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382- 53 - 『マキvsサヤカ V』

-53-

「どうしたの? サヤカさん?」
 心配そうに顔色を窺うのは現実に存在するユウキ。テレビの電源はつい
ていなかった。
「うん、ちょっと冷水浴びまくってたからカラダ冷えちゃった‥」
 私は何とか平静を装う。
「もう寒いんだから。大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。それより、ユウキも浴びる? シャワーだけど」
「俺はいいよ。面倒くさいし。それよりさ、どうせだからメシでも食べに外行か
ない? 体調悪いんならやめとくけど‥」
 ユウキの調子はどことなく軽かった。空白の2週間などまるでなかったか
のような振る舞いは逆に不自然な気がした。
「うん、いいよ。行こ」
 頭で鳴り響くマキの最後の言葉を追っ払いながら私は言った。

 タンスから長袖の青と白のストライプが入ったシャツと1980円の安物
ジーンズを引っ張り出して、ロクに化粧もせずに出かけた。ユウキにはこ
のまま学生服を着せて外出させるのはマズい気がしたので、緑色の古物
ジャケットを貸してあげた。上背が私と同じぐらいだったのでぴったりだった。
383- 53 -:02/04/27 19:48 ID:RnGEZUMy

 太陽の光がまぶしい。夏はもうとうに過ぎてしまったのでそのパワーは衰
えているのだろうが、あらゆる生の光から遠ざかっていた私にとっては十分
強いものだった。

 いろいろと周りをうろついた結果、私たちは家の一番近くにある喫茶店
に入った。装飾などがあまりされていなく、塗装が剥がれた部分もあり、
不気味な感じがするお店だったので私は今まで一度も足を踏み入れたこ
とはなかった。
 テーブルに座り、横に立てかけられていたメニューを見る。私はエビピ
ラフ、ユウキは豚しょうが定食を注文した。
 店員が離れるとユウキは目の前のグラス一杯に入った冷水を一気に飲
み干した。
「とにかく、元気そうでよかったよ」
「ありがと。ユウキのおかげだよ」
「うん‥」
 逆にユウキが元気じゃなくなっているような気がした。
「どうしたの? 何か私にエネルギーを吸われたみたい」
 ヘンに笑顔を作る。
「いや、疲れただけだよ。だって朝っぱらから‥」
「ははは、そうだね。本当にエネルギー吸っちゃったんだ、私」
 ユウキも笑顔を返す。私に合わせたのかぎこちない笑顔だった。

 しばらくしてエビピラフがやってきた。ユウキの豚しょうが定食がくるまで
待とうと思ったのだが、ユウキの「食べていいよ」という言葉に私は遠慮な
く甘えた。
 エビピラフは案外おいしかった。量もまあまあ。値段も普通。それに内装
はごく普通に綺麗な店だったので外の雰囲気で判断するものではないとつ
くづく思った。
384- 53 -:02/04/27 19:51 ID:RnGEZUMy

「あの家にはサヤカさん一人で住んでるの?」
 その問いに一瞬喉を詰まらせた。ふとユウキを見ると、空のグラスを両
手で持ち、中指や人差し指を動かしている。少し焦れているような仕草だ。
 マリを思い浮かべ、ユウキのやけに真剣そうな顔から目を逸らさぬまま
私は首を横に振った。
「今は一人。前に幼なじみと住んでたんだ。その子は今は実家に帰っちゃ
ったんだけどね」
 ユウキは「ふーん」と唸り、背を少し丸める。そして空になっていることに
気づいていなかったかのようにグラスに口をつけた。底の方で僅かに残っ
ていた水滴がグラスの側面を伝い、ユウキの口に入る。
 その後すぐに豚しょうが定食がやってきた。ユウキは持ってきた店員に
水のおかわりを頼んでいた。
「でもどうしてそんなこと聞くの?」
「いや、一人暮らしにしては何かヘンな感じっていうか‥。食器とかが多
かったし‥」
 しどろもどろに説明するユウキを見て、私は男と同棲していると疑われ
たのでは? と思った。
「マリって言うの。その幼なじみの女の子」
 ”女の子”の部分を強調して言った。ユウキは「ふ〜ん‥」とつぶやき、
それからはあまり興味がないような顔をした。でもその胸は鼓動を早め
ているのが手元の小刻みな震えを見ればわかる。顔とカラダの態度の
違いに私は表には出さずに苦笑した。
385- 53 -:02/04/27 19:56 ID:RnGEZUMy

 ユウキは豚しょうが定食をがつがつと食べはじめた。私もまだエビプラ
フが残っていたので、それを食す。しばらくは何も言葉を交わさなかった。

 口を開いたのは私がエビピラフを食べ終わった後。
 ただ男らしく口いっぱいに食べ物を詰め込んでいるユウキを少し微笑ま
しく見つめながら私は言った。

「お母さんたち元気?」
 ユウキは口を動かすのをやめる。一瞬間の静止の後、私を見る。
「何かすっごくいいお母さんだったから忘れられなくて」
 少し驚いた顔をするユウキを見て私は慌てて付け加えた。ユウキは手
に持っていたお皿を置いて、口の中に入っているものを飲み込んだ。
「今、ケンカ中」
 つっけんどんに突き放すユウキ。親子ケンカに他者が口出しするのは
どうかとも思ったが敢えて私は聞いた。
「何かあったの?」
 少し淀むユウキ。私は身を乗り出す。ユウキは圧力に耐えかねたよう
に重々しく口を開く。
「最近の母さんヘンていうか、しょっちゅうマキちゃんの名前出すように
なったんだ」
 私はピクリと眉を痙攣したように動かした。
386- 53 -:02/04/27 20:02 ID:RnGEZUMy

「マキちゃんって覚えてる? 俺が生まれる前に亡くなった年子の姉キ」
「うん」
 私は動揺を隠すように静かにうなずき、
「確かお母さんの不注意の事故で‥」
と付け加える。

 その時私は目をしばたかせた。元々照明を少し落としていた喫茶店だ
ったが、もう一段階暗くなったような気がした。しかし、ユウキは何も気付
いていない。気のせいか、と思った直後、ユウキの後ろに昇る薄い光を
見つけた。そのシルエットはマキの像をおぼろげに縁取る。明らかに私
を見下ろしている。
 きっとこの光は私しか見ることができないのだろう。私は一筋の汗を掻
いた。ユウキは背後のマキや私の焦燥に気を止めずに口を開く。

「そう。で、母さん、ポツリと洩らしたんだ。マキちゃんが死んだのは7月
10日だ、って」
「7月10日って‥」
「俺の誕生日」
387- 53 -:02/04/27 20:06 ID:RnGEZUMy

 ご飯を食べながら淡々と言うユウキ。私は思わずツバを飲み込んだ。
「それってユウキの生まれた日にマキっていうお姉さんが死んだってこと?」

 私はユウキの頭上の薄いオーロラのような怪しげな光を見る。その目
線の下でユウキはうなずいていた。
「よく考えれば俺の誕生日ってまともに祝ってもらったことなかったんだ
よね。最初は俺が男だからと思っていたけど、多分、それはマキちゃん
の命日だからだったんだ」
「そうなんだ‥。ショック?」
「ショックってほどもないけど。だからって今頃言わなくたっていいのにって
思って、キレちゃった。で、今はケンカ中」

 再びユウキは身をかがめて豚肉を食べ始めた。私の目はマキの光を
射抜く。

「こういうこと?」

 口に出していない。ココロでもって聞いた。光がゆらゆらと揺れる。
「だからってユウキを恨むのはお門違いってもんよ。不可抗力じゃん」
 また光が揺れる。今度は横に揺れた。その動き方は――否定してい
るってこと?
「どういうこと?」
388- 53 -:02/04/27 20:13 ID:RnGEZUMy

 答えを確認する前に、ユウキがピクッと動き、私は異常に反応した。
「どうしたの? サヤカさん?」
 私は「何でもない」と慌てて言う。ユウキはポケットから携帯電話を取
り出した。どうやら電話がかかってきたようだ。誰からかかってきたのか
を確認すると、今度はユウキのほうが顔色を変えた。
「どうしたの?」
 今度は私が尋ねる番。
「いや‥ちょっと‥」
 ユウキは席を外し、私の背中側にあるトイレに走っていった。

 ヘンな奴、と思いながらユウキを見送る。そして顔を元に戻すと薄か
った光が少し強さを増して、ユウキが座っていたところまで侵入していた。
「で、どういうことなのよ?」
 濃淡が目立ってきたせいかマキの顔の部分にに輪郭や目鼻の形を
作る。私の目線は口もとの笑みに集中した。
「笑っているの?」
「‥‥」
 無言の口はさらに歪つに曲がる。
「なんで、笑ってるの?」
 その笑みは明らかに祝福ではなく蔑み――マキは私から目を離し、斜
め後ろにやる素振りをした。私は思わずその方向に顔を向ける。トイレが
あった。眉を寄せながら、また顔を戻す。

「意味わかん―――」
 マキは笑っていた。先ほどよりも数段卑しい笑みだった。
 そして、マキの言わんとしていることの末端が私の脳裏をかすめた。

「ま――」
 まさか、と口元が震える。
「‥‥」
 マキはなぜ、こんな一連の微かな動作だけでそういう考えに至ったのか
わからないが、ともかくその疑惑はみるみるうちに浸透していった。
 マキは口元を動かした。読唇術は備わっていないが、元々ココロの中
での会話だったからか何を言ったのかわかった。

「ユウキヲコワシテ」
389- 53 -:02/04/27 20:17 ID:RnGEZUMy

 きっとこれは最終命令。
 腿のあたりのジーンズをギュッと掴む。何かにしがみついていないと自
我をコントロールできない気がした。
「ごめんごめん。クラスのダチからで‥」
 ユウキがそう言いながらやってくる。そしてマキがいる対面の席に座る。
マキとユウキが重なった。薄い光に覆われて、ユウキが口を開く。
「学校さぼったのバレたみたいなんだ。参っちゃうよ。また母さんと喧嘩
かなぁ」
「‥‥」
「まあ、もう慣れちゃったけどな」
「‥‥」
「そうそう、そのダチってさ、金髪でさあ、まったく似合っていないんだ」
 ユウキは残っている食べ物に口をつける。私はユウキの言うダチの話
題に触れることなく聞いた。

「新しい彼女から?」

 静かで重いトーンが空気を面で押す。
 人の介入しない秘境の地の中心に存在する澄んだ泉に私は一滴の毒
を落とした。透明な泉は波紋を広げながら黒く汚染されていく。レコードが
切れたのか喫茶店の中を流れる70年代後半のブラックミュージック調の
音色がパタリと止んだ。
 ユウキは驚愕の顔のまま不自然に固まっていた。それが1秒、2秒と続
いた気がした。
「な、何言ってんだよ‥」
 明らかに浮き足立っていた。ユウキの反応する目、口元、手、そして
滴る汗の全てが真実と嘘とを分別している。
「今日はホントは‥別れを言いに来たんじゃないの?」
 あからさまに目を逸らすユウキ。
「ねえ、ユウキ‥」
「‥‥」
「正直に答えて」
 よく考えれば、「私のことが好き?」の問いかけに即答では返ってこなか
った。ウソをつくかつくべきじゃないかの葛藤がずっと見えていた。
390- 53 -:02/04/27 20:22 ID:RnGEZUMy

 更なる長い沈黙。
 店内に流れていた音楽は一向にかかってこない。ホントは普通にかか
っているけれども、私の耳がユウキの言葉だけを受け入れるように他の
音を抹殺しているだけなのかもしれない。

 ユウキは肘を伸ばし、自分のカラダを硬直させた。そして、目線をテー
ブルへ落とした。
「お、俺‥好きな人ができたんだ」
 仕草や間の開け方が怖いくらいリアルに聴覚を刺激する。やっと言えた、
というようなホッとした吐息がすぐ後に吐かれた。

「告白‥したの?」
「‥‥」
 ユウキは私を見ぬまま頷く。
「エッチは‥したの?」
「‥‥」
 ユウキのカラダは再び硬直する。
「ねえ」
「うん‥さっき‥。ここに来る前‥」
 できればこのつぶやきが私の耳に届かないように、と願っているかのよ
うなか細い声だった。先ほどのフェラチオを思い出す。精液が少なかった
のは朝だからだけではなく、一度済ませたからなのだ。
「どんな子? 前の彼女?」

 そんな生々しい事実を突きつけられても、私は落ち着いていた。発狂し
たり、ユウキを咎めるとかという気持ちも湧いてこない。感情を抑えようと
する理性さえも必要がなかった。ただ、おもむろに事実を吸収しようとし
ている無の状態だ。私の中身はどこへ行ったのだろう?
 ユウキは少し意外という顔色を僅かに浮かべてから、首を横に振る。
「もうあの子は関係ないよ」
「ふ〜ん‥」
「と、とにかく! サヤカさんが心配で来たのはホントだから!」
 ユウキはこれが見苦しい言い訳になると自分でもわかっていたのだろ
う。罪悪感を言葉の端から滲ませながら叫んだ。椅子を引いて立ち上が
りながら、悲痛に顔を歪めていた。その痛みは私ではなく、自分に向け
られている。なんて俺は愚かなんだ、と。

 本来なら会うことを拒んでいた私にも非があるのかもしれない。しかし、
ユウキの目に私を咎める色彩はなかった。
 私は馬をなだめるかのように両手を使って座るように促す。

「うん、わかってる。だからわざわざケイちゃんに尋ねてまで家を探してく
れたんだよね」
「‥うん」
 ユウキは力が尽きたようにストンと腰を落とした。
391- 53 -:02/04/27 20:24 ID:RnGEZUMy

「ユウキって男らしいよね。ユウキが会おうとしなければ私たち自然消滅
だったのに。きっぱりケリをつけないと気が済まなかったんだ」
 ユウキは大きく首を縦に振った。涙が目に溜まっていた。男らしいと言
ったばかりなのに女々しい奴だと苦笑した。
「ごめん」
 何度も謝るユウキ。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
「うん」
 ユウキはどんなことでもやるといったような顔つきをする。いつの間にか
薄い光はなくなっていた。

「あと一回だけデートしない?」
「え? でも‥」
「彼女には迷惑かけないから。当たり前だけどキスもエッチもしないから」
「‥‥」
 ユウキは少し考え込んだ。そして後ろめたさに押されるようにうなずいた。
「んじゃ決まり。ということで、ユウキがここを払っといてね。手切れ金って
ことで」
392- 53 -:02/04/27 22:08 ID:RnGEZUMy

 私はそそくさと立ち上がり、店を出た。涙が目のすぐ近くにまで来てい
た。その雫をユウキの前では落としたくないと思ったわけではない。きっ
とこの涙が意味するものをユウキに勘違いされたくなかったからだ。

 太陽は弱いなりに私のカラダを刺す。だけど、その熱さを感じない。足
音も風の音も、自転車が横切る音も何も聞こえない。結局、涙は落とす
ことなくカラダの内部に逆戻りした。
 そのままよそ見することなく、一目散に自分の家に戻った。途中、誰
かにすれ違ったとしても挨拶はおろか、その存在を確認することもなか
っただろう。

 玄関の扉を閉める。外気が遮断され、目の前に広がる私とマリの世界
に私が溶けていく。
 ユウキの言葉、仕草がぼんやりと甦り、一つ気づいた。
 私が一人で住んでいるかどうか聞いたのは男との同棲の疑いに嫉妬
したわけではなく、そうであってほしいと願っていたのだ。それだとお互
いが裏切ることになりユウキの罪が少しでも軽くなるから。

 しかし、それでも憎悪のエネルギーは生まれなかった。信管が濡れた
花火のように導火線を昇ってきた火は爆発寸前に消沈する。
 私はわかっていた。空洞になったココロにはやがて形の変えた憎悪が
埋め込まれることを。

「こんなにココロが穏やかなのはマキのせい?」
 誰もいないはずの空間に向かって呟く。
「‥そうだよ」
 一瞬、間があってからマキは現れ、答えた。
393- 53 -:02/04/27 22:11 ID:RnGEZUMy

「フフフ‥」
 沸々とココロの底から笑いがこみ上げてきた。背もたれにしていた玄
関の扉に何度も後頭部を打ちつけた。それが刺激になってどんどん意
味不明な感情が表に出た。
 決して私から感情が消えたのではない。ユウキの裏切りに感情は爆
発せず、別のものへと手を伸ばしていたのだ。その間の空白がこんな
にも私を穏やかにさせていたのだ。
 辿り着いた先は最深と思っていた部分よりもっと深い潜在領域。私が気
付いていなかった領域に導火線はつけられていた。ユウキの前で浮かん
だ涙はその変貌する私に対するものなのだ。しかし、この世界はそれすら
も拒絶した。
 しかし、それでいい。内部に戻った涙は潜在部分の肥料になる。

「マキって結構ウソをつくんだね」
「‥‥」
 無言が私を狂わせる。そしてとうとう冷たい火花が脳細胞に散った。
「あははは! バッカじゃないの? これのどこが復讐? どうして私を
冷静にさせる必要があるの?」

 幻が揺らめいていた。声は聞こえない。どんどんおかしくなって対照的
に大声を上げて笑い出す。
「マキはそれで満足なの? 私はユウキと笑いながら別れただけだよ。そ
れがどうしてユウキを壊すことになるの?」
「‥‥」
「どうして、私にユウキを殺させない? もし私がマキだったら絶対あの場
でナイフかなんかでユウキの心臓を刺していたね。ねえどうして何も命令
しないの?」
394- 53 -:02/04/27 22:15 ID:RnGEZUMy

 マキは答えることなく立ち尽くしていた。私はただ薄い光の存在感を頼り
に会話をしているだけだ。それでもマキの狼狽は肌で感じ取ることができた。

「じゃあ、私が答えてあげる。もう、マキは私のココロをコントロールできな
いんだ」
 揺らめきが大きくなる。
「今はっきりわかった。マキは私の一番奥底の部分にまだ行き届いていなか
ったんだ。そして、その部分に私は先に辿り着いた。そんな私をマキは恐れ
ている。だから今ウソをついたんだ」

 私は横にあった透明のビニール傘を手に持ち、その先の部分を幻に向か
って突きつけた。
 幻の目の部分が大きく見開かれる。
 100mを全力で走りきった後のような汗が顔面に浮かぶ。右目に汗が入
り、痛さから閉じる。そんな時に私は叫ぶ。

「もうマキの思い通りにはならない! もう私のココロをコントロールできやし
ない!」
 発狂したような声とともに、何度も何度もマキのカラダを突き刺す。感触は
当然ないが、幻が歪む様を見て、マキは痛みを感じているのだと思った。

 傘を幻を真っ二つにするように上から下に振り下ろすと、一瞬パーッと
強く光り、飛散しながら消えた。
 最初は死んだのかとも思ったが、幻がどう変形しようとそれは”死”にはな
らないだろう。それにそんな簡単に死ぬような存在なら私に棲みついたりし
ないだろう。私は最後に幻のあった場所に向かって唾を吐き捨てた。
395- 53 -:02/04/27 22:24 ID:RnGEZUMy

 傘を横に投げ捨てリビングルームに行き、電気をつける。
 さっきまでの腐りきった雰囲気は消えていた。出口を見つけ、汚濁した流
れはそこに吸いこまれるように道を作っている。残るのはきっと生きる要素
の詰まった部屋。

 私はマリとの写真が貼られているクリップボードに目をやり、一枚取った。
 顔と顔を寄せ合い、微笑んでいるちょっと前のマリと私。
 作られた過去に縋ったっていい――そう思いながら、目を細めた。

 私は今、生きているんだ。
 そして、今まで生きてきた中で私はいろんな人を好きになったんだ。
 私がどんなに社会不適合な欠陥種であっても、生きること自体がマキ
の張った罠であっても、その事実は変わらない。

 ”生”を敬って何が悪い? 私はどうせ愚かな生物なんだ。社会を裏切ろ
うが、世界を司る神を裏切ろうが関係ない。
 ユウキを好きになった気持ち。
 それは紛れもなく私のココロなんだ。
 だから葛藤し、ユウキにはあまりにも不釣合いな自分を卑下してきたんだ。
そしてユウキに愛されたくて必死だったんだ。
396- 53 -:02/04/27 22:29 ID:RnGEZUMy

「ねえ、マキ」
 ココロの中でしぶとく生きているであろうマキに対し、私はつぶやいた。

 私はユウキを壊したりしないよ。できないよ。

 少しでも生きるってのが何なのか教えてくれた大切な人なんだ。
 人は愛をどんな形で裏切られても、どこか優美なところを見つけようとし
てしまうものなんだ。過去の記憶が「会えてよかった」と言ってくれている。
だから私はユウキを壊したりはできない。

 1年間しか生きられなかったあなたにはわからないでしょうけどね。

 これからもあなたが私に棲みつくつもりなら教えてあげる。
 絶対ココロを捧げたりしない。
 過去に支えてくれた人が――ユウキやマリやナツミたちがいる限り。

 私はそんな人たちのためにあなたが憧れた私の性悪なエネルギーを
費やしてみせる。

 だから、早く別の人を探したほうがいいよ。
 もうユウキを憎むことはないから。
 模造であってもいい。このココロは離さないから。

 私はビデオデッキからテープを取り出した。

――これはきっと私の”償い”の第一歩。

 制御のなくなった運命は加速をはじめる。