『思い出すのだ。君達、
ひとりひとりが初めてこの場所に来た時のことを。
君達は、君達の判断で、この場所を選んだのだ。
警告する。ただちに、所定の位置に戻りなさい』
「わたしは、ここを出たいの!
こんな監獄にいつまでもいたくない!」
『ここは監獄ではない。
ここはあなたが正しく自立できるようにするための病院である。
警告する。ただちに所定の位置に…』
「わたしはこの病院を出たいの!
わたしは狂ってもないし、狂いたいとも思ってないの!」
『ここは病院ではない。
ここはあなたが豊かな自立を約束する会社である。
警告する。ただちに所定の位置に…』
「わたしは会社をやめたい!
わたしには、わたしのやりたいことがあるの!」
『ここは会社ではない。
ここはあなたの自立を優しく見守る家庭である。
警告する。ただちに所定の位置に…』
「わたしは家庭を出ていきたいの!
もう、うんざりなの! わたしは家庭を捨てたいの!」
『ここは家庭ではない。
ここはあなたの自立を勇気づける劇場である。
警告する。ただちに所定の位置に…』
「これ以上、ニセモノの劇場なんかいたくない!
もう、ニセモノの劇場はうんざりなの!」
『ここは劇場ではない。
ここはあなたの自立を厳しく育てる戦場なのだ。
君達は、戦場にバラを捜しに行かなくてはならない。
警告する。ただちに所定の位置に…』
「わたしは戦場なんかいたくないの!
わたしはもう誰も傷つけたくないし、
誰も傷つけてたくはないの!
『ここは劇場ではない。
ここはあなたの自立を訓練する学校である。
警告する。ただちに所定の位置に…』
「わたしはもう、学校をやめたいの! 自立という言葉で、
私を抑圧する学校にはこれ以上、いたくはないの!」
『ここは学校ではない。ここは教会である。
自立にくじけそうなるあなたを優しく包む教会である。
君達は、迷える天使である。
警告する。ただちに所定の位置に…』
「わたしは教会になんかいたくない!
わたしは、ここを出ていきたいの!」
『ここは教会ではない。ここは、あなた自身の部屋なのだ。
一人芝居の仮面を取る、あなた一人の部屋なのだ。
警告する。ただちに、所定の位置に戻りなさい』
全員、銃声の中を飛び出した。
が、すぐに見えない柔らかな壁にぶち当たって、
前進できない。
「何、これ!?」
「分かんない、からみつく!」
見えない壁は、人々がもがけばもがくほど、
からみついてくる。
「くっそー!」
力一杯、見えない壁を押す。
と、閃光が走って、全員が、弾き飛ばされた。
「電気ショックだ!」
「なんなのよ! これは!」
「分かんない。透明な膜だ」
「膜じゃない、透明な壁だ!」
「壁!?」
「じゃあ、あの見えてる壁は、ダミーなの!」
全員、遥か前方に見えている壁を、凝視する。
「あの壁はニセモノなんだ!」
『そこは入口ではない。
所定の場所への入口は、君達の後方にある。
繰り返す。そこは入口ではない。
警告する。ただちに、所定の位置に戻りなさい』
「どうすりゃいいの!」
「ここにいよう」
「え?」
「私達は、所定の場所へ戻る気なんかない。でも」
「でも?」
「この壁の向こうへは行けない」
「だから、ここに立ち続けよう。
「そんな」
「立ち続けよう。それしか方法はないよ」
「…」
雨は六日間、降り続いた。
「戻ろう」
「え?」
「これ以上、ここにいても無駄よ」
「ねえ、壁、壊れそう?」
「だめ。固体と液体の真ん中って感じ。
ただ、不思議なことがひとつある」
「何?」
「この壁はどこまでも拡がる。
出て行くとこは出来なくても、遠くまで行ける」
「さ、戻ろう」
「う、うん」
「無駄よ」
「どうして?」
「入口、ふさがってるわよ」
「え!?」
「そんな!?」
「いつから!?」
「一昨日から」
「聞こえる? 私達は所定の場所に戻る。
だから、入口を開けて!」
反応はなかった。
「どうしたんだ…」
「ラジオは本当だったんだ…」
「ラジオ?」
「どこかの原子力発電所が、出力調整の失敗で、
原子炉が暴走して、メルト・ダウンしたっていう…」
「まさか…」
「世界は終わってしまったっていうこと?」
「たぶんね」
「そんな、突然!?」
「起承転結と伏線があるのは、テレビの台本の中だけよ」
「どうする?」「どうする?」「どうする?」
「どうって…」
「ねぇ、街を作らない?」
「えっ?」
「頭がどうかなったんじゃない?」
「どうして? 新しい街を作りましょうよ」
「ちょっと待って。街を作る。いいじゃない!
だって、みんな、元の街から抜け出してここに来たのよ」
「えっ…」
「なるほど」
「そのうち入口が開くかもしんないし」
「そのうち、この壁がなくなるかもしんないし」
「そのうちなんとかなるかもしんないから」
「新しい街を」
「誰も傷つかない新しい街を」
「誰も傷つけない誰も傷つかない新しい街を」
「新しい街を」
「よし! 新しい街を作ろう!」
そして百年が過ぎた。
天使が二人、ぶらんこに乗って揺れている。
「そっちはどうでした?」
顔の丸い少女が話しかけた。
「ふぐがおぼれかけてたよ、ふぐ」
ショート・カットの女性が、手帳を見ながら笑った。
「こっちは、こぶたが産まれたんですっ」
「おおっ」
「はらはらしちゃって。
でも、天使もつらいですよね。
見てるだけで、何もできなくて」
「それが大切な仕事なんだからさ」
「誰にも私達が見えないんだから、
少しくらい手伝っても、
大丈夫そうじゃないですか」
「そんなこと言ってるから、
みんな天使の存在を忘れちゃうんだよ」
「みんなって誰ですか?」
「へ?」
「みんなって人間のことですか?
わたしたちのの受け持ち区域のどこに、
人間がいるんですか?」
「さ、明日もここで報告しおあうね」
「なんのためにですか?」
「それが私達の大事な仕事だから」
「天使ID、ABさん」
「なによ、天使ID、KON」
「それってムダじゃないですか」
「なんで?」
「報告って、誰に報告するんですか?
神様、いなくなってからもう、
かなりになっちゃいましたよ」
「いなくなったんじゃないべさ!」
「だって、いないじゃないですか。
全人類の祈りと哀しみの重さで、
人間と一緒に、死んじゃったのかもしれないですよ」
「うわあ! 神様っ、どうか天使ID、KONをお許しください!」
「人がいれば、天使のやりがいもあります。
でも、放射能で人間は全滅して、
かろうじて生き残ったのが、ふぐやこぶたさんじゃ、
報告もムダなような…」
「そっか。うん、じゃ、明日、ここで報告しあおう」
「天使ID、ABさんっ!」
「どうしたの? 今日はやけにからむわね」
「街を見つけました」
「うそぉ!?」
「ここから北にずっと行ったところの、
小さな島に、小さな街を見つけたんです」
「信じらんないよ」
「奇跡のように生き残った人間達の街なんですっ」
「…どうすんの?」
「行きましょう!」
「受け持ちの天使がいるでしょ?」
「それがいないんです」
「そんな…」
「ね、行きましょう」
「だめ」
「なんでですか?」
「私達の受け持ち区域は、ここなの」
「だって、人間いないじゃないですか」
「それでも、だめ。それに、行けば絶対、後悔する」
「行かない方が後悔しますよ」
「うん、じゃ、明日ここで報告しあおう」
「なんでですかあ??」
天使ABがぶらんこから飛び立った。
その後を天使KONが追いかけて行った。
コンサート・ホールは大勢の観客で一杯だった。
「今、めっちゃ興奮して鼻血が出そうだぜー!
もし出ても、許してね。はい、後藤真希、
まずは新メンバー紹介します。石川梨華っ」
510とプリントされたタンクトップの少女が、
ステージの上から客席に向かって、
横に並んだ仲間達を紹介している。
「よいしょ! 石川梨華、難しいことは考えずに、
今日は精一杯楽しみたいですっ」
その高い声に反応して場内から歓声が上がる。
広大な空間は幸福感が満ち溢れていった。
「いいですよねっ! これが幸せですっ。
これが人間なんですね…」
激しく感動する天使KONに、
天使ABEは無言で微笑む。
「来てみてよかったって思いませんか?」
「…そうだね」
「ちぃーすっ! 辻希美12才。
はーい、ちゃっきりちゃっきりちゃっきりなー」
天使KONも、ちゃっきりちゃっきりとささやく。
「どっすーん! 15才、吉澤ひとみ。
もう一度みなさんもご一緒に、
はい、どっすーんっ!」
どっすーん、とまた応える。
「よろしくっ!」
「いいなあ、ABさん、この人達、
モーニング娘。っていうグループなんですよ」
「まいどー! きらいななー、食べ物はなー、
にんじんやねん。ほな、加護亜依でした!」
ホールに組まれたイントレランスの天辺で、
天使ID、KONは人間達の様子を、
楽しげに見下ろしながら、先輩天使に語りかける。
「この街のアイドルグループなんです」
「ほお」
四人の少女達が自己紹介をした後、
いちばん背の高いロングヘアの女性が、
マイクを手にしゃべりだした。
「いやあー、初々しいじゃないですかぁ。
そんな新メンバーを迎え、
さらにパワーアップした、
新生モーニング娘。を、
みなさんどうぞよろしくねー!」
「決めました!」
「何?」
「わたし、決めました!」
「ゆーと思ったよ」
「やっぱりですか?」
「見た感じ、ほんとに他の天使いないみたいだし。
特例だけど私達の受け持ち地域、ここにしよっか」
「違いますよ」
「え?」
「わたし、天使やめます」
「え!?」
「わたし、天使やめて、人間になります!」
「なにゆってんのよ!」
「もう、
上から見てるだけの生活なんてつまんないんです!」
「ちょっと待って」
「もう決めたんです」
「簡単にゆーけどさあ、」
「簡単じゃないですか」
「ねぇ、ちょっとお…」
「さようなら。私のこと、忘れないでくださいね」
「待ちなよ!」
「私は人間になる!」
その瞬間、天使KONは天井から落下した。
堕ちる途中で、舞台上に映像を映し出す、
大きなホリゾント幕に引っかかり、
その真っ白なクッションに包まれて、
突然、モーニング娘。の視界に転がり込んだ。
「きゃああああああ」
「きゃー! きゃー!」
「だれえ!?」
娘。の加護が叫ぶ。
「いてててて…え! 見えてるんですか!?」
擦りむいた足をかばいながら、立ち上がる。
「だから誰なの!」
娘。の中でいちばん小さい、
矢口真里が大声で問いただす。
「わたし、…コンノです」
「コンノ!?」
八人の少女達が目を丸くする。
「コンノアサミです。よろしくお願いします」
「ね、お願いがあるの」
落ちてきた幕の下から声がする。
「はい、なんでも言って下さい」
「この布どけてくれる?」
「はい」
娘。の後藤が這い出してきた。
いちばん大人びた娘。の保田圭が訊き返す。
「あんた、いつのまにいたの?」
矢口も続く。
「どっから来たの?」
「え、あの、あっちから」
と、コンノは空を指した。
「え!?」
「あっちって、どっち?」
石川が驚く。
「まさか、この街の人間じゃないの?」
吉澤がいぶかしがる。
「ええええええ!」
辻が大声を上げる。
「わたし、モーニング娘。なんです…」
「聞いてないよ」
「うん、聞いてない」
「えっ、そんな、いえ、あの…」
「ごめん! もうひとり隠してたんだ。
モーニング娘。の、紺野あさ美!」
新しいスターの誕生に、大歓声が送られた。
とっさに最後に挨拶をした飯田圭織がしゃべりだした。
「またテレビかなんかの企画なの?」
矢口が呆れて飯田でささやく。
「悪い。内緒にしてて」
「そーやってうちらはおっきくなってきたんだけどさ」
「音楽!」
飯田がキューを出した。
ゴスペル調の曲にダンスと手拍子をしながら歌う娘。達。
間奏に入ったところで、
娘。が声をそろえてメンバーの名前を呼ぶ。
「ヒトミ!」
「スターになりたーい!」
「リカ!」
「ハッピーになりたいです!」
「リーダー!」
「モーニング娘。がいつまでもみんなに愛されること。
それが、飯田圭織の夢でーす!」
「ケイ!」
「もっともっと歌がうまくなって、
みんなに夢をプレゼントできるようなライブがしたい!」
「マリ!」
「ビッグになっていっぱい歌いたい!
感動をあなたに。そこんとこ、よろしく!」
「ノゾミ!」
「いつかこの街を出ていくぞっと!」
娘。の手拍子が一瞬、止む。
辻があわてる。
「あああ、ゆめですよ。夢。本気にしないでねっと!」
娘。は笑いながら手拍子が再開して、コンを見る。
「コン…コン、ノ…アサミです」
「アサミ!」
「えっ、あの、あの…」
「夢だよ。ここのパートはうちらの夢を語るとこだから」
矢口がこっそり教える。
「えっと、人間を立派につとめあげたい!
悲しいことは、報告書に書きたくない!
しあわせになりたいですっ!」
全員、はぁ? っとした顔をすると、飯田がフォローした。
「…なんかわかんないけど、ま、いっか!」
「アイ!」
「夢いっぱいで、ございます!」
「もうホームシックにかかってるんじゃないの?」
矢口が冷やかしてつっこむ。
「違いますよーだ!」
「マキ!」
「まだ14才だけど、はやく大人になるぞ!」
天使ABも、勝手に輪の中に入る。
「いつも、人間を暖かく見守っていたい。
たとえ、私達の存在に人間が気づかなくても、
私達は、いつまでも、いつまでも、」
「みんなー! 今日はありがとねー!」
矢口が観客に手を振る。
「またライヴで会おーねー!」
飯田を最後に娘。が舞台から小走りで去っていく。
残される天使ID、AB。
ふっと淋しそうな顔を一瞬見せ、
そして、幸福そうな天使の微笑みに戻る。
手帳を出して、文章を書き始めた。