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それからしばらくカオリとたわいのない身の上話を互いにした。
どうやら今週中にでもカオリは”三日月”を辞めることをユウコに伝える
らしい。少し寂しいことではあったが、周りの絵たちを見るとそれも仕方が
ないと思えてしまう。「ナッチをよろしく」と言われて、私は無責任に「うん」
と頷いた。
その後、カオリはナツミとの故郷でのこととか、自分の彼氏のこととかい
ろいろ喋ってくれた。
ナツミはやはり昔から内向的で、いじめられっ子で、友達はカオリだけと
いう時期が長いこと続いたらしい。中学、高校と時を重ねるに連れ、ナツミ
の交友範囲は少しは広がったが、カオリが一番の友達ということに変わり
はなかったらしい。一度はそれがウザったくて邪険に扱うこともあったよう
だが、二十歳となった今も、結局はナツミと今もこうして仲良くやっている。
「腐れ縁だね」と照れながら言っていたが、それはカオリがナツミに向け
る母性本能の成せるものだろう。同級生でありながら、カオリはすらっとし
た体躯と大人びた性格のせいか、ナツミを手の焼く子供のような少し異常
な感情を向けている。でも異常にしたのはカオリではなくてナツミの隠隠と
した性格のせいだと傍から見る私は思う。
「多分、ナッチに外交的っていうか、男の子に話しかける勇気がちょこっと
でもあれば、すっごくもてたと思うんだけどなぁ。あの子ってかわいいし」
ナツミは小太りなほうだったが、顔立ちが整っていてかわいいのは確か
だ。私は素直に同意した。
カオリは私よりも長い年月に渡って、ナツミの陰の部分を見てきた人間
だから、恋を成就させて「幸せです」と言いながら世の中を謳歌しているよ
うな状態に口を挟むワケにはいかないのだろう。
「ほらさ、『恋は盲目』って言うじゃん。ナツミは今その状態なんだよ」
巣立とうとする子に向ける親のようなちょっと憧憬の入った遠い眼差しを
私に届ける。いつもは的を得ない発言が多いカオリなのに今回ばかりは納
得した。
「そうだね。そうかもね」
私はそう素直に口にすると、カオリは嬉しそうな顔をした。
それからカオリの今の生活のことに話が移る。彼氏がいるようなことを
言ったので、「どんな彼?」と突っ込んでみると「彼氏に関してはトップシ
ークレット」と何が”トップ”なのかよくわからないがともかくそう言い、どう
いう人間なのか口を割ろうとはしなかった。ただ、中学生のようにポッと
顔を赤らめている様子を見ると、ごく普通に幸せのようだ。
こうやってあらためてカオリと話していると、やはり私が生きてきた世界
とは水と油のように混じり合えないものだと気づく。正義感が強いのはナ
ツミという弱者が傍にいたからだろうが、そのカオリなりに構築してきた正
義というものに反する存在を、排除しようとする意志が強いことが言葉尻
からひしひしと感じられる。
私の生きてきた世界はカオリにはきっと今まで存在していなかったもの
だろうから、もしその世界のことを見せたりすると激しい拒否反応を示す
であろう。ユウコほど頑固ではないだろうが、嫌いなものへの嫌悪感は人
一倍ありそうだ。
聞くだけ聞くとカオリは「サヤカのことも教えてよ」と言ってきた。私は
思わず顔が引きつる。カオリが勝手に言ったんだよ、と言おうとしたが、
しっかりと聞き入っていたため、いささか説得力に欠けるなぁ、と思った。
結局、私はカオリのリクエスト通り、自分の身の上話をした。もちろん
カオリにあまり刺激を与えないように、親と絶縁状態にあること、マリと
いう幼馴染と一緒に同居していること、そしてユウキという彼氏ができ
たことなどをかいつまんで言い、”マリア”で働いていたこととか、マキ
のこととか、それにマリがこの前レイプされたこととかは言わないよう
にしたのでかなりしんどかったし、辻褄が合っていないような気もした
が、カオリはそんなことに気づきもしないようだった。
どうやらカオリはあまり論理的に解釈しようとせず、直感的に物事を
捉える人間のようだ。
「なるほど。サヤカが変わったのはそのユウキ君のおかげかな?」
カオリは私の話を聞いて、ただそれだけ言った。
「そんなに変わったかな?」
ちょっと照れくさくなって目の前の冷たいお茶に口をつける。そして上
目でカオリの長い髪を見る。
「うん。めっちゃくちゃ」
カオリは大げさな手振りとともにそう言った。
きっとカオリはヒトミとはまた違った意味で鋭い感性の持ち主なのだろ
う。優しいココロでもって、やんわりと人の中に入れる『北風と太陽』でい
う太陽のような人間。それは芸術家としての才のような気がした。
「かもね、あいつのおかげかな」
私自身も自分は変わったと思っている以上、否定しても仕方ないから
同意すると、「ヒューヒュー」と言い、私をはやし立てた。最初は恥ずかし
くなかったが、変な煽り方をするカオリを見ていると違う意味で恥ずかし
くなった。
小一時間ぐらい経っただろうか。もうすぐ日が変わろうとしていた。来る
時に終電時刻を確かめておいたのだが最終電車にはまだ数本ほど余裕
がある。
私は帰ることにした。「泊まってってもいいよ」とカオリは言ってくれたが、
さすがに迷惑だと思い断った。ついでにマリに『今から帰るね』とメール
しておいたのだが返事は数分経っても返ってきていない。おそらくマリは
もう寝たのだろう。最近の生活サイクルからすると寝てしまっていても不
思議ではない時間だ。
「じゃあね」
「うん、また来てね」
カオリの家に入る前に比べ、私のココロは随分と軽くなっていた。
ナツミは幸せなのだ。それは私がささやかに願っていたことだ。だから、
深く考えることはない。
そう思えたからだ。
いや、それよりもカオリという友達ができたような気がしたのが嬉しか
ったのかもしれない。カオリが言った通り、挙動不審で変なことばかり言
うカオリを最初の頃は冷ややかに眺めていた。
仲良くしようなんて1ミリも思っていなかった人間とこうやって腹を割っ
て(私は半分ぐらいしか割っていないが)話せたことで、生まれた時から
一緒にいたマリとはまた違った方向から私を支えてくれているような気が
した。
更新乙彼!
51 :
:02/03/01 13:51 ID:n/7TCIM4
ごめん、まだ更新中‥。
マリだけじゃない。ナツミ、ユウキ、そしてカオリ。
私を取り巻く人間が増えている。いろんな角度から私を支えてくれている。
存在自体を否定していた私という特種がこの現実社会に居てもいいよう
な気がした。
自分が意志を持ち、自分とは違った意志を持つ他者の存在を知り、その
二つを互いに尊重し、上手く調和させていき、ココロの糸を紡ぎ合う。その
繰返しにより形成されていくのは小さな現実社会。
それを禍々しいものとみなしていた私はもういない。
”友達”の存在をなくしたくない。
この気持ちが後天性であってもかまわない。
だから、私の運命を司る者へ告ぐ。
――このまま私の糸を切らないで。
「カオリ」
玄関を閉める直前、私は向こうのカオリに声をかけた。「何?」と再び玄
関の扉を開けるカオリ。
「夢、叶えてね」
今日、夢を教えてくれたことへの最大限の感謝のつもり。これに対し、少
し困った顔をするカオリに今度は私が「何?」と尋ねた。
「やっぱり、サヤカらしくないね。でもそっちの方が好きだよ」
優しげに微笑んだ。私も「恥ずかしいよ」と苦笑混じりに微笑んだ。
その二つの笑顔を同時に曇らせたのは女の大声だった。廊下の端から発
狂したような怒鳴り声が聞こえる。
「何? うるさいなぁ‥」
カオリが顔をしかめて、扉から顔を覗かせる。ドアの外側にいた私の目に
はもうその女の顔をとらえていた。
「ナッチ‥」
ナツミが狭い廊下を千鳥足で歩いてくる。他人の家の扉やその反対側の
壁にぶつかり、高そうなハンドバッグを振り回したりしている。
「きゃははは!!」
ナツミらしくない発狂した声に私は思わず耳と目を塞いだ。
「あの子、何やってんのよ‥」
カオリは心配そうにそうこぼしながら、サンダルを履き、ナツミに駆け寄る。
その時、ナツミは自分の家の隣、つまり811号室の扉の前に立ち、鍵穴
に鍵を挿そうとしていた。しかしふらついているため上手く挿せないでいた。
カオリはナツミのカラダを後ろからがしりと掴んだ。
「そこはナッチの家じゃないよ」
背丈がだいぶ違うせいで、カオリの顎がナツミの頭部のてっぺんに乗る。
「うわっ、お酒臭い」
ナツミの息がカオリの鼻孔に入ったようだ。カオリは顔をしかめる。多分、
この時カオリはカラダの力が一瞬抜けたのだろう。ナツミはカラダを目一杯
動かし、拘束しようとするカオリを振り払おうとする。狙ったわけではないだろ
うが、頭を上下に動かすと、乗せられていたカオリのアゴをクリーンヒットした。
「イタッ!」
どうやら舌を噛んだようだ。思わず手を離し、舌を突き立てながら自分の
口を押さえる。自由になったナツミは振り向き、勢いそのままにカオリを突
き飛ばした。カオリは部屋とは反対側の白い壁にぶつかり、そのまま腰が
落ちる。
「イタタタ‥」
後頭部と腰を抑えるカオリ。しかし、その痛みにこらえる顔を蒼白にした
のはナツミの血走った目だった。ナツミは811号室の扉を背もたれにしな
がら腰をかがめ、カオリの目の高さに自分の目を合わせじっと睨んでいる。
もし、カオリが腕か足を動かそうとするなら襲い掛かりそうな猟犬の目だ。
「ちょっと、どうしたの‥? ナッチ?」
「‥‥‥」
「ねえ‥」
「‥‥‥」
ナツミはカオリの問いかけに答えようとせず、ただ唸っていた。痛みは
吹き飛んだようで、カオリの両手の爪は下の冷たい地面を引っ掻いて
いる。まるでヘビに睨まれたカエルのようにカオリの身が凍ってゆくのが
傍目からも容易にわかる。
「サヤカ!」
カオリの中の危険度ファクターがリミットを超えたのだろう。ナツミから
目線を離さないまま、私に助けを求めてきた。私もナツミがおかしいとわ
かっていたので行動は速かった。
勢いそのままにナツミのカラダに飛び込む。予想外の横からの攻撃だ
ったのかナツミは私のほうを見ることはなかった。ただ押さえつけるだけ
のつもりだったが、予想以上にナツミの足はもろく、私が体重を乗せると、
自重を支えられなくなり思い切り倒れた。硬いコンクリートの上に大きな
音とともに叩きつけられる。
「だ、大丈夫?」
私はパッと上体を起こす。上になっていた私でさえも倒れた拍子の衝撃
が腰に走っていたので下のナツミは相当な痛みが走っているだろう。私は
即座に心配になってナツミのカラダを押さえつけながら、その顔を見つめた。
「あ‥」
しかし、ナツミはそんな心配を全く無視していた。張り詰めた空気の中、
聞こえるのは私とカオリの乱れた呼吸と、ナツミの細い糸を引くような吐息。
3人の膠着状態は数秒続いた。
「‥んとにもう酔いすぎよ‥」
落ち着いたのか、カオリはただただ呆れながら前髪を掻きあげた。ナツミ
は硬く冷えたコンクリートを普通のベッドのようにして穏やかに寝入っていた。
私は立ち上がり、お尻についた埃をパンパンとはたいた。
「カオリ、立てる?」
私はもう大丈夫だと思い、ナツミから離れ、カオリに手を差し出す。
「うん何とか」
「災難だったね」
背後のナツミは大きないびきをかき始める。驚いた私はさっと身構えた
が、いびきだと分かりほっとする。そんな様子をカオリは恐怖の色を肌
に乗せたまま薄く笑った。
「しかしナッチにこんなに悪酔いするとは思わなかった。あのナッチがこん
なに怖いなんて‥」
カオリはもう一度差し出した私の手をつかみ、立ち上がる。そしてバサ
バサになった髪を2回ほど手で梳く。
「人間って酔うと逆の性格が出ちゃうもんよ。ナッチのカラに閉じこまる性格
がこんな風にしちゃったのかもね」
私とカオリは横にちらりと目を向けた。場所をわきまえず、健やかそうに眠
るナツミはカラダの大きい赤ん坊のようだ。「う〜ん」と口を動かしながら寝
返りを打つと、足が811号室の扉に「ガン」と当たった。はっとするが、反応
はなかったのでほっと胸をなで下ろした。どうやら811号室の住人は不在
のようだ。
「とにかく、こんな所で寝られても困るから運ぼっか。カオリの家でいい?」
「‥う、うん」
若干の間があったがカオリはゆっくり頷いた。
その後、二人でナツミをカオリの家に運んだ。結構乱暴に扱ってしまった
がナツミは全く起きる気配は見せず、途中大きなイビキをかくほど深く眠っ
ていた。
ナツミを置いてこのまま帰ろうと思ったがカオリがそれを制した。
先ほどナツミが見せた正気の沙汰とは思えない目がカオリのココロを切り
刻んでいるのだろう。少し怯えながら、
「今日は一日ココにいて」
と言ってきた。考えすぎだと諭そうとしたが、カオリは私の袖を強く引っ張
り、「お願い」と必死に近い顔で私を見つめてくる。
それとなく時計に目をやる。まだ終電には間に合いそうだ。次にマリのこ
とを考える。もう私が傍にいなくても大丈夫だろうし、おそらくもう寝ているだ
ろう。
「わかった。終電ももうないしね」
小さなウソを言いながら頷くと、カオリは小さく深呼吸しながら俯き、「よか
った‥」と自分を安心させるように呟いた。
とりあえずナツミをちゃんと布団に寝かせようということになった。今着て
いる服のまま寝させるわけにはいかなかったので、カオリの室内用の服を
上下着せることになった。大は小をかねるということで手足の裾を捲れば
何とかなるだろう。
カオリが取り出してきたのは水色のチェック柄のちょっと子供っぽい服だ
った。ナツミの上体だけを起こしてもナツミは目を覚ますとは思えない。そ
れくらい深く意識を底に沈みこんでいるような眠り方だ。時々吐く息に酒臭
さがなかったら何と微笑ましいことか。
「せーの」
カオリと私は声を合わせて上の服を脱がせた。最近やせ始めたナツミだ
ったせいかダボダボだった。ナツミの上半身はブラジャー一枚の姿になる。
「わぉ」
カオリが変な声をあげた。
私はカオリが見ている先に目をやるとその変な声の意味がわかった。
「おお‥すげえ‥」
確か、ナツミの相手は女の子の扱いをよく知らない童貞クンだったはず。
いや、それは私がナツミの話を聞いて勝手に推測しただけだっただろう
か? どっちにしろ、今は週4、5回はヤっている人間なのだから、仕方な
いか。
そんなことを考えながら、私はナツミのカラダの至るところにある赤い斑
点の”愛の証”をちょっとだけうらやましそうに眺めていた。
「私たちに見る権利あるわよね‥」
ちょっと申し訳なさそうにカオリは私に同意を求める。
「うん、それと昨日何があったか聞く権利がある!」
力を込めて私は言った。
「しかし、すごいね‥。これって意図的につけたんだよね‥。カオリ、そん
なのされたことないよ」
とカオリは言う。
「私も‥」
実はあるけど、少なくとも愛はなかったのでとりあえず口を濁す。
「うらやましいなぁ‥」
カオリはココロからそうつぶやいていた。