人の部下と安倍の追跡を始めた。
あれだけの重傷であれば、馬に乗ることもできない。
徒歩か担架で運ばれた可能性が高かった。
そうなれば、付近を隈なく捜せば発見できるだろう。

「紗耶香様ー!大川(利根川)河川敷で安倍らしい女が目撃されました!」
「海に出るつもりだな?よし!騎馬隊百騎で追い詰めろ。首を取って来い」

私自身の手で安倍を殺したかったが、
そろそろ真希が引き上げて来る頃だった。
神経質になっている土蜘蛛を刺激しては困るので、
とりあえず私は、毛野女王の館に戻ることにする。
私が単騎で戻って来ると、館の前では激戦となっていた。

「紗耶香様!土蜘蛛でございます!」
「何!希美の言葉を伝えたのではないのか!」

私はそう言って思い出した。
この東征は大王が画策したものである。
大王の目的は、真希を潰すことだった。
古くからの仲間である真里を殺させ、
真希の神経を切り裂くのが目的である。
きっと、私が思いもよらないような、
狡猾な罠が仕掛けられていたのだろう。
254ブラドック:02/07/21 12:46 ID:znJdv7+i
「やめんかァァァァァァァァァー!」

私は太刀を放り投げ、防具を脱ぎ捨てた。
全くの丸腰で戦闘の中に飛び込んで行く。
土蜘蛛たちは私を見ると逃げ出したが、
少し離れた場所に集結した。
そして、その中央にいたのは、
真っ赤に眼を腫らした真里である。

「真里!」

私は馬から飛び降り、真里に向かって歩いて行った。
今となっては真里を救えるのは、この私だけである。
今ここで私が救わなければ、土蜘蛛の全滅は確実だ。
間違いなく真里もこの地で死ぬことになるだろう。
それはごめんだ。私は真里と一緒に暮らす。
子供は死んでしまったが、それはそれで構わない。
真里と二人、この地か尾張で暮らすのだ。

「来ないで!」

真里は私に弓矢を向けた。
この距離であれば、真里は正確に目玉を射抜くだろう。
それでも良かった。真里に殺されるのなら本望だ。
私は躊躇することなく、真里に向かって行く。
もう、私の使命など、どうでも
その時、真里の矢が放たれ、私の太腿に突き刺さった。

「うっ!」

矢は筋肉に突き刺さり、私は立てなくなって転がった。
真里であれば、こういった人間のツボに命中させられるだろう。
それほど不思議なことではなかった。
255ブラドック:02/07/21 12:47 ID:znJdv7+i
「紗耶香、もう土蜘蛛は終わりなのよ。大和の大王が兵を向かわせてるわ」
「終わりなんかじゃない!諦めるな!真里!」

私は這ってでも真里のところへ行こうと、矢を引き抜くと前進を始めた。
ようやく真里が視界に入って来ると、彼女は火に髪を投げ入れている。
この儀式は土蜘蛛特有のものであり、命を賭して闘うというものだった。
大和に殺されるよりは日本武尊軍に。これは真里の選択だったのだろう。

「ずいぶん数が減ったよね。弓しか武器がなかったワケだし」

真里は最後の突撃を行うところだった。
白兵戦の苦手な土蜘蛛たちは、
恐らく全滅させられるだろう。
私は日本武尊軍を指揮したくとも、
この足では自陣に戻れない。

「真里、やめろ!やめてくれ」
「かかれー!」

そして私が手を伸ばそうとした時、
一本の矢が真里の胸に突き刺さった。
真里は苦しそうに矢を抜こうとするが、
深く刺さっているので抜けない。
すると、今度は数本の矢が飛んで来て、
次々と真里に突き刺さった。
256ブラドック:02/07/21 12:47 ID:znJdv7+i
「真里ー!」

私は急いで這って行くと、倒れた真里を抱き上げた。
数本の矢のうち、二本が急所に決まっており、
もう真里は助からないだろう。

「紗耶香・・・・・・これで良かったのよ」

真里は血塗れになっていたが、笑みをもらした。
泣き疲れた顔ではあったが、それは愛しい真里に違いない。
しかし、その真里の命も、もはや風前の灯火であった。

「何がいいもんか。これから一緒にいられると思ったのに」
「土蜘蛛は・・・・・・こうなる運命だった。あたしも・・・・・・あの子も」
「大王から何を聞いたんだ?お前の子供は、とっくに安倍が殺していたんだ」

私は真里を抱き締めていた。
頭領であるがゆえにムリに子供を産まされ、
その子供を殺されてしまうとは憐れな話である。

「そんなこと・・・・・・分かってた。だって・・・・・・あたしは母親なんだよ」

そこで全てが氷解した。
大王と安倍はグルだったのである。
今思えば、どうも話ができすぎていた。
真里の子供が拉致されて、すぐに大和からの無理難題。
恐らく、近くに観戦武官がおり、安倍が敗れるようなことあらば、
真里の子供は、日本武尊軍が侵入したために、殺されたと言ったのだろう。
真里は泣く泣く諦めたが、周囲の土蜘蛛が黙っていなかったのだ。
257ブラドック:02/07/21 12:50 ID:YDUcXVFa

「お前の人生を狂わせたのは、私だったのかもしれないな」

私は真里の頬を撫でた。
真里は薄れ行く意識の中で、
私に最高の笑顔を見せてくれる。
初めて真里と会った頃は可愛らしいだけだったが、
今の彼女は、とてもきれいだった。

「紗耶香・・・・・・自分を責めないでね。あたしは・・・・・・嬉しいの。
これでようやく・・・・・・あの子のところへ・・・・・・行ける」

真里はそう言うと眼を閉じ、二度と開けることはなかった。
私はしばらくその場にいたが、足が回復すると、
冷たくなった真里を抱いて自軍に戻った。
258ブラドック:02/07/21 12:51 ID:YDUcXVFa
 翌朝、真里を埋葬した時、真希はたいへんだった。
昨夜とはうって変わって、普段の彼女に戻っていたからである。
私は心に大きな穴が開いてしまったようで、涙も出なかった。
そんな私の頭の中に話し掛けて来たのは、やはり貴子である。

(真希の状態は危険やで。同化せずに『意識』が残っとるわ)

真希は右目では涙を流していたものの、左目では冷酷な光を放っていた。
今は『真希』になっているが、いつ『日本武尊』に変わるか分からない。
こういった二重人格は、幼児期の虐待によって発症することが多いのだが、
それは逃避行動の一環であり、今の真希の状況とは違っている。

「真希の『意識』は、安倍との最終決戦で開放させる」

私は大和軍とは入れ違いに、陸奥に逃げた安倍を追跡するつもりだ。
草の根を分けてでも安倍を探し出し、この手で黄泉の国に送ってやる。
そうすることが、私が真里のためにできる唯一のことだった。