「勝者!辻のぞ…!」
高らかに決着の宣言をしていた審判員の声が、突然止まる。
先程まであれだけ騒ぎ立てていた観客達の声が、ドヨメキに変わる。
何事かと辻は恐る恐る後ろを振り返った。その大きな瞳が映し出すもの…
顔面を血で真っ赤に染めた加護亜依が立ち上がろうとしている。
握り潰された左腕をブランとさせ、残された右腕で体を支え込んでいる。
その双眸はずっと辻を睨み付けたままである。呼吸も荒い。
(まだ闘ろうというのか、この娘は!)
誰もがそう感じていた。立ち上がることさえ無理だと…
「あいぼん…」
加護の性格を良く知る辻は彼女の想いを噛み締めた。そして再び拳を握る。
例えどれだけ追いつめても、そこに僅かでも力がある限り加護亜依という娘は諦めない。
自分の手で完全決着を着けてやらなければいけないんだ。それが彼女への礼儀。
大きく深呼吸し、辻は加護に向かって走り出した。
まるでこれが二人の最期の立ち会いであるかの如く…
(もっとヤバイ技がある)
あらゆる物を破壊しうる辻の拳が、再び加護に迫る。
その瞬間、ふら付いていた加護の足取りが一転、指先があらぬ形に変化する。
まるで刃の如く、研ぎ澄まされた手閃が辻の首元へ飛び掛かる。
ぷいんと弾かれるはずであった。だが刃がさらに回転を加える。首筋をえぐる。
拳を突き出す形で動きを止める辻。真っ赤な血が観客席にまで飛び散る。
頚動脈破壊!
悲痛な絶叫がコダマする。それは先程の雄叫びとは正反対を意味する。
出血が止まらない。噴水の様に血が飛び出て行く。気を失うくらいの激痛。
辻は手で首を押さえ、出血を塞ごうと試みた。今気を失ったら死ぬ。間違いなく死ぬ。
激痛で涙があふれ出てくる。涙で前が見えない。目の前にいる人物が見えない。
見えない辻に対し、加護は容赦することなく攻撃を続けた。刃が辻の左ふとももを裂く。
左足神経断切!
ふとももの内側からも血が吹き出す。辻はもう片方の手をそちらにまわす。
もう悲鳴もでなかった。激痛が声を出すことすら拒むのだ。
(痛いよ!死ぬ!あいぼん!殺す気?あいぼんはののを殺す気だ!)
加護の狂気(矛)が辻の弾力(盾)を越えた!
泣きながらうずくまる辻を静かに眺め落とす。それはまるでトドメの場所を探す様に。
やがて加護の黒目が動きを止める。視線の先に辻の胸があった。その奥に心の臓がある。
狙いは定まった。右手が再び刃を作る。
(あいぼん…)
涙で前も見えず、両手は塞がれ、身動きもろくにとれない。声すら出ない。
逃れる術はもはやなかった。
辻は後悔した。あのときすぐに勝利を確信せず、もう一発殴っていれば…。
こんな風にはならずに済んだかもしれない。立場は逆だったかもしれない。
しかしその様な後悔が無意味であることを、辻は理解していた。
と同時に誇りの念も抱いていたのだ。
自分が相棒としていた娘はこれほどに凄い奴だったのだと。
最高の女とコンビを組み、共に成長し、最高の闘いが出来たのだと。
死に恐怖はしていなかった。最高の敵の手で死ねるなら本望とさえ思えていた。
ただ一つ心残りがあるとするなら…
辻の脳裏に一人の女性の顔が思い浮かんだ。そしてこれまでの思い出が浮かんでは消える。
(これ…走馬灯…?)
加護の右手が辻の胸をえぐり裂いた。