「ドナー登録したんだ、あの日」
「え?」
確かに彼女は説明が終った後、いつの間にかその場から立ち去っていた。
メンバーたちは予想もしない安倍の行動に驚く。
主治医の説明を聞いた日に安倍は吉澤を助けるために自らドナー登録をする決意をした。
泣いているだけではなにもできない。自分は彼女のためになにがして上げられるのか。
吉澤を助けたい、それだけの純粋な気持ちだった。
その彼女の結論が、骨髄バンクへの登録だった。
そのときに感じたことをメンバーたちに語りかける。
「骨髄移植ってどんなものか知ってる?」
安倍はゆっくりとメンバーたちに話し始める。
「骨髄ってね、腰の骨から取るんだよ」
「そうなんだ。注射かなんかでとるの?」
矢口が不思議そうに訊ねる。
「ちがうの。学校や仕事を数日休んで、入院して全身麻酔をかけて、
手術室で数センチの傷を入れてそこから取るの」
「え?手術するの?」
メンバーたちは骨髄移植の詳細について知らなかった。
そんな大変なことだとは思っても見なかった。
「そう。仕事を休まなくてはいけないし、極わずかとはいえ、傷が残るかも知れないの。
それに全身麻酔ってね、100%安全とはいえないんだよ。
極めてまれに死亡事故だってあるの。実際、海外では何例か報告があるって」
「そ、そうかもしれないけど、なんでキャンペーンするのがいけないんですか?」
石川は不思議に思った。そんなことは大きな問題ではないのかと思っていた。
吉澤も助かる。ほかの白血病患者も助かる。こんないいことはない。
いくら、大変なこととはいえ、キャンペーン自体は問題ないはず、そう思っていた。
「もし、吉澤のファンが登録するとするでしょ?その人たちは吉澤を助けたいわけ。
でも、もしほかの人に適合することがわかったとき、その人はドナーになってくれると思う?」
安倍はメンバーたちに問い掛ける。
「うーん、なるんじゃないかなあ?」
少し悩んだ後、後藤はうでを組みながら答えた。
メンバーたちもその答えに頷く。
「じゃないかなあ、じゃダメなの!移植を待っている人は
何時死んでしまうかも分からないんだよ?
断るようなことがあったら大変なことになるんだよ?
絶対骨髄を提供する意思がないとダメなの!」
安倍はその答えを聞いて真剣な表情で言う。
静かに話していた安倍の口調が強くなったのにメンバーたちは驚いた。
そして、安倍の言葉の意味を考える。
「私だって同意するのにものすごく悩んだんだから!
見ず知らずの人のために、体にメスを入れるんだよ?
めったに無いことだけど、死んじゃうかもしれないんだよ?」
安倍は続けた。
始めは吉澤を助けたい一心だった。
しかし、吉澤以外の人に適合する確率の方がはるかに高いのだ。
でも、それを断ることは自分にはできない。そこには命をまっている人がいるのだから。
体に傷をつけ、そして命のリスクをかけてまで、自分は提供する決意があるのだろうか。
体をみせる、アイドルという仕事をしているのに。
安倍は自分が登録に同意するときの心の葛藤をメンバーたちにわかってもらいたかった。
「吉澤を助けたいという気持ちだけじゃダメなの!
苦しんでいる白血病の人たちみんなを救おうって気持ちがないとダメなの!」
安倍はドナー登録に同意したときの気持ちを訴える。
そして沈黙がつづく。
命を掛けてまで他人の命を救おうとするドナー登録者の気持ちは?
残りわずかな命の灯火を一生懸命消さないように頑張っている白血病患者たちの気持ちは?
私たちは吉澤のことしか考えていなかったんだ──
メンバーたちは自分たちの考えの甘さに気付く。
「キャンペーンはいいことだと思うけど、今のみんなの気持ちじゃあ
登録者にも白血病の人たちにも失礼だと思うんだ」
安倍はメンバーたちが沈んでいるのをみて、呟くように言った。
「でも、キャンペーンはしないとダメです。
そうしないと吉澤さんを助けることはできないんです」
紺野が安倍に向かって言った。その表情は絶対信念を曲げまいとする
強い意志が現れていた。
「でも今のみんなの考え方じゃ絶対ダメ。私は賛成できない」
「わかってます。でも吉澤さんの病状を知っているのは私たちと事務所、病院の人だけです。
私たちが公表しなければいいんです。
そして、純粋に骨髄移植のキャンペーンをすればいいんです」
「でもそれでファンのみんなは登録してくれるの?」
横にいた後藤が紺野に尋ねる。
「そうだよ、時間が無いんだよ?よっすぃーが病気だからこそ、
ファンは登録してくれるんじゃない?」
石川も後藤に続けた。
「数は大幅に減ると思います。でもこれなら、安倍さんの言うような、
きちんとした意識をもつ登録者が増えるはずです。
それに、このまま何もしないわけには行かないでしょう。
みんな吉澤さんを助けたい、一緒に闘いたいんでしょう?」
安倍も含めて、メンバーたちは紺野の意見に賛成するしかなかった。
やるしかない。それしかモーニング娘。としてやるべき方法はない。
ファン心理を利用しないで数を集めるのは難しいかもしれない。
でも、やるしかないんだ。メンバーたちはお互いを見ながら小さく頷く。
「でも、いきなり骨髄移植のキャンペーンっておかしくない?」
保田はメンバーの決意に水をさすかと思いながらも、
湧いてきた疑問を紺野に投げかけた。
「問題はそこなんですよね……」
紺野はそう呟いた。紺野は再び考え込む。
確かに唐突過ぎる。
なぜ急にそんなキャンペーンを?
なにか裏にはあるの?そう思われないだろうか。
きっかけが必要だ。なぜ私たちがそういうキャンペーンをするのか、
それを新たに作り出さなくてはならない。
メンバーたちは顔を見合わせる。
そして、彼女の優秀な頭脳にメンバーたちは期待するように
考え込んでいる紺野を見つめた。
「大丈夫」
唐突、安倍がメンバーたちに向かっていった。
「私のドナー登録をきっかけにしたらいいじゃない」
「でも、登録した理由が問題になりますよ」
紺野は顔を上げて安倍に尋ねる。
「心配しないで。ごっちん、協力してくれる?」
安倍はそういうと、後藤に向かってウィンクをする。
「あ、うん」
不思議そうな顔をして後藤は頷いた。