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 次の日、目覚めると、隣りでナツミはまだ寝ていた。カオリは同時に目
を覚ましたのかわからないが私が起きて顔を上げるなり、
「ん‥起きた?」
と声をかけてきた。
「うん、おはよ‥」
 カオリはいつもうっすらと残っているクマをさらに目立たせている。どう
やら同時に目を覚ましたのではなく、あまり寝つけなかったようだ。睡眠
不足が物凄く顔に出る性質らしい。
「何時?」
「7時。ご飯でも作ろっか?」
「うん。ご飯とお味噌汁と‥魚焼いて。あ〜、鮭がいいなぁ‥。それと目
玉焼き‥あんまり焼きすぎないでね」
75- 40 -:02/03/07 23:38 ID:LGHelxUT

 うつらうつらしているカオリからは次々と要求が来る。私は「はいはい」
と呆れながら台所に向かう。
 ふと振り返ると、カオリはまた静かに眠りに入ったようでカーペットに頭
をこすりつけるような姿勢になっていた。ナツミはベッドで相変わらず、ア
ルコール臭い吐息を立てながら寝ている。
 私は冷蔵庫を開けた。でも、中はほとんど空だった。あるのは、牛乳とお
茶と食パンとバターと玉ねぎだけ。
「カオ…」
 「何にもないよ!」と言おうとしたが、長い髪をカーペットに散らばらせ
ながらぐったりと寝ているカオリを見て、口をつぐんだ。もしかしたらよう
やくちゃんとした眠りに入ったのかもしれない、朝食にはまだ早いのか
もしれない、と思いながら、冷蔵庫の扉を閉めた。
76- 40 -:02/03/07 23:39 ID:LGHelxUT

 今日は晴れのようだ。
 音を立てないように床に臥している二つのカラダをまたいで小さなベラン
ダに足を運ぶと、朝の穏やかな太陽がエネルギーを優しく地上に、そして
ここに降り注いでいた。
 8階から見る景色は私の家からいつも見る景色とは違っていて視界に飛
び込む空の支配率は高い。ぽつんぽつんと浮かぶ雲は厚みがあって、高
度がまだ低い太陽の光を、受ける部分と受けない部分とにくっきりわかれ
ている。まだまだ夏は終わらないと訴えているような色の濃い朝だ。

 ギシギシ軋むベランダの柵にカラダを凭れかけながら、朝食はカオリの言
い分は全く無視してパンを焼こうと決めた。材料を買いに行ってもいいのだ
が、コンビニが近くにあるか知らないし、あったとしても、さすがに鮭は置い
ていないだろう。パンを焼くぐらいなら、二人が起きてからでもできると思い、
このいつもと違う風景にしばらく身を置くことにした。

 そんな気分にさせられたのは、このカオリの部屋に漂う”芸術”の風趣が
私の中にもいくばくか吸収されていたのかもしれない。あらためてこの部屋
の持つ魔力の存在を感じていた。
77- 40 -:02/03/07 23:41 ID:LGHelxUT

 ココはカオリの”世界”だ。
 人はいろいろな”小世界”を融合、分離させながら自我を形成させていく。
学校には学校独自の世界があり、街には街の世界がある。
 そして、一人一人にも世界を持つ。自分と学校等の場を含めた他者との世
界を溶け合ったり撹拌させたりして生きている。
 その個の”世界”は一人暮らしをすれば顕著に浮き出る。
 だからもちろん、私とマリの家には私とマリがミックスされた世界があって、
ナツミの家にもナツミの世界が形成されているだろう。

 しかしカオリはその世界の濃度が違うのだ。私たちのは、おそらくちょっと
した因子の投入により、その世界の輪郭を変えてしまうだろう。しかし、カオ
リの世界はよほどのことがない限り、変貌したりしない。
 それは、夢、希望というものに溢れた人間だから。
 絵という掛け値のないものに進んでいる人間だから、発散するエネルギー
の桁数が違う。守るべき世界の重みが違うのだ。
78- 40 -:02/03/07 23:43 ID:LGHelxUT

 そんな部屋に包まれながら安らかな祈りのような空や雲の自然色がココロ
の中を浄化させていく。
 私は常にカラダとココロを緊張させ、刹那的に繰り返される自分の存在の
有無についての葛藤と闘ってきた。そして今は、束縛と自由を混合したうね
りなどと闘っている。内面の闘いは結論を持たぬまま、闘いそのものへの怨
恨だけを刻み付ける。

 何て無意味な闘いたちだろう。
 大体闘うことに意義なんてあるのだろうか。
 今、その場にいることを信じ、敬い、穏やかに時を過ごせればいいのでは
ないか?

 ふと下を見ると車が行き交う人の群れがあり大地の上に敷かれたコンク
リートの地面を揺るがしている。ココはそんなせわしないところから一歩離
れて、客観的に人類が造った破壊の果てを見下ろし、自然と物事を敬える
落ち着いたところだ。
 私はいつもより近い朝焼けに感謝の念を唱えたくなった。そんな傍から見
ると宗教に嵌ったとしか思えないことを誘起させる8階という景色に住むカオ
リやナツミがちょっとうらやましく思えた。
79- 40 -:02/03/07 23:47 ID:LGHelxUT

 しばらくして、ナツミが目を覚ましたようで、「う〜ん」という唸り声をあげ
た。その少女とは思えない低い声に私は振り返り、半開きにしていたベラ
ンダの扉とカーテンを開けた。肩口や脇の下から光が細い線となっていく
つも部屋に入り込む。
「おはよ。ナッチ」
「あれ〜、何でサヤカがいるの?」
 ナツミは眩しそうに目を擦りながら尋ねた。ボサボサな茶色の髪は朝日
に溶かされたようにさらに明るく映えて見える。
「おはよ」
 隣に寝ていたカオリも顔を横に向け、ナツミに言った。変な体勢で寝て
いたせいか、ナツミと私のちょっとした会話で目を覚ましてしまったようだ。
「あれ? カオリもなんで‥ってあれ? ココ‥」
「私んちだよ」
 カオリは首をコキコキ鳴らしながら呆れ半分、安心半分に言った。
80- 40 -:02/03/07 23:50 ID:LGHelxUT

「なんでナッチがここで寝てるの?」 
 ナツミは少し慌て気味に立ち上がろうとする。すると捲っていた裾がスル
スルと伸びて、手と足を隠した。そのせいでナツミはバランスを崩し、派手
にこけた。
「イテテテテ‥」
 おそらく昨日私が飛びかかったときに打ちつけた部分に当たったのだろ
う。顔をしかめるナツミを見ていると、ナツミはさらに、
「うわぁ‥頭も‥。ふわぁ‥」
と頭を抑える。二日酔いの兆候だ。私は「バカだね」と愛情を込めて言った。

 ふとカオリが気になって数秒顔を向けた。カオリの目の中にあった淀ん
だ色は薄れていた。それは昨日ナツミに睨まれてからずっと有していたも
のだ。やっとここにいるのがナツミなのだと認めることができたような大き
い安堵感が感じられる。私もそんなカオリを見て、今のカオリはいつもの
カオリだと、同じような安堵感を得た。
81- 40 -:02/03/07 23:57 ID:LGHelxUT

 朝食は卵をゆで、それを粉々にしたものとコショウをまぶした玉ねぎを炒
めたものを食パンの上に乗せ、その上にさらにマヨネーズを乗せ、トースタ
ーで5分ほど焼いたものを食べた。カオリの眠気まなこの中出てきたリクエ
ストはカオリ自身も覚えていなかったようで何も反抗はしてこなかった。

 ナツミは二日酔いの影響からかあまり口にしなかった。「あ〜、イタイイ
タイ」と顔をしかめるナツミを見ながら、私たちは”権利”の実行をした。
「昨日、何があったの?」
 ナツミは直接的な物言いに「へ?」と言いながら呆けている。
「『へ?』じゃないわよ。昨日私たちナッチの介護に大変だったんだからね」
「”介護”って寝たきりのおばあちゃんじゃないんだから」
 ナツミは「や〜ね〜」とよく世の中のおばさんたちがするように手首を振る。
「昨日のナッチはそんなおばあちゃんよりも酷かったんだって」
と呆れる私に、
「ホントホント。あんなに酔っ払っちゃったナッチ初めて見たわよ」
とカオリが付け加えた。
 するとさらにナツミは腕を組みながら首をかしげる。もう少しで90度に
なりそうな大げさなかしげかただ。

「全然覚えてない‥ってイタタタ‥」
 頭がまだガンガンするようでナツミは幾度となく頭を抱えている。カオリ
は両手で顔を覆い、やけに大げさに苦笑していた。

「どういうこと? 飲んだことも覚えてないの?」
 私は尋ねる。するとナツミは小刻みに「うん」とうなずく。
「昨日は誰とどこで何をやったの?」
「サヤカって何か警察の人みたい‥。あれ、昔同じこと言ったような‥」
 どうでもいいことを思い出そうとするナツミに呆れつつ、同じ質問をもう
一度するとナツミは口を開いた。
「彼に会って‥一晩中プレステしようってことになって、彼氏ん家で‥あ、
思い出した。それからお酒呑んだんだった」
 うれしそうに言うナツミ。
「それからは?」
「それからは‥あれ‥覚えてない‥。結構お酒呑んだんだっけ?」
「私たちに聞いたってわかるわけないっしょ」
「そうだよね。う〜ん‥」
 ナツミは眉を寄せた眉間に人差し指を添えながらしばし唸る。私とカオリ
は顔を見合わせた。
「それから何があったか覚えてないの?」
82- 40 -:02/03/07 23:58 ID:LGHelxUT

「あ、そうだ! 『みんなのGOLF』したんだ! ってイタ‥」
 再び頭を抑えるナツミ。
「そんなことはどうだっていいの! エッチしたの?」
「朝から何言ってんだべさ?」
 呑気に恥ずかしくなるナツミ。イライラしながらもう一度、
「エッチ、し、た、の?」
と一文字ずつ力を込めて聞く。

 圧倒されたのかナツミはのけぞり、答えた。
「やってないと思うけど‥。昨日はなんか妙にだるかったんだよね。それ
で、『ナッチ、今日疲れてる』って言ったら『じゃあやめよう』って言ってく
れたはずだし。あれ‥それ言ったの一昨日だっけ‥?」
「じゃあ、そのカラダ中のキスマークは何よ?」
 カオリがナツミのカラダを指差す。ナツミは「へ?」と言いながらダボつ
いたTシャツの首の部分をつまんで自分のカラダを覗く。
「うわ、何コレ? 昨日、蚊でもいたの?」
 私とカオリは再び顔を見合わせたあと同時にナツミに向かって言った。
「どういうこと?」