何を考えてるんだろう、と思う。
七月の蒸し返すような内気を開放するため開け放った窓から
斜向かいの教室にいる石川梨華を見て、ひとみは何故か小さく
ため息をついた。
彼女、石川梨華は今日も独りだった。
窓際最前列の席に座り、退屈そうに肘を突くでも熱心に授業に
聞き入るでもなくただ俯いている。
ダラリと垂れた少し長めの前髪は陰湿な印象を残すが、その
くせ目元はやけに涼しげで、今度は反対に凛とした印象を受け
る。
きっと優しく微笑んだりしたら素敵なんだろうな。
それがひとみの石川梨華に対する印象だった。
だがひとみはまだ一度としてそれを見たことはない。
まるで教室の片隅にいつのまにか忘れ去られてしまったオブジェ
が置いてあるみたいだった。
ひとみがこうやって石川梨華のことを観察するようになったの
はごく最近のことだ。
でもこれといったきっかけがある訳じゃない。
あるとするならば、それはただ単に同じバレーボール部に属し
てるということだけだ。
もともと梨華には周囲から疎ましく思われているような傾向が
あり、常に周囲から浮いた存在で、ある意味目立っていた。
けれどそれもただそれだけの話で、価値観の違いを自分は自分
と割り切れるタイプのひとみはそんな他人の意見に過度に同調
するつもりなどは毛頭にない。
かといって何の理由もなしに話しかける様な気さくな人間でも
ないので、梨華と接触することは殆どなかった。
それに梨華もおしゃべりなほうでは決してなかった。
どこか前時代的とも言える貞操観念の強そうな陰のある容姿、
そこから溢れる彼女独特の雰囲気は今どきの女子高生の鼻につ
くのかもしれない。
―現に制服のスカートをちゃんと膝下10センチという規定の
丈にして履いているのは梨華くらいのものだった―
それに勉強が出来るらしく、学園の教師には優等生と呼ばれて
いるらしかった。
そんな梨華に対する接し方にはみんなの感情が素直に表れてい
るのかもしれない。
周囲から浮いた存在。
今のこのご時世、そんな人間の存在を珍しがる人間なんてそう
はいない。
いつだって少し街を歩けば怪しい人間なんてこの世にはごまん
といる。
だけどバレーがそこそこ出来るということ以外は割と平坦な
学園生活、ひいては人生を送ってきたひとみが梨華に気を引か
れるにはそれは十分な理由だった。
この朝比奈学園の校舎は地図で見るとL字型になっていて、親
指と人差し指でL字を作ると親指の第一関節にひとみのクラス、
そして割と広い中庭を挟んで人差し指の付け根に梨華のクラス
が位置する。
そもそもひとみがこの進学校として名高い朝比奈学園に入れた
のは中学時代に熱中したバレーボールの部活動推薦枠のおかげ
で、勉強などろくすっぽしてこなかったひとみが授業について
いける訳もなく、いつも暇を持て余していた。
だから暇つぶしといえば昼寝か窓の外を眺めるくらいで、席決
めの時に無理を言って窓際の最後列を譲ってもらった。
―友人の真希とおしゃべりをしたいんだけれど、真希はいつも
昼寝ばかりで困っている―
そしてそんな折、斜向かいのクラスに梨華を発見したのだ。
クラスでもひとり。
バレー部でもひとり。
そして帰り道もひとり。
その存在を知って以来、梨華が誰かと楽しげに話しているとこ
ろを見たことがなかった。
なぜこんなに気になるのか分からない。
しかしもうひとみには気にするなという方が無理で、考えれば
考えるほど溜め息の数は増えていったように思えた。
ヌッと、まるで幽体離脱でもしたみたいに梨華が椅子から立ち上
がったのでひとみはすこし驚いた。
教壇に立つ教師を見るからにどうやら向こうは古文の授業らしく、
声こそ聞こえてこないが梨華は古文の読解をさせられている様だ
った。
特に猫背という訳でもないのに背中を丸め、自身なさげに小さく
口を動かす。
そして梨華のそんな様子を見たクラスメイトの数人はあざ笑うか
のようにクスクスと密かに肩を揺らしていた。
やはりその様はどこか陰惨で、彼女の学園での立場を象徴してる
みたいに思えた。
読み終えたらしい梨華は顔色一つ変えず席に着いた。
優等生らしくあっという間に読み解き終えた梨華に白ひげを蓄え
た教師は拍手を送っていたがクラスメイトのほとんどは無反応だ
った。
6時限目の終わりを告げるベルが鳴り止んでも、梨華はまだしば
らくの間うつむいていた。