囲碁も将棋も戦争ゲームである
やるかやられるかの世界である
なのに囲碁はなぜ獲得した領土の計算を
するのだろう
あいまいな形で領土問題にけりをつけ
その後不幸になった国を
私は多く知っている
囲碁は現在でも私たちに
間違った解決方法を提示しているのではないか
加護は辻より人気があるという
解せない話だ
加護のどこに人をひきつける魅力が
あるというのだろう
あの黒い瞳にひきつけられるのだろうか
それとも大きな胸にすいよせられるのか
おそらく私が気づかないオーラで多くの人を
とりこにしてるのだろう
こんな私は不幸なのであろうか
これを不幸というならば私は堂々と
不幸な人生を歩もうではないか
加護には人気がある
芸能人ならもっともほしがるもののひとつだ
加護にとりつかれたひともいう
加護には人気があると
しかし私は不思議に思う
加護にとりつかれたひとはなぜ
加護に人気があるというのだろうか
なぜ加護が発する魅力を語らずに
加護の人気を語ろうとするのだろうか
私は思う
その人たちは加護にとりつかれたのではなく
加護の人気にとりつかれたのではないだろうか
加護は不思議な人間だ
発するギャグはすべて関西テーストであり
どこか懐かしさを覚えるものばかりだ
しかしなぜか関西人くささがない
同じ関西芸人の林家ペーと比べると
一目瞭然だ
東京芸人のふりをして何十年もたつ林家ペーだが
そのにおいは完全に関西人そのものである
なぜなのだろうか
加護が関西人なのに台本主義であることが
大きいのだろうか
それとも奈良県人であることが大きいのか
私は林家ペーを見たあとに加護亜依を見ると
そのにおいの違いに愕然とするのである
やっぱりエイトクかおーかなー
なんでかきこみすんのにいちいち言葉遣い
かんがえやなあかんねん
倍の時間かかるやんけ
しかも超低速タイピストやのに・・・
つかいもせーへんことばでかきこんでると
なんや外国語つこてるみたいや
せやけど東京のひとはええなあ
ただで自分の言葉でかきこめんねんから
関西人は金はらわんと自分の言葉使えへん
ほんまどないなっとんのや
石原慎太郎が京都府知事選の応援演説に
きたらしい
ちなみに今回の京都府知事選は保守分裂選挙である
野中のお膝元で反旗を翻した男がいるのだ
野中のちょう落を示す出来事といえるだろう
その保守分裂選挙で石原慎太郎はあいも変わらず
したっぱの右翼がいうようなことしかいわなかったらしい
早い話が共産党批判だけを繰り返したのだ
知事になってもおつむのほうは成長していないらしい
しかし時代は変わっている
石原慎太郎の共産党批判を聞くためだけに
多数の聴衆が訪れたという
知事としての実績が評価されたのだろう
盲目の聴衆には彼の演説が金言に聞こえたのかもしれない
私は思う
石原慎太郎のような男がいることはある意味日本にとって
大きなプラスになるだろう
しかし盲目の聴衆の多さは暗い未来だけを暗示している
のではないか
・ヴァカの相手をするほど頭を使うことは無い。
・ヴァカはヴァカなことをした時ほど自画自賛する。
中国の諺より
・愚者には必ずそれ以上の愚かな賛同者が現れる。
ボワロー
・空樽と愚か者ほど騒々しいものはない。
ブルターク
・悪人は怠けろ、愚者はだまっていよ。
シャンフォール
ちょっと面白かったこと
かぶと虫 裏見てびっくり 虫だった
大変アナーキーなごなごとである
いいものに出会ったと思った
「加護&辻@LOVE、参考人招致」だぴょん
25 :
名無し:02/04/08 12:17 ID:qfz48+UL
(´ Д` )
京都府知事選は山田啓二が当選となった
しごく順当な結果である
森川明との差は九万票であった
苦戦の部類に入るだろう
プレスは苦戦の原因を最近の中央政治家の
金銭等の疑惑からくる政治不信
あるいは相乗り批判だと解説する
なるほどもっともな解説であり
筋は通っているといえる
しかしその報道は真実を伝えていないように思う
苦戦の一番大きな原因は山田啓二そのものであろう
嫌われたのは政治不信や相乗りではなく
山田啓二なのだ
一言で言えば彼は知事の顔をしていないのだ
悪人顔ではないが信用できそうな顔をしていない
そのまなざしは他人をねたむことしか知らないような
光しかおびていない
その口はしまりがなく理性より本能を優先させてきた
ような形をしている
ここまでくれば騙されやすそうな表情をしているのは
もはやご愛嬌といえるだろう
府民は賢明だ彼に投票することを拒んだのだ
いや彼の妻でさえ彼に投票してはいないだろう
しかし彼はアナーキストから絶大な支持を受けた
アナーキストたちの支持が当選の決め手になったのだ
賢明な府民から支持されずアナーキストから
熱狂的な支持を受ける
そして彼の妻さえも彼に投票していないという
事実に気づかない愛すべき男
その男がこれから四年間の京都府政を任されたのである
嵐への船出か
はたまた沈没への序曲なのか
答えはすぐに出るであろう
2chではウヨクだのサヨクだのという
言葉が飛びかっている
間違いなく古い概念であり現在では
破綻をきたしている概念であるはずなのにである
ではなぜこのような言葉が現在進行形で飛びかっているのか
使用する人間が一部を除いてその言葉の概念の古さや空虚さに
気づいているはずなのにである
ここで面白いことがある
右翼や左翼という言葉はじつは2chだけでなく実社会でも
ある種の人間が頻繁に使用する言葉なのである
そして彼らは生きた化石ではもちろんない
現代を生き将来を憂う立派な人間なのである
そう考えると面白いことがわかってくる
ウヨクやサヨクという言葉はもはや単なるアンチテーゼに
なってしまったのではないかということだ
いつの時代にでも政治にほとんど興味もなく知識もないくせに
知ったかぶりをするやつがいる
リベラルといえばなるほど賢そうに聞こえるのである
しかしそういうやつが最も社会にとって害悪であることは
歴史的事実である
ウヨクやサヨクという言葉はそういうやつを
大きく意識しただけの単なるアンチテーゼになってしまったの
ではないだろうか
もっと踏み込んで言えば
あるいはそういうやつを無理やりどちらかの陣営に
ラベリングすることで駆除しようという
単なる殺虫剤としてしか使われていないのではないか
そうであるなら非常に悲しいことだ
少し前までは世界を支える概念的支柱であったはずの言葉が
お互いを意識してそして高めあっていく概念ではなく
害虫駆除の仕事を押し付けられてしまっているのである
結局いまだにウヨクやサヨクという言葉が飛びかうのは
それだけ2chが害虫駆除に忙しいということなのだろう
そして多くの人間が天下国家について
真剣に語り合うようになったとき
ウヨクやサヨクという言葉はようやくその使命を終えて
ひっそりと眠りにつくのだろう
そのときがくれば私は一抹の寂しさを感じるのだろうか
nonotanさんの能力をステータス化すると…、
武力 72 、 知力 77 、 政治力 77 、 魅力 35 、
野望度 10 、 義理度 5 、 冷静度 6 、 勇猛度 2 、
寿命 7 、 相性 0 、
(武力、知力、政治力、魅力の最高値は100)
(野望度、義理度の最高値は15)
(冷静度、勇猛度、寿命の最高値は7)
もういちどやってみた
魅力がまったくあがらないことに気がついた・・・
なっちありがとうさんの能力をステータス化すると…、
武力 72 、 知力 80 、 政治力 83 、 魅力 35 、
野望度 15 、 義理度 5 、 冷静度 6 、 勇猛度 5 、
寿命 6 、 相性 0 、
(武力、知力、政治力、魅力の最高値は100)
(野望度、義理度の最高値は15)
(冷静度、勇猛度、寿命の最高値は7)
32 :
test:02/04/10 18:34 ID:bbLePgvR
test
名人戦は森内が先勝した
私は森内が一つでも勝てればよいほう
だと予想していたので
私は早くもがけっぷちだ
しかし憂うべきは私の立場ではない
憂うべきは名人戦があまり盛り上がって
ないような気がすることだ
名人の権威はそれを見守る人々によって
たもたれている
将棋ファンが名人という地位に対して
あまり敬意を払わなくなったとき
名人戦はおおきな転換点を迎えるだろう
それは新時代の幕開けか
衰退への序曲なのか
すでに結論は出かかっているのかもしれない
政党の衰退が激しいという
各地で市民派と称する人間が
愚民たちの支持を得て
次々と表舞台に躍り出てきている
彼らは何がしたいのだろう
あるものは政界に風穴を開けるという
まったく意味不明な言葉だ
しかし意味不明は愚民どもの支持を受けやすい
愚民はこんな言葉のスローガンに弱いからだ
かくしてスローガンだけが一人歩きすることになる
愚民はスローガンの後ろにひょこひょことついていく
大変滑稽な光景である
しかしあと何年かすれば滑稽なだけでは
すまなくなるのは大変恐ろしいところだ
まあ最初に地獄を見るのは愚民どもではあるが・・・
かく言う私が愚民か否かは神のみぞ知るといったところか
首相公選制を導入せよと主張する民草がいる
その民草たちは首相公選制の導入には
憲法改正が必要だと知っているのだろうか
その意味で中曽根康弘が
首相公選制を唱えることは方向性が合致する
しかし多くの民草たちは方向性が合致してない
のではないだろうか
昔から民草はご都合主義である
民草たちのご都合主義の典型例として
および日本人が犯した大きな過ちとして
この事例こそ教科書に掲載すべきではないだろうか
マアネ!ウフフ
42 :
:02/04/13 06:50 ID:V42jN4ms
てす
さば移転で糞スレが乱立してる
よって保全
も一回保全
私には尊敬する人物がいる
その人の名前は(〜^◇^〜)という
昔の私は(〜^◇^〜)を見ていても特に何の感慨もなかった
あまりかわいくない人がひとりいるなぁという印象だった
しかしあるとき
彼女が己の背の低さを逆手にとって小学五年生役の
オーディションを受けたエピソードがある
という一文を見て(〜^◇^〜)に対する見方が変わった
(〜^◇^〜)を尊敬のまなざしで眺めるようになったのだ
人を尊敬することは簡単である
他人のちょっとした言動が自分の琴線にふれればよいのだ
(〜^◇^〜)のエピソードは私の琴線にふれたのだ
(〜^◇^〜)の行動を尊敬というフィルタを通してみると
(〜^◇^〜)を取り巻く世界までもが変わって見えることに気づく
(〜^◇^〜)の行動をすべて好意的に見ている自分に気づく
(〜^◇^〜)ががんばっている姿ばかりが目に付いてしまう
私は物事を公平に見ることができなくなってしまったのだろうか
前回
人を尊敬することは簡単であると
私は書いた
他人のちょっとした言動が
と書いた
それにもかかわらずまったく尊敬に値しない人間がいることは驚きだ
その人たちのあらゆる言動がまったく私の琴線にふれないのである
その人たちはいったいどのような人生を送ってきたのであろう
他人をまったく感動させられない人生とはどのようなものだろう
私はその人たちを不幸だと思うが
その人たちはその人たちで平和な人生を送っているのだろう
(〜^◇^〜)とは別の道を
私も(〜^◇^〜)のように人に感動を与えられる人生を送りたいと思う
世の中は無常だ
なぜ尊敬する人物と気になる人物とが一致しないのであろう
なぜ山よりも高い尊敬の念が
好きという感情に結びつかないのであろう
(〜^◇^〜)のすべてを肯定的にとらえているのに
気にかかるメンバーではないのはなぜなのだろう
嫌いなメンバーでないことは確かだ
しかし好きなメンバーではない
一言でいえば普通だ
(〜^◇^〜)を好きになればいいのにと思うことはある
しかしそれは無理な相談だ
どうにも感情が動かない
世の中は無常だ
しかし(〜^◇^〜)にとってはそれはヲタ排除ができて
むしろラッキーなことなのかもしれない
世の中は本当に無常だ
市井紗耶香が輝きを失ったあるいはオーラが
無くなったという人がいる
私は詳しく確認してないのだが
ちょっと見た感じではそのとおりだと思う
ファンの人たちはどう思っているのだろう
喜んでいるのかはたまた悲しんでいるのか
すでに市井にあまり興味のなくなった私からすれば
かわいくなくなったのが少し残念な程度だ
ヽ^∀^ノはモーニング娘。を離れて挫折を味わったのだろう
そして人間として成長した
だからオーラが無くなったのだ
残念なことではあるが人間性とオーラの存在とは
しばしば反比例する関係にある
なぜならオーラを支えるものの一つに傲慢さ(天狗になった状態といって
もいいかもしれない)があるからだ
在りし日のヽ^∀^ノは間違いなく傲慢であった
天狗になっていた
それが大きな輝きを帯びていたのである
前だけを見ていた彼女の視線が輝きを発していたのである
factoryとかいう番組で( ● ´ ー ` ● )が歌っているのを聞いた
見たのはたしかにmpgではあるがひどいもんだった
あれがモーニング娘。のメインボーカルなのか
深く考えさせられた
( ● ´ ー ` ● )は好きなメンバーである
2番目に好きといってもいいだろう
しかしあえて言おう
もう歌うわなくていいよ( ● ´ ー ` ● )
君は十分やってくれたよ
( ● ´ ー ` ● )の時代は過ぎたんだよ
誰かが( ● ´ ー ` ● )の首に鈴をつけなければ
ならないときがきたんだよ
今の( ● ´ ー ` ● )に必要なのはおつかれさまと
( ● ´ ー ` ● )の肩をポンとたたいてくれる人なんだよ
孤独な( ● ´ ー ` ● )
誰からも叱って貰えない( ● ´ ー ` ● )
堪えられない存在になってしまった( ● ´ ー ` ● )
君の存在はモーニング娘。にとって重荷になってしまったんだよ
がんばりやさんの( ● ´ ー ` ● )
今一度自分自身を見つめ返してごらん
君ならわかるはずだよ
もう( ● ´ ー ` ● )の時代じゃないってことが・・・
大好きな( ● ´ ー ` ● )
いま君に必要なのは一歩を踏み出す勇気なんだよ
ファンのみんなも君の決断を祝福してくれるはずだから・・・
今までありがとう( ● ´ ー ` ● )
さようなら( ● ´ ー ` ● )
そしてこんなこといっちゃってゴメンね( ● ´ ー ` ● )
なっちを応援する一ファンより。
保全
54 :
he:02/04/25 09:37 ID:SBBtlipe
hozen
水着跡 消える頃には 彼も去る
ヤッスー
だれが詠ませたのか知らないがちょっとかわいそうだった
保田の恋愛話にはまったく現実味がない
保田はいまどき珍しい処女性を持ったアイドルである
保田がプレステをしていたといえば
海千山千の古だぬきといえども
ころっとだまされてしまうだろう
残念なのは保田のプレステは
コントローラーが1つしか必要がないという現実だ
今回は書きにくいことを書かねばならない
名人戦は森内が丸山を倒して2連勝だ
私は早くもがけから転がり落ちてしまった
ショックなのはそれだけではない
名人の権威の問題である
やはり強い名人がいてこそ
名人の権威は保たれる
丸山名人の2連敗によって名人の権威もまた
がけっぷちに立っているといえよう
強い名人によって名人位が防衛されてこそ
名人の権威が高められ
すべての将棋指しが名人を夢見るようになるのだ
丸山にはその自覚があるのだろうか?
変な表現だが
自覚がないのであれば問題はないのだ
今から自覚さえ持てば森内を倒すことも容易であるといえよう
もし自覚があるのにもかかわらず
あのていたらくなのであれば非常に心配だ
名人位は森内のものとなるであろう
そして世間はコロコロと名人位が変わる状態をみて
名人位にたいする権威を感じなくなるだろう
将棋界は名人戦のたびに
名人位の権威を落としていることになってしまう
本来なら名人戦のたびに名人位の権威が
あがらなければならないのにである
丸山に残された道はただ1つである
残りの5つを4勝1敗以上の数字を残すことだ
名人の底力を見せることで
名人が絶対君主であることを満天下に知らしめるのだ
それが将棋が今後も生き残っていくための
たった1つの道でもあるのだ
丸山よ
今一度己の中に潜む獅子を呼び覚ませ
そして森内を倒せ
私が言えることはそれだけだ
私がこの文章をエロ動画を見ながら書いていると知ったら
丸山はズッコケルだろうか・・・
僕だって決してニィニィヲタというわけではありません。
でもまわりの関係者やメンバーから冷たい目で見られながらも、
けなげに頑張っているニィニィを見ていると、
思わず応援したくなってしまうのです。
僕みたいなヒトほかにいらっしゃいませんか?
告白します。
最初はニィニィのこと嫌いでした。
このブサイクがふざけやがって、と思いました。
でも必死で頑張っているニィニィを見て考えが変わりました。
顔なんて成長すれば変わるんです。
最近のお化粧技術はすばらしいものがあります。
歌だって水準以上のうまさがあるので安心してみていられます。
そしてなによりも、いやな事があってもそんなそぶりすら見せずに、
精一杯の笑顔をふりまいているニィニィって素晴らしいじゃないですか。
この先ニィニィが芸能界で成功するかは誰にもわかりません。
ひょっとしたら、はかなくせつない芸能生活になるかもしれません。
それでもいいじゃないですか、僕たちはニィニィがニィニィであり続ける
限り、ニィニィを応援していこうじゃないですか。
数少ないかもしれませんが、ニィニィの魅力をわかってやれるかたが
必ずこの世に存在するはずだと、僕は信じています。
調べてみると羊にも新垣ファンスレというのは
存在していたようだ
しかし悲しいかなざっと見たところ
その書き込み数は少なく
しかも半分以上が愛情のかけらもない書き込み
で満たされていた
残念なことだ
たしかに新垣がかわいくないのは事実だし
コネで入ったのも事実だ
いかにも場慣れした感じで感情移入しにくいのも事実だし
ただの子役という感じでそれ以上の輝きがないのも事実だ
しかし新垣をつぶさに観察すると
新垣なりに精一杯がんばっていることがわかってくる
必死でモーニング娘。の一員になろうと努力し
先輩の足を引っ張ることのないようにがんばっている姿は立派だ
泣き言ひとつ言わず常に前を向こうとする彼女の姿は
私たちが見習わなければならない姿だ
私たちは飯田の電波に毒され
安倍の笑顔にだまされ
矢口の声に耳をやられている間に
大事なものを見失ってしまったのではないか
精一杯がんばって常に前を向いて歩こうとする事が
なによりも大事だということを
新垣は私たちが忘れていたものを
思い出させてくれるような気がする
世の中は広い
中学2年生に何が大事なことなのかを教わるのだから
ハローモーニングで不思議な光景を見た
後藤がこころからたのしそうな表情をうかべ
加護が満面の笑みをうかべていた
私はこの二人をあまり注視することがないので
確かなことはいえないが
この二人のこれほど楽しそうな表情は久しく
見たことがないような気がする
二人の表情はすさんだ私の心をやわらかな光で包み
幸せな気分を運んでくれた
そして同時に二人のためにもほっとした
この二人はモーニング娘。でいるときに
あまり楽しそうにはしていない気がするからだ
もちろん二人ともたのしそうにしていることは多いのだが
その表情の下に常に緊張感や警戒心のようなものが感じられ
テレビを見ているほうとしては素直に喜べなかったのだ
それが今回はあの屈託のない笑顔だ
見ているほうがうれしくなるのも当然だ
ここは生きてるぞ
世の中には潮時という言葉がある
そしてそれは誰の頭上にも平等に降りかかってくる
しかしそれに気づかぬ人間もいる
普段なら私もその一人だ
しかし今回は幸運にも潮時に気づくことができた
僥倖といえよう
どうやら私にも潮時が来たようだ
私とて身の処し方はわかっているつもりだ
不思議と寂しさは感じない
それが潮時というものなのだろう
個人的な意見ではあるが
おそらくここは氏にスレだ