6限が終わったことに気がついたのは、隣で居眠りをしてい
た真希が目を覚ましたからだった。
「ふわぁぅ…いま何限目?。」
梨華に囚われていた視線を大きなあくび声のする方に向ける
と隣では寝ぼけまなこの真希が気持ち良さそうに伸びをして
いた。
枕代わりにしていた学校指定のジャージに顔を突っ伏して寝
ていたから頬が風呂上りのようにほんのり紅潮していて額か
ら少しだけ汗をかいている。
真希は何故か四季を通して長袖のワイシャツしか着ないから
それが余計に暑そうで、それで少しだけ不快そうに見えた。
真希と私は幼なじみで、ツーカーの仲というかとにかく二人
はとても気心の知れた間柄だ。
いつも一緒にいて意味のないただ流れていくだけの会話――
流行のテレビドラマの話なんかはまずしないけれど――をし
たり、ただブラブラと街を歩いたりしていて、それだけでと
ても楽しかった。
二人とも根があまり社交的ではないから、お互いに学園の中
には他に気心の知れた友達がいない。
だから互いに唯一の親友と呼べる存在だと思う。
ただ私が中学の時にバレーボールを始めてからは忙しくて学
校以外で遊んだりはしなくなってしまった。
だから今となっては一緒にいられるのは教室にいる時だけだ
った。
「いまちょうど6限が終わったみたい。」
そう言ってから初めて教室を見渡すといつの間にか教壇に立
っていた教師が居なくなっていた。
黒板へ目をやると、重たげな色をしたそれを難解な数式でも
ってほぼ真っ白に埋め尽くした板書にもまったく記憶が無く
て、それで6時限目の間ずっと石川梨華のことを見ていたん
だと気づいた。
「ふぇ!?…昼休みじゃないの?」
何をどう勘違いしたのか真希はとにかく驚いた様子で、猫を
不意に踏んづけたような、鼻の穴と頭のてっぺんの両方から
同時に息が抜けたようなおかしな声をあげた。
もともと間の抜けたおかしな喋り方をする真希だったけど、
寝起きのせいでいつもより余計に舌が回っていないみたいで
余計おかしかった。
「昼休み、ってゆうかさっき食べたばっかりでもうお腹すい
たの?」
「うん、まぁ少し」
そう言って、真希は照れくさそうに耳の後ろを掻いた。
真希は体が細いわりに大飯喰らいで、今日の昼食だって私の
倍は食べていた。
だけど私よりも背が低く部活動もやっていないのにその蓄え
たエネルギーを一体どこに使っているのか私にはとても不思
議だった。
と言っても真希は――私も含めて――大抵の女の子ならみん
な憧れてしまうくらいに胸が大きいので、そこにちゃっかり
と全部たくわえているんだとすれば頷けない事もないんだけ
れど。
「一日にそんな何度も食べたら相撲取りみたいになっちゃう
よ?」
「『ごっつぁんです』って?、あ〜それヒドイなぁ〜」
この『ごっつぁん』というのは中学時代に一つ先輩の矢口さ
んという人が真希につけたアダ名で、年頃の女の子にしてみ
れば不運な呼び名だけど、本人は特に抵抗はないらしい。
ちなみに私もその人には『よっすぃ〜』という変な名前を頂
いている。
「…ってゆうか本当に最近太り始めてるからマジでシャレに
なんないかもね…アハハ」
「マジで?、アハハっ」
真希が複雑そうな顔でお腹をさすったのがなんだかおかしく
て2人で小さく笑った。
真希は『おっとり』を通り越して四六時中ずっと寝ぼけてい
るフワフワした性格なんだけれど、一度決めたことは諦めな
いような頑ななトコロもある。
『よっすぃ〜がいくならアタシもいきたい』
そう一言だけ私に告げたきり、クラス担任が合格は絶対に無
理と言ってはばからなかったこの朝比奈学園に猛勉強して一
般入試で受かってしまったというエピソードも、ほかのみん
なはただ驚いていたけれど真希のことをよく知っている私に
は最初から分かっていたことのように素直に頷けた。
ただやっぱり入学したらしたで学園生活は以前とちっとも変
わっていなくて、四六時中机にかじりついて眠りこけている
ぐうたらぶりだった。
定期試験の成績なんかは私と同じで答案用紙にはこれでもか
というくらいにバツが並んでいるのにそれでもまったく動揺
はしない。
ただ、それでも人通りの多い街を一人で頼りなさげに歩いて
いてもキャッチセールスなんかには絶対に引っかからないと
思う。
それはシワシワのお婆ちゃんになってもきっと一緒で、近所
の公民館なんかでたまにやっているウソみたいに高い羽毛布
団――実際にウソなんだけど――の押し売りなんかにも引っ
かからないだろう。
私の親友、後藤真希とはそういう不思議な子だった。
「そういえばもうすぐ夏休みだね。例のアレ、結局どうなっ
たの?」
目を細め窓の外を眺めていた真希が寝グセでややトサカ気味
の前髪をペタペタとさわりながら言った。
「アレって?」
私は本気で身に覚えがないと思い、無骨に聞き返した。する
と真希は一旦不服そうに眉をひそめたあと軽く頬を膨らませ
た。
「もぉ…だから、お泊り会のこと」
「あぁ!そうだった」
あれこれと余計に記憶を掘り返すこともなく、私はすぐにあ
の約束のことを思い出した。
昔から『お泊り会』と称して、2人の間では夏休みの恒例行
事として互いの家で何泊かの泊り合うことになっていた。
互いの家を行ったり来たりして、その時ばかりは夜更かしし
て布団にもぐったまま、好きな男の子の話とか将来の夢の話
とかをとりとめもなくしていた。
ただ中学から始めたバレーのせいでここ数年は一度も実現出
来てきていなかった。それも、夏休みには必ず部活動で泊り
がけの長期合宿があったからだ。
入学式の日の新入生歓迎イベントの席で舞台にあがった部長
が『夏休みは無いものと思ってほしい』と言っていたのを思
い出していた。
それは一年生の体力では練習についていくのが精一杯で遊ん
でいる暇などないという意味なんだろうと私にもすぐに分か
った。
けれど夏休み合宿の有無については触れていなかったので、
そのことを部長か顧問に聞いておくと真希に約束しておいた
のだった。
だけど結局その約束も練習に夢中ですっかり忘れていた。
「で、どうだったの?」
真希は気だるそうに背凭れに体を預けると、脱力してため息
混じりに聞いてきた。
「………」
私は何とか適当に理由をつけて誤魔化そうとも思ったんだけ
れど、付き合いが長い分、さっきの私の様子を見ていた真希
にはきっと見透かされてるんだろうと思って諦めた。
見掛けに騙されて嘘をついても無駄だと言うことは私が一番
知っているのだから。
「ごめん、まだ聞いてない…」
真希の確かめるような視線を真に受けて、私は情けなくそう
答えるしか出来なかった。
「まぁよっすぃ〜がバレーに本気なのは知ってるからさ、ヒ
マが出来たらちゃんと聞いといてね。」
そう簡単に言い放った真希は何も無かったように帰り支度を
始めた。
その言い回しから、どうやら私なりの事情を考慮してくれた
らしく、何のお咎めも無しに私は許してもらえたみたいだ。
「総体が近いんだもんね。部活、ガンバんなよ」
バッグに簡単な化粧品や筆記用具なんかをバラバラと適当に
詰め込みながら言う優しげな真希。
「うん、ありがとう。」
感謝の意を込めて一言返すと真希も微笑んでくれた。
それを見て、どうにか今年こそお泊り会が開けないものかと
強く思う。
今日こそは忘れずに部長の飯田さんに聞いてみようと心に誓
った。
ガラガラとアルミ製のトビラが鉄のレールの上をすべる軽快
な音と共にクラス担任がやってきた。
周りを見るとみんな帰り支度を始めていて、そんな少し慌し
い中帰りのHRが始まった。
ずっと寝グセを気にしていた真希だったけれど、結局は最後
まで直らなかったみたいだった。
私に整髪料を借りようとしたけれど私はそんなもの持ってい
ないので向こう隣の子に借りてボソボソとグチをこぼしなが
ら直していた。
私も帰り支度を整え、空っぽのバックの中に真希への感謝の
気持ちと部活へのヤル気をいっぱいに詰めてHRが終わるの
を待った。
コートに白い玉が弾む音を思い浮かべ、私の小さな胸はほん
の少しだけ高鳴った。