夜が明け始める。メンバーたちはライブの疲れからか、
うとうとと眠り始めていた。
しかし石川は病室の前と待合室の間をうろうろと歩き回る。
吉澤は闘っているんだ。まだ生きているんだ。
吉澤のそばを離れたくない。何とかしてあげたい。
そんな想いが彼女を眠らせてはくれなかった。
そのとき、急に病室の中があわただしくなる。
ナースステーションから看護婦が駆け込んでくる。
「よっすぃー?」
それに気づいた石川は、慌てて病室に向かって走る。
そして看護婦が入ったのと同時に病室の中をのぞいた。
「ひとみ!ひとみ!」
母親が必死に呼びかける姿が見える。
石川は病室の中のモニターの画面をみる。
心電図の動きが正しいリズムを刻んでないことが彼女にも分かった。
主治医も駆け足で病室へとやってくる。
石川はただならぬ自体に驚き、よろよろと壁に向かって倒れこむ。
「梨華ちゃん、どうしたの?」
同じく眠れなかった後藤が石川のそばを通りかかる。
「よっすぃーが、よっすいーが……」
その言葉を聞き、慌てて後藤も病室の中をみる。
そして、病室の光景を見て、彼女はメンバーたちのいる待合室へと走った。
後藤に呼ばれて、メンバーたちは吉澤の病室の前へやってくる。
「梨華ちゃん、どう?」
息を切らせた後藤は呆然とたたずむ石川に声をかける。
「よっすぃ……、よっすぃ……」
石川はただ呆然と呟くだけだった。
メンバーたちは慌てて病室の中を覗く。
「ボスミンもう1アンプル行ってくれ」
「はい」
中では汗をながしながら、主治医が心臓マッサージを始めている。
人形のように力なく、主治医の動きに合わせて動く吉澤の体。
両親は沈痛な面持ちでそれをじっと見つめていた。
ギシギシとベッドのきしむ音、なりつづけるアラームの音、
そして母親の嗚咽。
その音が、彼女たちの心に冷たい衝撃を与えていく。
(頑張れ、頑張るんだ、よっすぃー……)
後藤は必死になって念じていた。彼女はいま最後の闘いをしている。
自分はもう何もできないが、少しでも力を分けてあげたい。
彼女は目を閉じ、必死になって祈った。
「う、ウソや……、いやや、いやや!」
加護は気が動転して暴れだす。
「加護ちゃん!」
ふとそれに気づいた安倍が加護をぎゅっと抱きしめる。
「よっすぃーが死んじゃう。どないしよう、どないしよう」
「加護ちゃん、落ち着いて。よっすぃーは頑張ってるんだよ?ちゃんと見てあげて!」
「いやや、いやや、あの娘と同じやん。そんなんいややぁ!」
安倍の胸の中で加護は、泣きながら叫んだ。
「辻ちゃん?」
そのとき飯田の腕の中にいた辻は急にがくがくと震えだす。
辻はもう立っていられなかった。加護の台詞で
吉澤の見舞いにいったときの、白血病の少女の死の現場が
頭の中で鮮明にフラッシュバックする。
今、そのときと同じ状況が目の前にある。
そしてそこにいるのは吉澤。
吉澤が本当に死んでしまう。あの少女と同じになってしまう──
息が苦しくなる。脈拍が急激に上がる。手がしびれてくる。
激しい胸の動悸と恐怖で辻の頭は真っ白になった。
カクンとした衝撃を飯田は感じる
そして、辻は崩れ落ちるように彼女の腕から抜け落ちた。
「のの!」
メンバーたちは叫んだ。
「紺野!看護婦さんを呼んで!」
飯田が叫ぶ。
ナースステーションから看護婦が駆け寄ってくる。
「どうしました」
「なんか、きゅ、急に倒れちゃって……」
「すぐ、先生を呼びます。とりあえず、こちらの病室へ」
看護婦はそう言って少し離れた病室のほうを指差す。
飯田と紺野は辻を抱えて、その病室へと向かった。
辻が病室へ運ばれる。別のドクターやってきて彼女を診察する。
そしてドクターは手際よく動脈血採血を済ませる。
暫くして採血の痛みからか、辻は目を覚ます。
緊張しているのか、体がこわばったまま動けない。
「よっすぃーは……、よっすぃーは……」
そうつぶやきながら再び震えだす
「大丈夫、大丈夫、辻ちゃん」
飯田は辻の肩を抱くようにして、震える辻を落ち着かせる。
看護婦が走りながらデータを持ってくる。
ドクターはさっとそれを眺める。
「過換気候群ですね」
飯田にそう言うと、紙袋を辻に渡す。
「心配しなくていいよ。この中で息をしてごらん」
やさしくドクターは声をかける。
しかし、再び彼女を激しい動悸が襲う。
苦しそうな表情をする。紙袋を持つことさえできない。
「無理だな。セルシン筋注しようか」
ドクターは看護婦にそういうと、彼女に向かって鎮静剤を注射した。
暫くして彼女は眠りにつく。
呆然とその様子を見ている飯田にドクターは言った。
「別に命に別状はありませんから、吉澤さんのところへいかれてください」
「あ、は、はい」
はっとわれに返った飯田は紺野とともに吉澤の病室へ向かって駆け出した。
飯田と紺野は吉澤の病室へと戻る。
「どう?吉澤は?」
飯田が保田に尋ねる。
「戻らない。もう大分時間がたってるけど」
「ホント?」
そういうと彼女たちは病室の中をのぞいた。
「先生、心停止から1時間です」
看護婦が時計を見ながらつぶやく。
主治医はいったん手を止める。そしてモニターをみる。
乱れていた波形がスッと平坦な波形に変わる。
すでに血圧は測定不能の数値まで下がっていた。
「お父さん、もうこれ以上は」
主治医はそう言って吉澤の父親をみる。
病室の外でその様子を眺めていたメンバーたちはグッと息を飲み込む。
「いや、いや、いやぁ……」
それが何を意味するのかがわかった石川は、
おもむろに病室の中に入ろうとする。
自分が心臓マッサージを続ける。腕がちぎれてでも続ける。
絶対吉澤を助ける。そんな想いだった。
「梨華ちゃん、ダメ。」
後藤が石川の体を抑える。
「いやだよぅ、やめちゃいやだよぅ……。やめちゃいやぁ……」
石川はそれを振りほどこうともがく。
後藤は必死になって石川を抑えつづけていた。
暫くして父親が主治医に答える。
「分かりました」
「あ、あなた!」
母親は父親の腕にすがる。
「ひとみは充分頑張った」
諭すように父親は母親に向かっていった。
それを受け主治医は瞳孔、脈を調べる。
そしてゆっくりと時計をみる。
「午前7時35分、ご臨終です。お力になれずに残念です」
そういうと、両親に小さく頭をさげ、
主治医は人工呼吸器の電源と、モニターの電源を落とした。
「いやや、いやや、よっすぃー!」
その瞬間、加護が叫ぶ。
「加護ちゃん、よっすぃーはもう充分頑張ったよ。ね?休ませてあげようよ」
安倍は座り込んでなきつづけている加護にそう言った。
「いややー、いややー」
しかし加護は首を振り、泣きつづけるだけだった。
「吉澤さん……」
新メンバーたちは声にならない声をあげる。
「くそー、なんでだよ、なんでだよ」
矢口は悔しそうに壁を叩いた。
他のメンバーたちは静かに涙を流しながら、吉澤の冥福を祈った。
「梨華ちゃん?」
後藤が腕の中で動かなくなった石川に声をかける。
呆然とたたずむ石川。焦点の合わない目線を宙に彷徨わせる。
暫くして看護婦たちがあわただしく、死後の処置を始める。
「待合室に行こうか」
保田が、後藤の腕の中にいた石川の肩を抱くようにして歩き始める。
そして、メンバーたちはそれに続くように、悲しみに暮れながら、待合室へと戻った。
待合室。そこには幾人かの患者達が不思議そうに彼女たちを見ていた。
そして、看護婦たちは朝食の配膳の準備に追われている。
「ののは?」後藤が飯田に尋ねる。
「あ、いまお薬で眠ってる。命に別状はないって」
飯田は思い出したように答える。
「そうかあ。ショックだったろうなあ。辻は吉澤と仲良かったし」
矢口が呟く。
沈黙が続く。朝食をとり終えた患者達が待合室にやってくる。
モーニング娘。の存在に気づいたのか、人が集まりそうな気配がする。
「そろそろ霊安室に行こうか。吉澤が寂しがるよ」
それに気づいた安倍は涙を拭くとメンバーたちに向かっていった。
「梨華ちゃん、行くよ」
後藤はそういうと、いすに座ったままうつむいて動こうとしない石川の腕を引っ張る。
「いやっ!」
「梨華ちゃん?」
「昨日一緒に踊ったんだよね?ライブに参加したんだよね?」
「なに言ってるの?」
「骨髄だってやっと見つかったんだよ?これからよっすぃーは良くなるんだよ。
また一緒にモーニング娘。をやるんだよ?そうだよ、そうだよ……。
ごっちんこそ何言ってるの?」
石川は後藤の顔をみないでそう答える。
彼女は主治医が吉澤の心臓マッサージをやめてから、自ら思考回路を遮断していた。
そうしないと、耐えがたいショックから自分の心を守れなかったからであった。
後藤自身も悔しくてたまらなかった。悲しくてたまらなかった。信じられなかった。
でも現実に吉澤は死んでしまった。彼女の闘いを弔うためにも、
落ち込んでばかりいるわけには行かないんだ。そんな想いが
いつまでも吉澤の死を認めようとしない石川に対する苛立ちとなる。
「梨華ちゃん、いいかげんにして!」
後藤は無意識のうちに石川の右頬を平手で叩いていた。
はっとした表情を後藤はする。石川はうつむいたまま左頬を抑える。
「ご、ごめん」
石川は返事をしようとしない。他のメンバーたちも如何していいのかわからず、
呆然とその様子を眺める。
「梨華ちゃん……」
後藤はそんな石川にむかって話し掛ける。
「…………」
それ以上の言葉を拒絶するように、
少し赤くなった涙でぬれた頬を抑える。
「ほら、人が集まっちゃうから。ね、石川。行こうよ」
保田がそれを見て、石川の手を引いて、霊安室へと歩き出す。
石川は、ふらふらと保田に手をひかれるまま歩いていく。
メンバーたちもそれについていくように霊安室へと向かった。
霊安室には、簡素な祭壇と、桐でできた棺が置かれていた。
葬儀屋の人たちと、看護婦が立っている。その横に両親が沈痛な表情で座っていた。
「お父さん、このたびは……」
飯田が挨拶をする。
「いろいろと有難う御座いました。どうか、顔を見てやってください」
そう父親はそう言うと立ち上がり、ゆっくりと棺の顔の部分を開く。
「吉澤……」
飯田、安倍、矢口、保田の4人は、血色のない真っ白な吉澤の顔を眺めた。
「なんでだよぉ、なんでもうちょっと……」
矢口が悔しそうな声をあげる。
「もっとはやく骨髄が見つけられればよかったんだよね…、ごめんね……」
安倍は涙を流す
「吉澤、もうプッチの心配はしなくていいからね。ゆっくり休んで」
保田やそう言って吉澤の髪を撫でた。
「吉澤さん……」
新メンバーたちも泣きながら吉澤のそばにくる。
憧れの先輩の死に、まだ幼い新メンバーたちはただ泣くことしかできなかった。
後藤が吉澤のところへやってくる。
「よっすぃー……、悔しかったよね、生きたかったよね。力になれなくてごめんね」
そういいながら彼女の髪を撫でる。
後藤も悔しかった。もう少しだった。あと1週間早ければ。
いや、あと数日でも良かったかもしれない。
悔しくてたまらない。でも、吉澤は充分頑張ってくれた。
彼女の頑張りはきっとみんなにつたわるはず。
そう思うしか自分を納得させることができなかった。
「加護ちゃんも、ほら」
動こうとしない加護の手を安倍は引っ張る。
しかし、加護はもう見たくなかった。
吉澤が死んでしまったのは分かっている。
でも、どうしても認めたくなかった。
「みてあげて」
安倍は口調を強める。
安倍の言葉に加護は小さく頷くと棺に向かって歩き出した。
加護は安倍にに連れられて吉澤の棺の元へやってくる。
いつも以上に白く、そして全く血色のない吉澤の顔が彼女の目に映る。
そこに命はもうないんだ──
加護の心の中に現実が突き刺さっていく。
「よっすぃー……、うっく……、なんでなん?なんでなん?
うっく……、あんなに元気やったやん……」
認めるしかない吉澤の死。
それを理解した加護は、棺にすがるようにして加護は泣いた。
「立派だったよね、頑張ったよね」
しばらくして安倍はそんな加護の肩を抱きながら語りかける。
「……うん。うっく……よっすぃーは……、ひっく……、頑張ったよ……」
加護は嗚咽をあげつつも、安倍の問いかけに必死で答えた。
その姿を他のメンバーたちは沈痛な面持ちで眺めていた。
保田は石川の手を引く。
「ほら、石川も」
呆然としていた石川は保田の手を振り払い、うつろな目をしたまま、
ふらふらと棺の元へ歩み寄る。
「石川……」
保田はそれ以上何もいえなかった。
「どうしたの、よっすぃー。なんで寝てるの?骨髄移植してもらわないといけないんだよ?
風邪引いちゃうよ?ほんとによっすぃーは自分勝手なんだから」
石川は、動かない彼女の体に向かって、小さな声でそう呟きつづける。
「よっすぃー、おきてよぉ」
まるで楽屋で居眠りをする吉澤を起こすように、やさしく彼女の頬を触る。
ヒヤリ──
冷たく、そして少しだけ固い感触が石川の右手に伝わる。
認めざるをえない現実。
そのことを思い出させるように、
止まっていた彼女の思考回路のスイッチが入る。
「いやぁぁぁ!」
石川は叫ぶ。
「つめたい……、よっすぃーがつめたいの!なんで、なんでぇ!」
メンバーたちにそう叫びながら、棺に崩れ落ちる。
石川は何度も何度も吉澤の頬を撫でる。
うそ?なんで冷たいの?
いやだ、いやだ、いやだ、いやだ──
もう一度触ればきっと温かいはず。
そして何事もなかったように起きてくれるはず。
そう願いながら、撫でつづけた。
しかし、先ほどと変わらない、冷たい感触だけが彼女の手のひらに伝わる。
「つめたいよぉ……、よっすぃー、うっく…、うっく…、つめたいよぉ……」
石川は両手で吉澤の頬を包み込むように、手を当てつづけていた。
メンバーの誰もがその姿を見ることができなかった。
石川の吉澤の想う気持ちはメンバーの誰もが知っていた。
もうこれ以上言葉をかけることができなかった。
霊安室は石川の嗚咽だけが響いていた。
しばらくして父親は泣きつづける石川に歩み寄る。
「石川さん、そこまで言ってもらえてひとみも幸せだとおもいます」
そういうと、彼女の肩に手を置く。
その言葉に、石川は嗚咽をあげつつも顔を上げ、吉澤の棺から離れる。
「本当にお気持ちはありがたいです」
そういうと、父親は彼女にハンカチを渡す。
石川はそれをゆっくりと受け取ると涙をふき、
そして小さくお辞儀をした。
「石川……」
保田が石川に駆け寄り、肩をだく。
その保田の肩に頭を乗せるようにして石川は泣きつづけた。
霊安室のドアが開く。
そして、慌てた様子で主治医が入ってくる。
「このたびはお力になれず、残念です」
「いえ、これも運命だったんです。有難う御座いました」
父親は気丈にもそう答えた。
「そろそろ、出発をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
葬儀屋の人がそう両親に告げる。
「おねがいします」
両親がそういうと彼らはひつぎを外の車へ運び出した。
メンバーたちは主治医らともに外へ出る。
棺が車の中へと入れられる。両親たちも後に続くように車に乗り込む。
「よっすぃー……」
ただ、メンバーたちはそうつぶやくことしかできなかった。
大きなクラクションの音が響く。
ゆっくりと車は走り出した。
主治医と看護婦たちはその車に向かって一礼をする。
それをただ、眺めることしかメンバーたちはできなかった。
この日、吉澤ひとみの闘いは、幕を閉じた──