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360-52- 『マキvsサヤカ U』

-52-

「へえ、ここがサヤカさんの家か‥」
 ユウキは部屋をぐるりと見渡して、感心したような狼狽したような声を
出した。久しぶりに電気をつけ、私は目が眩むがすぐに慣れる。この部
屋の空気が澱みすぎているせいか、思ったより暗く感じた。
「汚いでしょ?」
 ユウキは埃を吸ったように顔をしかめながら「はい」と即答した。しか
し、すぐにフォローするように、
「いや、病気だったんでしょ?」
と言う。

 私は小さくうなずいた。病気といえば病気だ。でも精神科の医者にでも
治せない不治の病。キョロキョロと挙動不審のユウキの背中に焦点を合
わせ、本能から沸く動悸と闘う。壊れたカラダが少しずつ修復しようとして
いるのか神経網に電流がゆっくり流れる。
 ユウキは振り返りながら口を開く。
「じゃあさあ、俺今日掃除するよ」
「いいけど、今日学校は?」
 私はユウキの全身の姿を見回す。ユウキはカッターシャツの下には黒
のズボンを穿いていた。どこからどう見ても学校をサボってきたとしか思
えない。
「俺は不良学生なんだぜ」
 ユウキのお母さんが言った言葉を思い出す。それを踏まえてのことだっ
たのだろう。私はそのカッコつけた言い方に苦笑した。
361- 52 -:02/04/25 06:34 ID:fYrc4MI2

「じゃあ‥」
 ゆっくりしてって――と言いかけて、私は口をつぐむ。
 ベッドに滲むオナニーの痕を思い出したのだ。そして、さらに私のカラダ
にはその異臭がこびりついているのではないか? と思い、急激に恥ずか
しくなった。ユウキの横を通り抜け、台所に走り、室内換気扇をつける。そ
して隣りの寝室には絶対行かせまいと誓った。
 近くにあった冷蔵庫を一瞥する。中には何が入ったいたかあまり覚えて
いないが何かはあるだろう、少なくとも冷凍庫に入っているものは食べら
れるだろうと思いながら「何か食べる?」と近くにいると思っていたユウキ
に向かって聞いた。

 ユウキは私が思っていたよりも遠くに立っていた。周りを見回していた位
置にそのままいただけなのだが、私には至極遠く感じた。
 そしてユウキは私とは違う一方向を見つめていた。体は私に向けられ
ているのに顔は横に向けている。そしてその横顔は口をやや半開きにし
て呆然としている。まるでユウキのカラダが部屋の電気がついているの
になぜか漂う薄闇に飲み込まれてしまったように。
362- 52 -:02/04/25 06:36 ID:fYrc4MI2

「ユウキ?」
 本当はそんなに大したことではないのかもしれない。ただ石造の如く硬
直したユウキからは一瞬とはいえ、生命が抜け出てしまったように見え、
重い衝動が私のココロの深奥を突き上げてきた。
 この部屋はユウキに拒絶反応を起こしている――そう感じた私は現状
に捉えようのない危険を察知し、共に生まれた焦りを引き連れるように、
ひっくり返った声で「ユウキ!」ともう一度呼びかけた。
 ユウキはさっと私に顔を向ける。
「え?」
「どう‥したの?」
「何が?」

 私の意味不明の危惧など気にもしない感じでユウキはとぼけた声を出し、
すぐに焦点を私に戻す。
「いや‥」
 私は焦燥がさらに背中をせり上がってきているのを感じつつ、読み取れ
ないユウキの瞳を見据えた。
「‥‥」
「‥‥」
「‥サヤカさんこそ‥どうしたの? 変な声出して‥」
「え? いや、私?」
 ユウキは私の不安を鏡面反射しているような顔をする。ユウキが不安そ
うにしているのは私がそうだからだ――錯覚かどうかわからないがそう解
釈すると少しココロの影が消えていく。
363- 52 -:02/04/25 06:44 ID:fYrc4MI2

「別に‥なんでもないよ‥」
「具合、やっぱ悪い?」
 ユウキは一歩近づき、私の顔を覗きこむ。その一歩がやけに遠く感じら
れた距離をぐんと近づけた。
「いや、そうじゃなくって‥ははは、なんだろね‥」
「‥‥」
「とにかく、座って」
「うん」
 私はようやく電気をつけ、近くにあった椅子の背もたれを手前に引き、こ
こに座るように促すとユウキはやってきて腰を落ち着かせた。

 一度ユウキの肩をポンと叩き、今腹が減っているかを聞かずに冷蔵庫
に向かう。ユウキは座りながら私の動向を見て、立ち上がった。
「サヤカさんが座ってて。おかゆでも作るよ。 ヘタだけど‥」
「いや、いいって。もう大丈夫なんだから」
 冷凍庫を開けると氷と霜以外何もなかった。冷気をまともに顔に浴び
ながらどうしよう、と困惑している時、後ろから声がした。

「じゃあ、食器でも洗うよ」
 ユウキは台所に目を向けながら、白シャツの袖のボタンを外そうとして
いる。
「ダメ!」
 はっとしたと同時に私はほとんど無意識に叫んでいた。頭の中にはマリ
の姿が浮かぶ。台所には洗っていない食器はマリが出ていってからその
ままにしてあった。私はこの台所にマリの面影――エプロンを着た小さな
後ろ姿でも重ね合わせているのだろうか。
364- 52 -:02/04/25 06:46 ID:fYrc4MI2

「ご、ごめん‥」
 ユウキは意味もわからなかったようだが私の威圧に押され、とりあえず
謝っていた。私は大げさに叫んでしまったことに対してまた羞恥を覚える。
だけど、それは嬉しいことでもあった。マキのことが全てだったはずの私
に、マリを想う部分が残されていることを教えてくれたからだ。
 ふとユウキを見ると、どことなく苦虫を噛み潰したような顔をしながら屹
立していた。
 ユウキと関係のないところで仄かに嬉々とした感情を抱いた私はそんな
ユウキを見て大きな罪悪感を覚え、慌てて場を取り繕うとする。

「あ、いや‥私のほうこそ‥」
「‥‥」
 沈黙が流れた。ラジオ番組での無音のように気まずい雰囲気が覆う。

 噛みあわない会話。
 重ならない感情。
 1週間の空白はこうも二人を分断させるものなのだろうか、と憂う。私は
息を大きくつく。
 二人の間にはお互い見えない壁がいつのまにか構築されていた。何を
言ってもその思いの一部分しか伝わらない。このまま手を拱いていれば
二人は確実に引き剥がされる。

 しかし、私はまだ諦めていなかった。聳える壁を壊す言葉を思いつく。そ
れはあまりにも単純で誰もが知っている言葉だ。
「ユウキ‥」
 唇が暗紫色の食肉花のように貪欲に動く。

「私のこと‥好き?」

 上目遣いから見えるユウキの顔は赤みを帯び始める。自分はなんて
卑怯な女なのだろうだと思った。そこで「はい」と言わせて、この2週間
で生まれた空白や今までのちぐはぐなやりとりの全てを納得させようと
しているのだ。
 愛情が偉大だなんて決して思わない。ただ、愚かで脆い人間という種
には愚かで脆い言葉が有用であったりする。
365- 52 -:02/04/25 06:48 ID:fYrc4MI2

「‥うん‥」
 静かにうなずくユウキ。内部に残存していた唯一の結晶体が輝きを増
し、四方八方に光を撒き散らす。性の奴隷としてのみが人としての価値
だった私がユウキに与えられる唯一、最大の行為――。

 私はユウキに近づき、抱擁し、キスをした。男のカラダにしては小さい
けれど、なかなかの筋肉質でカラダというより岩を抱きしめている感じが
した。そして唇からはしばらく感じたことのなかった生命のゆらぎを吸い
込む。
 長いキスの後、ゆっくりと唇と唇が離れる。数センチの間は唾液が架け
橋のようにくっつき、やがて重みに耐えかねるように二人の間に落ちた。

「サヤカ‥さん‥」
 ユウキの表情がトロンと溶けている。まるで魔女の魔法によって狂わさ
れたかのように。
「ありがと‥。ご褒美‥」
 私は腰を下ろし直立しているユウキの下半身に顔を持っていき、ジッパ
ーを下ろした。トランクスの間から現れるのはそそり立つ白桃色のペニ
ス。グロテスクな曲線が眼前に聳えると、私は至神なものを見るように崇
めながら口に含んだ。顔を上下に揺らし、ちょっとだけ歯を立てたりしな
がら、懸命にしごいた。
 男の情けない淫声を耳奥で感じ取ると、さらに動作を速める。ユウキの
腿に力が入ったことに気付いたと同時に、私は上から頭を掴まれる。ちら
りと見上げると射精を必死で堪えているユウキの顔があった。
 そして、その顔をマキと重ね合わせた。
366- 52 -:02/04/25 06:51 ID:fYrc4MI2

「マキ‥見てるんでしょ?」
 ドクドクと人とは別の生き物のように活動しているペニスを含んだ口の間
から声を洩らすように言う。
 この部屋にはマキの幻影が色濃く残っている。きっとこのフェラチオの最
中にも近くにマキはいる。
 ユウキはただ下半身に神経を集中させていたせいか、私の声は聞き取れ
なかったようだ。
 マキは現れない。ユウキの昇りゆく表情を虚ろに見つめ、マキを召喚する。

 ねえマキ。こんなシーンを見てどう思っているの?
 実の弟があなたの目の前で私と性を交換しあっている。
 ああやって引き剥がそうとした私たちの関係は、こうやって修復しようと
している。あなたという高い障害を乗り越えて、前以上に愛の偉大さを感じ
ている。
 もうきっとマキが何をやってもムダなんだ。何をしようと私たちは乗り越え、
その想いを強くしてしまう。
 
 嫉妬しない?
 こうやって私は今カラダもココロもユウキだけに捧げているんだよ。
367- 52 -:02/04/25 06:53 ID:fYrc4MI2

 たった一人の登場がこの2週間の無への道筋をぐちゃぐちゃにした。
 きっとユウキは現実世界の使者なのだ。ユウキはこうしてまだ私を愛して
いる。その事実が私の”人間”の部分を復活させる。そしてこれはおそらく
マキの計算外のことだ――そういう確信がさらに私を活性化させる。

 私は生きている。決して全てを失ったわけではない。
 ケイが――もう会うことはないかもしれないけれど、遠くで私を見守って
いる。この部屋にはマリが温もりが残っている。何十年先かわからないが
マリと縁側で昔話に花を咲かせる可能性だって十二分にある。私はマキ
への想いに馳せながら続けたオナニーの間もマリの存在を噛みしめてい
た。これはどれだけカラダが朽ち果てようとも変わらぬココロの一部分だ。

 マリだけではない。思い出の中には優しくしてくれたカオリやナツミやユ
ウコがきっといる。
 マリが好き。ナツミが好き。カオリが好き。ユウコが好き。ケイが好き。
ユウキが好き――引き合わせたのは確かにマキの陰謀なのかもしれな
い。しかし、別離を宣告されたからって、私がみんなに馳せる感情だけ
はマキが侵すことのできない領域。

――”別れ”と同じだけマリやみんなと出会うんだ。そして時を越えて、笑
い合うんだ。いつか、きっと‥‥。
368- 52 -:02/04/25 06:55 ID:fYrc4MI2

「イ、イク‥」
 ユウキは掴んでいた頭をさらにガシリと掴んだ。そして、次の瞬間、口
内で生暖かいものが発射された。
 口の粘膜に粘着質の臭い匂いがまとわりつく。私はその一部を吐き出
し、自分の手の平で掬った。
 白くて暖かな精液。目の前で徐々に萎もうとしているペニス。恍惚とした
表情。全ての持ち主はユウキで、全てを私に捧げている。じんじんとユウ
キのココロの律動を感じる。
「あんまり‥量ないね‥」
 手に付着している精液を舐めてから少しいじわるく言った。
「うん‥。寝起きだから‥かな?」
「朝って出ないもんなんだ」
「少なくとも俺は‥」

 申し訳なさそうな顔をするユウキ。私は立ち上がった。腰がふるふると
震えているところを見るとユウキは全精力を出し切ったようだ。その様子
を小鹿が必死になって立っている様子と重ね合わせたせいですごくかわ
いらしく見えた。
369- 52 -:02/04/25 06:57 ID:fYrc4MI2

「もう一度キスしていい?」
 私は卑した目でユウキを見つめる。ユウキは私の手と目を交互に見てか
ら引きつった。
 その時の私は性に溺れた悪女に見えたのだろう。実際そうだ。今は性の
奴隷にでもならないと生きることを確かめられない仮死状態だ。だからこ
そ私はユウキを淫欲の色に染め、精気を奪う。

「ははは。そうだよね。精液を含んだ口とキスするってのはイヤだよねぇ」
 私は手に付着していた精液を舐め回し、飲み込んだ。臭さとともに悪女
の面が倍加されていく。
「う、うん‥」
 少し表情を緩め、スキを作るユウキ。
 私はにこりと歪んだ笑みを見せるやいなや、咄嗟にユウキに抱きついた。
「うわっ!」
 ユウキを意表をつかれたせいで自重を支えられず、私に抱きつかれたま
ま後ろに倒れた。その間にしっかりとユウキの唇を奪った。キスというより私
の口の中にあった白い液体をユウキの口に流し込む動作だ。唇の表面を
舐めまわすと私の下半身が淫乱に再び疼きはじめようとする。
 しかしユウキの方はというとやや頭を打ちつけたようで「イタタタ‥」とつ
ぶやきながら後頭部を押さえていた。それを見ると少し情動が潮のように
引いていく。
「大丈夫?」
 私は顔を離し、心配そうにユウキの頬に手を触れる。ユウキは口の中に
入った自分の精液を毒でも飲んだかのようにセキ込みながら吐き出そうと
している。
「大丈夫‥じゃないですよ‥」
「ごめんね」
 罪悪感を含まぬまま謝ると、ユウキは無理の上から不意に笑った。その
微妙さが何とも可愛げがあり、愛情が溶けているように見えた。
370- 52 -:02/04/25 06:59 ID:fYrc4MI2

 私はシャワーを浴びることにした。その間ユウキには「テレビでも見て
て」と言っておいた。私はお湯を全く出さずに冷水を浴びた。シャワーの
穴一つ一つから出る水の線が私の皮膚にぶつかり、吸収されていく。カ
ラダを洗ったのは2週間ぶりだ。

 私はこびりついた汚れが落ちてゆく中、不思議な高揚感を感じていた。
今まで眠っていた感情の燻りを沸々と湧き立たせているようにゆっくりゆ
っくり熱感が広がる。

 おそらくこれからユウキとセックスをするのだろう。何かあったら二人は
セックスをすればいい。悲しいけどそれで全てが収まる。肉体でしか語り
合えない情けない関係。
 初めてユウキとセックスしたときのような緊張感がむくむくともたげてき
た。まるで純情な乙女のような衝動に苦笑する。

 しばらくして、この小一時間の出来事を思い返した。
 玄関のドアを開けた時、マキが作り上げてきた私とマキだけが存在しう
る世界に様々な生の息吹が吹き込まれた。
 朝の光、鳥のさえずり、冷たい風、そして、ユウキなる存在。
 そして連鎖反応のように私の記憶からマリやナツミやカオリなどとの思
い出が甦る。

 これらはマキが作ろうとした世界を壊す決定的な因子なのだと改めて確
信した。マキの報復に私は耐えたのだ。
 ユウキをマキとは無関係に愛せたのだ。
 私は浴室に備え付けられた鏡をのぞきこんだ。お湯を出していなかっ
たので湯気でくもることはなかった。
 鏡に映る自分の瞳を覗いた。まるで催眠術にかけられたかのように急
速にその瞳に吸い込まれた。全ての雑音が消え、光さえも遠のいてゆく。

「マキ‥私の勝ちだね」
 確信をもって私は口にした。その声は直接、自分の脳に響く。すると、
すぐに返ってこないはずの反応が同じように自分の脳に直に届けられた。

「違うよ。サヤカはユウキのことを愛してなんかいない」
 抑揚のない声。
371- 52 -:02/04/25 07:10 ID:fYrc4MI2

 私の顔に冷たいものが滴る。シャワーの水滴ではなく、私の内部から湧
き出た塩気のない汗だ。
 抑揚のなさは感情のなさではない。とてつもない負の感情を奥にぎゅっと
閉じ込めたそんな声だった。こんなマキは出会って今まで一度たりともな
かった。シャワーがどんなに皮膚の表面を洗い流しても次から次へと汗が
滲んでくる。私はシャワーを口に含み、吐き出して、口の中を潤してから聞
いた。

「どういうこと?」
「サヤカはあたしを消し去ろうとしているだけ。ユウキのことなんて一つ
も考えていない」
「そんなこと‥」
「あたしにはわかる」
「‥‥」
「サヤカはあたしを憎んでいるだけ」
「そんなこと‥ない‥」
 唇が震えながら動く。反論は弱々しかった。マキの静かな圧倒が一度固
めた思いを簡単にあやふやなものに様変わりさせる。
「嬉しいよ」
「何で?」
 ツバをゴクリと飲み込んで聞いた。
「憎むってことは想うってことだから」
「‥‥」
「だから、このままあたしを憎んでね。そしてユウキを壊して」
 マキのさっきまでの閉じ込められていた感情が少しずつ表出する。にじみ
出るのは濾過されて出てきたような純粋すぎる悪意。
「どうしてユウキを憎んでるの?」
 私は”復讐”という言葉を思い出し、マキに尋ねる。脳内に像を結んだマキ
は狡猾な笑みを含ませながら言った。
「ユウキがあたしを殺したから」