「まさかこうして貴方と闘うことになるとは夢にも思わなかったね、愛ちゃん」
「夢にも?思っていたよ毎晩、嫌っていうくらいにね」
「え?」
「てっぺんにいるあんたは私のことなんか眼中になかったかもしれない。でも私は違う」
「…愛ちゃん?」
「紺野あさ美をマットに沈める夢を、私は毎晩見ていてた」
「…」
「その為に私はこの一年、死ぬような思いでトレーニングを積んできた」
目の前に立つ友と思っていた人物から、鋭い殺気が放たれている。
そしてその殺気は自分に向けられている。違う、もう友ではないんだ。紺野は悟った。
この小さなリングの上で二人きりになった時から…
いや、地上最強という同じ夢を志した時から…
紺野と高橋が友になるということは、決して叶わぬことであったのだと。
「あんたを倒すのは他の誰でもない、私だ」
「…負けない」
モームス最大トーナメント、開幕戦のはじまり。
紺野の空手と高橋の拳法が真っ向からぶつかる。
王者を相手にして高橋は一歩も引かない、むしろ手数では紺野を上回っている。
打撃と打撃の応酬の中、徐々に後退しているのはなんと紺野の方であった。
「驚いたな、高橋の方が押しとるぞ」
リングサイドで観戦する二人組、保田圭と吉澤ひとみであった。
昨年の大会で、高橋紺野と対戦した二人である。二人の強さはよく知っている。
「だがまだ紺野はアレを出しちゃいないぜ」
吉澤が言うアレとは一撃必殺、神の拳のことである。昨年、吉澤もそれで敗れたのだ。
「じゃが高橋とて、ホッピーもモールスも出しておらぬぞ」
切り札を隠しているのは紺野だけではない、高橋も同じだ。
「どっちが来てもおかしくねえってことか」
吉澤の体が疼いている。二人の熱いファイトに闘争本能が刺激されているのだ。
(さて、先に切り札を出すのはどちらになるか…?)
きれいな衝撃音が会場をコダマした。
高橋のハイキックが紺野の頭部にヒットしたのだ。
たまらず膝を落とす紺野、チャンスとばかりに一気に攻め立てる高橋。会場が一気に沸く。
高橋の連続攻撃が次々と打ち込まれて行く、紺野の意識が徐々に薄れてゆく。
決まるか!?王者が消えるか!?
掌にチクリと痛みが走った。控え室で寝息を立てていた後藤真希が体を起こす。
忘れもしない、一年前に起きたあの奇跡。あのときの感触はまだその手の中に残っている。
(……紺野)
会場最上部、柱の影の中で微かな笑みを浮かべる娘がいた。
「それでいい…」
リングサイドの保田に吉澤に緊張が走る。アレを直に受けた者全員がそれを感じた。
意識を失った紺野の構えが、その構えになっているのだ。
数多き格闘士の中でただ一人、紺野のみが辿り着きし境地、神の拳。
高橋が呼び起こしたのだ、王者紺野の真骨頂を。
神の拳が発動する!
待っていた。高橋はこれを待っていた。
昨年の決勝戦、後藤真希はこの神の拳を受け止めている。
(私が後藤さんを越える為には、これを、これを止めなければいけない)
高橋は両手を胸の前に突き出す。
二人の間に閃光が走った。
「あれ、ここは…」
小さな病室のベットの上で高橋愛は目を覚ました。
「気が付いたか。」
見るとベットの横に保田圭が腰を下ろしていた。同時に腹部に強い痛みが走った。
(そうか、もう…)
高橋は悟った。自分の闘いはすでに幕が下りていることを。
(届かなかったか、あさ美)
「なぜホッピーもモールスも使わなんだ。あれを使えば結果は変わっていたやもしれぬ。」
「安倍さんも後藤さんも、どんな相手にでも真っ正面から闘っています。」
高橋は静かに目を閉じ答えた。
「私、決めたんです。もう小細工は使わないって。本当の実力だけで勝負するって。」
エースに小細工は無用。
「なるほど。」
保田は思った。この娘は先を見ている。きっともっと大きくなって帰って来ると。
「どうやらわしがいなくなっても安泰の様じゃな。ふぉっふぉっふぉ」
高橋愛の闘いはまだまだこれからである。
勝者 紺野あさ美
キテタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!
高橋愛を破り二回戦へと駒を進めた紺野あさ美。
「なさけねえな」
控え室へと続く廊下にて、そんな彼女に声を掛けた人物がいた。吉澤ひとみだ。
「どういう意味ですか、吉澤さん。」
少しムッとして聞き返す。微笑を浮かべた吉澤は壁にもたれながら答える。
「おせじにもチャンピオンの闘いとは言えねえってことだ。」
「それは、愛ちゃんが強かったから…」
「だな。試合内容は完全に高橋の方が上だった。たまたま最後の一発が決まっただけ」
自分でも感じていたことをそのまま言われ、紺野は耳が痛かった。
「そんなんじゃ、この先に当る人には通用しねえぜ」
この先…今まさに会場では第二試合が始まろうとしている。あの二人の試合だ。
「去年のお前、少なくとも私と闘ったときのお前は…もっと強かった。」
そう言い残し吉澤は通り過ぎていった。
(もっと強かった?チャンピオンになって私、弱くなってる…?)
一人残された紺野あさ美は考え込むように立ち尽くしていた。
(やれやれ、私もおせっかいだな。自分の方がやばいってのに…)
吉澤は頭を掻いた。対戦相手のことを考えると憂鬱になってくる。
だが、それはもう避けることのできない決定事項なのだ。運命の刻は近づいている。