きょうはじめて全レスをよみました!正直、あんまり期待しないで、よんでたのですが、はまりました!
なにより、作者さんに、すべての登場人物に愛をそそいでいることに、すごい感動しました。
じっくりゆっくりむりしないで、更新してください!がんばって!
ホゼン
保全。
ほ。ぜん
翌朝、特に明確な目的があるわけではなかったが、やはり梨華はま
だ朝靄がかかる時間帯に目を覚ました。
昨夜、帰宅した後は長い一日を反芻し、その日に得た情報をもう一
度整理した。
ほぼ毎日繰り返されるこの行動は、すぐにその情報をどうこうしよ
うとするものではなく、弛まず持続する事で徐々に効果を表す類の
ものである。
或いは、全くその効果が認められない事も有り得るだろう。
それでも梨華は地味なこの作業が自らの命を救う可能性すら内包し
ている事を理解していた為、無駄だと思った事はただの一度も無か
った。
寧ろ、地味な反復作業のお陰で危機を脱した経験だけが思い浮かぶ。
昨日は梨華にとって非常に長く感じられる一日であった。
出会った人間は一癖も二癖もありそうな人ばかりであった。
飯田や中澤については、これまでにも似た人種を数多く見てきたの
で、それ程途惑う事はなかった。
中澤は別な意味であまり触れ合った事の無い人種だったかもしれな
いが、飯田は梨華が最も多く見てきた人種に極めて近い特質を有し
ていると言えるだろう。
安倍は中澤とある意味において近い存在で、彼女が有する体系化さ
れた能力的な側面からは、その能力差はあれど、これまでにも多々
見てきたタイプであったが、より精神的な側面からは、これまで同
じカテゴリーに属する人間に出会った事がないように思えた。
加護に至っては何もかもが理解の範疇外にあった。
そして、全員が梨華に強い興味を抱かせる存在として、強烈な印象
を残していた。
(亜依ちゃんは別として、残りの3人は今後私がお仕事をしていく
上で大事な人達だから、情報はもっとあった方がいいかな)
まだ会って一日でもあり、現段階では漠然とそう考えるだけであっ
たが、それでも一日という短期間を考えると、有意義な使い方がで
きたと満足する梨華であった。
そのような思考とは裏腹に、梨華の潜在意識に最も強いインパクト
を与えたのは実は加護亜依であったのだが。
−−−
軽くシャワーを浴び汗を流し、身だしなみを整えた後、梨華は何を
するともなく外に出た。
いや、正確には「生活用品の買い出し」という目的が無くはなかっ
たのだが、それよりも自分の生活圏を歩いて回る事の方がプライオ
リティが高かったのだ。
実際、勿論ショッピングはするのだが、それよりもマンション周り
の地理を頭に入れたり、ちょっとした死角を探したり、遮蔽物の無
い直線路を探し歩測してみたりと、無意識のうちに諜報員としての
行動を優先させている自分に気付き、なんとなく暗い気分になり始
めていた。
と同時に、自分が暮らす街の利便性に驚きを隠せない気持ちも芽生
えた。
行き交う人も疎らであるし、狭い路地や慣れた人間にしかわからな
いような抜け道も豊富だ。
かと思えば、一見抜け道に見える小道が袋小路になっていたり、少
し行けば一転して人通りの多い駅前のメインストリートに出る事も
出来る。
諜報員、工作員といった類の人種にとっては、非常に活動し易い構
造といって間違いないだろう。
(普段はあんな人だけど、ここまでちゃんと考えてこの場所を選んだ
のかな、保田さん…)
その自問に対する解答は、当人に直接問う事により、そしてその際
の保田の反応を見れば容易に得られるのだろうが、梨華にはそれが
然程重要な事とは思えなかった。
保田が意図してこの場所を選んだか否かは問題ではなく、現実に今
梨華が立っているこの場所が、梨華にとって非常に有益である事、
その事実だけが大事だった。
しかし、それは裏を返せば梨華の思考・行動を呪縛する諜報員とし
ての意識から逃れられない証左でもあるのだが。
それでも、生まれ育ったエルサレムの地よりも平和に満ちた空気に、
そして、バラエティーに富んだショップや品揃えには満足を覚えて
いたし、ショッピング自体は積極的に楽しんでいた。
梨華自身にも自覚はなかったが、今迄抑圧されて表面化されなかっ
た女の子の部分が、日本に来てからの梨華には確実に表出し始めて
いた。
食器やちょっとした小物、一目見て気に入ったピンクのレースのカ
ーテン、バスルーム回りの用度品など、なんとなく外に出てみた梨
華であったが、正午を少し回る頃には両の手に多くの荷物を抱える
状態にまでなっていた。
とは言え、まだキャパには多少の余裕があり、普通であればこのま
まショッピングを続けるのであろうが、荷物によって完全に行動を
抑制されてしまう危険性を梨華は嫌った。
食事がてら一旦部屋に戻り、几帳面に今しがた買い揃えた品を部屋
の適切な箇所に配置した後、再び街に出た。
周囲には午後の長閑な空気が微かに漂い、学校帰りの学生や夕食の
買出しに出る主婦の姿が散見された。
その中でも梨華の目を一際惹きつけたのが、自分と同年代ぐらいで
あろう楽しげな女子高生の姿であった。
幼い頃から諜報機関の養成所で過ごした梨華には、それは眩し過ぎ
る程の羨望の対象であった。
そんな梨華にもひとみという掛け替えのない存在はいたものの、梨
華が後生大事にし続けているその思い出が、消費文化の中で不自由
なく暮らしてきた彼女達の目には果たしてどのように映るのか。
自分が大切にしてきた宝物の価値は、他人がどう評価するかには無
関係であるという確信はあるにはあった。
だが一方で、普通の人間からそれを矮小視される事への不安も否定
出来なかった。
相対的なものの見方が蔓延している現代社会において、それが正し
いかどうかは別として、そこに完全には入り込めない自分への苛立
ち、換言すれば或いはそれは只の嫉妬心なのかもしれないが、いず
れにしてもそのような淋しさに似た感情が、否定しつつも湧き立つ
のを梨華は冷静に感じ取っていた。
そして、この期に及んでも冷静な分析的手法で物事に対峙してしま
う事が、梨華の憂鬱を増幅させるもう一つの要因でもあった。
勿論このような心的推移を表出させる梨華ではないので、時折すれ
違う周囲の人間には読み取れるものではない。
そして、そのような状態であろうとも、一通り周囲への警戒を持続
してはいる。
だが、この時の梨華の心を支配していたのは、確実に負の感情であ
った事だけは疑いようが無い。
そして、そんな陰鬱なモードに拍車をかけたのが、午前中から微か
に感じる尾行者の存在であった。
それは、梨華にも確信が持てない程の微小な気配であったが、確か
に違和感が漂っている。
位置取りを完全には掴ませない事から、それなりの相対距離は取っ
ているのだろうが、かと言って振り切る事も出来ないでいる。
裏を返せば、相手側もこれ以上距離を詰める事は出来ないし、梨華
を見失わないギリギリの距離で最大限の警戒を続けているという事
に他ならないのだが。
とはいえ、こちらから何かしらアクションを仕掛けて相手を捕捉す
る事はおろか、視認する事すら難しそうだ。
現段階では推測に過ぎない訳だが、相手も相当な腕利きだと思われ、
今の立場の自分にそれ程の腕利きを送り込んでくる敵というのが、
梨華には思い当たらなかったし、その理由もわからなかった。
(モサドが組織内の事情を少しでも把握している私を監視していると
いう線は考えられなくもないけど、それならこんな回りくどい方法
をとらなくても保田さんを使えばいい事だし……。
根拠は無いに等しいけど、モサドの情報を欲しがっている第三国の
情報機関の可能性が、現時点では一番高いか……。)
梨華にとっては「確たる根拠無し」というのが相当に耐え難い状態
であったし、それ以前に敵の存在を完全には捉え切れない、100%尾
行者の存在を確信しているわけでは無いという事実が、重く圧し掛
かっていた。
いずれにしてもこれ以上の詮索・工作ともに効果が期待できそうに
なく、警戒レベルを数段階上げる程度に止め、梨華はショッピング
を続ける事にした。
相手の気配は時折強まり、またある時は殆ど感知不能なまでに小さ
くなりながらも、決して消滅する事はなかったが……。
−−−
「……りた金がか……はどうい………」
「とっくに返済期……んだよ!こっちだって……てるわけ………」
微かに路地裏から聞こえてくる強い語調の声。
合間に鈍く響く打撃音と、それにシンクロして漏れる呻き声。
少し離れた位置からでもその場所で何が行われているのか、そこに
至った大体の事情までをも容易に想像出来る。
事実、そこを通り掛る誰もが同じ方向に視点を向け、僅かに垣間見
える視覚情報と、同じく嫌でも耳に入ってくる音声情報から、今し
がた梨華が組み立てた推論と同等程度の考えは持っているように思
える。
だからといって誰一人として、止めに入る人間はいない。
そして、梨華もまたこのちょっとした揉め事に関わる気など毛頭な
かった。
それは、他の通行人とは明らかに異質な理由からなのだが、いずれ
にしても結果は同じであり、伝え聞いていた日本人の精神性を実感
した事以上の意味は梨華には見出せなかった。
そして、その他大勢と同じく(唯一違った点は、そちらに眼を向け
る気すらなかった事)その場を通り過ぎようとしたその時、その場
だけ明らかに沈んだ薄暗い空気に包まれた空間に割って入ろうとす
る人影が僅かながら視覚に入った。
「そのぐらいにしときなさいよ!
それ以上やったら死んじゃうでしょ。」
誰もが見て見ぬフリをして通り過ぎるだけであった日常からかけ離
れた厄介事に敢然と立ち向かうその人影は、夕陽に照らし出された
せいもあろうが、眩い程光を放っているようなそんな錯覚に陥らせ
る程の凛とした表情で、まるで臆する様子も無くそう言い放ち、明
らかに悪役然としたチンピラ風の男三人の前に立ちはだかった。
そして、梨華を含めた周囲の人間を最も驚嘆せしめたのは、それが
まだあどけなさが抜け切らない梨華と同年代らしき少女だという事
であった。
少女の視線は真っ直ぐに男達に向けられ、そこには明らかに攻撃的
な色が覗えるが、それでもどこからか温かさが漏れ出しているよう
な、見ていてホッとさせられるような雰囲気が、顔立ちや表情から
は感じ取られる。
強面の男三人に敢然と立ち向かう少女、その先には少女にとって好
ましくないストーリーが組み立てられている、相対する両者を見比
べた場合、その場にいる誰もがそう考えるのが自然である。
只一人梨華を除いては。
(何か…やってるなこの人。
全く怖れを感じていないのはその証拠だろうし、ううんそれ以上に
動きや匂いが普通の人とは異質だわ。
最初は、さすがに見捨てるわけにはいかないと思ったけど、相手も
大した事はなさそうだし、私が手出しする必要はなさそうかな。)
梨華の思考を裏付けるように、少女は無造作に男達の方向に歩を進
める。
そこには怖れや警戒感は微塵も感じられず、ただ自らの意思だけを
貫く為に行動する強い眼差しが垣間見られた。
その動きは緩やかなのだが、無駄がないせいであろうか、瞬く間に
距離を詰めたような感覚に陥りそうにさせられる。
それは男達の側からも同様のようで、呆気に取られていた先頭にい
る男は完全にタイミングを逸しながら、咄嗟に少女の腕を取ろうと
手を伸ばした。
男の始動を瞬時に見極めた少女は、ほぼ同時とも思えるぐらいの反
応速度で(実際周囲の梨華以外の人間にはどちらが先にモーション
を開始したのかもわからないだろう。)、逆に男の手首のあたりを
捕捉し、間髪いれず内側に捻り上げる。
大の男がいとも簡単に地べたに倒れ伏し、苦痛で表情を歪めながら
も自分の身に起こった事態を飲み込めないでいる。
しかし、その状態も長続きせず、次いで男の頭部目掛けて放たれた
少女の掌による一打によって、男の意識は寸断される事になる。
この期に及んで後ろに控える残り二人は眼前で起きた事象を理解し
たようではあるが、その事象を引き起こした張本人である少女の本
質を理解した訳ではなく、相手の実力・危険性を計りかねている様
子である。
かと言って、これまで自らが生業とする稼業のイメージに起因する
ハッタリを主力として動いてきた人間にとって、理解したところで
どうにもならないレベルの違いがあるのは歴然で、それでも己の身
体に染み付いた行動を反復する男を、梨華は滑稽な思いで眺めてい
た。
「オ…オイ、オマエ、俺達が誰だかわかってやってんだろうな?
刃向かうヤツァ、たとえ相手がお嬢ちゃんでも手加減しねぇぞ。」
少女は押し黙って相手を睨みつけたままである。
完全に相手を飲み込んだ感があり、冷静さを欠いている男二人とは
対照的に、相手を威圧しつつも心の内では冷静に状況判断を行って
いるように思える。
(古流柔術か合気の類かな。
型は私が教わったのに酷似してるし、恐らくは合気術、それも私と
源流が近い流派かもしれないわね。)
確かに、少女の動きは梨華がエルサレムの訓練所で教わったそれと
多くの共通点を持っていた。
加えてその質も申し分ない。
いや、むしろ合気の体術のみを比べれば、梨華をも凌駕している可
能性すらある。
それ程のハイレベルな、全くと言っていい程無駄の無い動きを眼前
の少女は見せている。
この様子だと残り二人も瞬殺されるのはほぼ間違い無いように思え
たが、劣勢を覆すべく人ごみをスルスルと抜けその場に忍び寄る影
がある事に、この時点ではまだ誰も気付いていなかった。
−−−
最初に異変を察知したのは梨華であった。
その男は強過ぎる殺気を全身から放っていた。
梨華のような特殊な環境で育った人間にとってみれば、相手に殺気
を気取られるのは得策ではなく、寧ろ全ての気配を消す為の修練に
時間を費やすのだが、時折意図的に、相手への威嚇や威圧といった
意味合いで全身の殺気・狂気を開放する人間がいる。
勿論これは己の力量に絶対の自信があるから出来る行動であり、状
況に応じて気の質・量を制御する事が可能である人種の特権のよう
なものである。
だが、今梨華が眼で追っている男は、ナチュラルに負のオーラを纏
っているように思え、恐らくは梨華から見れば「あくまで一般レベ
ルの修羅場」を潜り抜けるうちに身に付けた荒んだ気質であろう。
男の通った径路を逆に追うと、そこには漫画にでも出てきそうな黒
塗りの、ウィンドウにスモークが張られた仰々しいベンツが確認で
きた。
男が奮戦する少女に軽く捻られている男達の一味である事はその服
装も加味して疑いようが無く、どうやら些末なしのぎは子分に任せ
自らは車内に待機していたのが、まさかの緊急事態に慌てて出てき
たようである。
とはいえ、その殺気の強さは尋常ではなかったし、それでいて少女
に気付かれないような歩様で距離を詰めたあたり、冷静な判断をし
ているし、表情や動きからは子分共との格の違いも見て取れる。
そして何より、ズボンのポケットに突っ込んだままの右手に何らか
の武器を隠し持っているであろう事が、依然として強く発散されて
いる殺気と相俟って男の危険さを物語っている。
梨華はそれが恐らくナイフ等の比較的小型の刃物である事まで、ポ
ケットの膨らみや微妙な手の向きや動きから看破していた。
騒ぎの中心を取り囲むようにして出来た人の群れ、その先頭にまで
ゆっくりと達した瞬間、男は突如スピードを上げ右手をポケットか
ら素早く取り出しつつ、少女に向かって一直線に歩を進めた。
本当に有無を言わさず斬りつけるつもりなのか、この時点では定か
ではなかったが、少なくとも男は狂気を秘めた微笑を浮かべながら
少女に接近している事だけは間違いない。
そして狂気の微笑が行動完遂を確信した表情に変わる瞬間、満足気
な表情を残したまま男の視界は夕陽によって赤く染まり始めた空に
移った。
少女の背後からまさに襲いかかろうとした刹那、素早く振り返った
少女の一撃により、男は後方に飛ばされ地面に倒れ伏したのだ。
(!!! あ、あれは!!)
周囲の人間には最高のタイミングで強烈なカウンターが入ったよう
に見えたに違いない。
もし記憶があればだが、飛ばされた本人も同じように感じた事だろ
う。
しかし、梨華の眼に映った光景は違っていた。
確かに少女の掌は男の胸部の辺りに触れたかもしれない。
だが、圧倒的なウェイト差を跳ね返してなお数メートルも大の男を
ふっ飛ばす程のパワーが、あの小柄な少女にあるはずがない。
単純な打撃の類による物理的な力ではなく、反作用が生じない気の
ような力を以ってしか説明できない現象である。
そして、梨華にはそのような超常現象にも似た術理に確かに心当た
りがあった、いや正確には自分もそのような訓練を受けたというべ
きか。
いずれにしろ自らの、そして顔もわからぬ母のルーツを辿る僅かな
線を手繰り寄せる手掛かりが、そこにはあるはずなのだ。
一刻も早くこの場を離れ、少女に問いたい事が山程ある。
少女の強烈な一撃の後暫く事態は膠着していた、いや或いは既に決
着したものと見る向きもあろうが、その間隙をついて少女の背後で
手にはそのあたりで拾った鉄パイプのような棒状の武器を持った、
一旦は少女によって地に叩き伏せられた男が立ち上がっていた。
梨華は既に少女が事態を収束させる時間さえ惜しくなっており、素
早くかつ男の死角から瞬時に距離を詰めた。
周囲がその動きに気付くより速く、梨華の繰り出した投げにより、
男はアスファルトに腰・背中を強打し、かつその痛みを実感する前
に、水月への加撃により意識を失った。
時を同じくして群集の後方から笛の音が鳴り響く。
騒ぎを嗅ぎつけたのか、或いは誰かが通報したのか、梨華の予想よ
り幾分早く警察官が駆けつけたようだ。
(日本の警察は優秀だと聞いていたけど、強ち嘘ではないみたいね。)
ゆっくり考えている暇も無く、梨華は若干唖然としている少女の手
を取り路地裏へと駆け出した。
−−−
梨華は念には念を入れて数分間走り続けた。
手を引かれる少女も訝しげな表情ながら、必死で梨華の後を走って
いた。
既に体力の限界が近付きつつあるのか、少女にとってこの疾走の時
間が永遠に続きそうな感覚が芽生え始めたあたりで、それを察知し
たわけではないだろうが、梨華は徐々に速度を緩めやがて完全に歩
を止めた。
「これだけ走れば大丈夫かな……。」
驚いた事に梨華は殆ど息を乱していない。
これも訓練の賜物であろうが、少女は息を荒げ懸命に体内に酸素を
吸入しつつ、驚きの眼差しで梨華を見ている。
「突然でゴメンナサイ。
ええと…何から話したらいいのかな……私は石川梨華といいます。
あなたに是非聞きたい事があって、出過ぎたマネだと思いますけど、
ちょっと手出しさせていただきました。」
整然と話し始める梨華に対して、少女はまだ息が整っておらず、ま
ともに受け答え出来る状態ではなかった。
「ハァハァ…チョ…ワカッタ…から、チョットだけ…待ってくれるか
な?」
少女は必死にそれだけを咽喉から捻り出すと、その場に座り込んで
しまった。
「あっ、ゴメンナサイ……それじゃあ、休憩がてらどこかでお茶でも
飲みませんか?」
梨華の問い掛けに対して少女は力なく首を縦に振り、ぐったりした
様子でなんとか立ち上がり、謂われるままに梨華に続き近くの喫茶
店へと入っていった。
近くにあったので何気なく選んだ店だったが、小さいながらも店内
には快適な空間が用意されていた。
他に数組の客がいたが、それほど混み合っているわけではなく、梨
華は迷わず入口からみて最奥の椅子席を選び腰掛けた。
少女はまだ呼吸が乱れているが、先程までよりは幾分落ち着いた様
子で、無造作に梨華の正面に座る。
店内は木目を基調とした落ち着いた色彩で統一されており、カウン
ターの奥に見える食器類も、決して高級品ではないだろうが、中々
味のあるもので取り揃えられているように見える。
カウンターでは店主と思しき二十台中盤から後半ぐらいの女性が、
新たに店を訪れた客に対応すべく、水やおしぼりを準備している。
見たところ他に店員はいないようである。
程なく店主は梨華の席までやってきた。
店主は常に落ち着いた物腰で、実に自然な空気を纏っている。
店全体を包む柔らかな雰囲気は、唯店に存在するモノのみにあるの
ではなく、この空間を構成する人とモノとの調和によって醸し出さ
れているのであろう。
店主は素早くオーダーを取ると、そのまま定位置なのであろうカウ
ンターの奥へと戻っていった。
「じゃあ、あらためて。
私は石川梨華といいます。
偶然あそこを通り掛って一部始終を見させてもらいました。
それで、いくつか聞きたい事があって、ちょっと強引で申し訳ない
なとは思ったんだけど……。」
少女は体力的には随分落ち着いたようだが、未だ状況は飲み込み切
れないようで、その表情には若干の疑念が見受けられる。
「え〜と、まずは私も名乗った方がいいのかな。
私は柴田、柴田あゆみです。
さっきは助けてくれたみたいで、ありがとうございます。」
表情からは明らかに当惑しているのが窺えるのだが、その割には受
け答えは実にしっかりしている。
「ううん、私が手出ししなくても結果は一緒だったと思うし、却って
余計なお世話だったかな。
それで…柴田さん…でいいのかな?」
「あっ、呼び方はなんでも…あんまり堅いのよりは、砕けた感じの方
がいいかな。
友達からは“柴ちゃん”って呼ばれてるから、それが一番しっくり
くるんだけど……。」
「じゃあ、柴ちゃんは…ってなんか照れるね、今会ったばっかりで、
しかもあんなカタチでなのに。
で、聞きたかったのは、さっき柴ちゃんが使ってた技の事、その中
でも特にナイフを持っていた男を倒した時の技について。」
「………ええっとぉ、どう説明したらいいのか迷うんだけど……多分
そっち……あ、“梨華ちゃん”って呼んでいいかな?」
梨華は黙って頷く。
「それで、その一瞬しか見てないんだけど、梨華ちゃんもなにか、多
分私と似たような事をやってるんだよね?」
先程までと一転してあゆみの受け答えがたどたどしくなる。
梨華はそれを察してか、自ら話を進める事にする。
「うん、私もちょっとしか見てないけども、柴ちゃんが使ってたのは
合気の一種、それも恐らくは一般に広まってるのとは袂を分かつ古
流の一流派ってとこだよね?」
あゆみの回答を待つまでもなく、梨華は更に続ける。
「で、それ自体は特段珍しい事じゃないんだ。
実際に柴ちゃんが言うように、私が使ったのも似たようなものだか
ら。
ただ、偶然では片付けられないぐらい、私が教わったものと型が似
てたから、気になって見てたんだ。
そしたら………あれ、遠当…だよね?」
あゆみは予想外の言葉に驚きを隠し切れない様子で、どう答えたら
いいのか迷っているようだ。
暫くは俯き加減で思考を巡らしているようであったが、意を決した
のか、周囲を一瞥したあと口を開いた。
「ちょっと…ビックリしちゃった。
そこまでわかってるんなら話は早いんだけど、その前に一つだけ聞
いいていいかな?」
梨華には次にくる質問がなんなのか粗方予想はついていた。
それが回答するのに、そしてそれ以上に相手に理解してもらうのに
困難な事もわかっていたが、ここで拒絶するわけにもいかない。
選択肢は一つしか用意されておらず、梨華は静かに答えた。
「うん。」
「最初にことわっておくけど、別に疑ってるわけじゃないんだよ。
さっきだって助けてもらったし、悪い人には見えないし。
でもね、見た感じ私と同じぐらいの年齢だと思うんだけど、それで
さっきのあれが遠当だってわかるなんて……ていうより、そもそも
遠当を知ってる時点で、どう考えてもヘンだと思うの。
私は自分の家族以外で、遠当を見破れるような人に出会うなんて思
ってもみなかった。
しかも周囲には分かり難いようにしたつもりなのに。
梨華ちゃんって……一体何者なの?」
予想通りの問い掛けに、梨華は困惑と安堵の入り混じった複雑な心
境で周囲を見渡し、間を取る。
丁度、オーダーした飲物を店主が運んでくるのが見える。
自分にとってはあまり大っぴらに喧伝するような内容でもなく、反
応を見る限りは恐らく相手にとってもそれは同じだろう。
とりあえずは店主が再び席を離れるまで待ち、この後に控える説明
作業の順序を頭の中で組み立てる。
手元に置かれた素朴なカップに注がれた入れたてのコーヒーをブラ
ックのまま一口飲み、徐に梨華は話し始めた。
「私は……今はある探偵事務所で働いてます。
正確には、これから働く事が決まっただけで、今の時点ではまだ何
も探偵のお仕事はやってません。
だから、今日こうやって柴ちゃんに色々質問しているのも、仕事と
かは全然関係無くて、全くの個人的な問題から。
そこだけは誤解しないで欲しいの。」
あゆみは神妙な面持ちでポツリポツリと話す梨華を見詰めている。
どうやらここまでは信じてくれたように見える。
普通なら本人の希望的観測に過ぎない懸念もあるが、徹底的に主観
を排した見方が出来る梨華にはそんな独りよがりの可能性は皆無で
ある。
「じゃあ、どうして私が遠当を知ってたかって言うと……ここは全部
は話せないんだけど、私ちょっと、いや相当かな、特殊な環境で育
ったの。
それも日本みたいな平和な国じゃなくって、もっと物騒なところで。
そこで何をやってたかは想像に任せるけど、とにかくその中に大袈
裟に表現すると“戦闘訓練”のようなものがあって、合気はそこで
教わったの。」
「それって、どこの国なの?」
あゆみは純粋な興味から質問するが、梨華は表情を曇らせる。
「それは……私には言えない…それに柴ちゃんも聞かない方がいい、
ううん、聞いちゃダメなんだと思う。
聞いちゃったら、多分柴ちゃんにまで迷惑かける事になると思うか
ら……。」
あゆみは一瞬残念そうな表情を見せたが、梨華の真剣な表情・口調
から事の重大さは、なんとなくではあるが認識しているようであり、
それ以上の質問を諦めた。
「うん、ゴメン変な事聞いちゃって。
続けて。」
自分の目的の為に巻き込んでおきながら、むしろ相手に気を遣わせ
てしまっている事に負い目を感じながらも、梨華は話を続ける。
「遠当の事もそこで知った、というよりはそこで教わったというべき
かな。」
あゆみは大きな瞳を更に大きく丸く開き、まるで目一杯に驚きを表
現しているかのようだ。
「り、梨華ちゃん、つ、使えるの、あれっ?」
梨華はあゆみの狼狽振りに内心微笑ましくなりつつも黙って頷く。
「うん、でも使えるって言っても、それがどの程度のものなのかは、
正直なところ自分でもわかってないかも。
もっと超能力的な力を使える人もいるって聞いたけど、私が使える
のは離れた相手に対しても有効ではあるけど、密着した状態で気を
放出しないと大した威力はないかな。
丁度さっき柴ちゃんがやったような、あんな感じ。
そういう意味からはドッチかと言うと、発徑に近いのかもしれない
けどね。」
あゆみはすっかり梨華の言葉に同調したようで、頻りに頷きながら
興奮した語調で話し始めた。
「そう!
私が教わったのもまさにそれなの!
なんか言葉じゃうまく表現出来ないけど、そんな感覚。
なんでかな、今までこんな事で話が合う人なんかいなかったのに。」
「そう、私が柴ちゃんと話がしたかったっていうのも、そこに理由が
あるの。」
「あれ、そうなの?」
梨華は相手の機嫌を損ねてしまうかと多少危惧していたのだが、あ
ゆみは思いの外あっけらかんとしている。
「私もね、ずっと見てて思ったんだ。
柴ちゃんの流派は私が教わったそれと限りなく近いか、もしくは全
く同一のものじゃないかって。
そもそも今ある流派では当身自体が殆ど重要視されてないというか、
長い時間の中で廃れちゃってるし、遠当みたいな普通に考えたら夢
物語みたいな技をずっと伝承し続けてる流派なんて、それこそ2つ
とないんじゃないかって。」
「そうだよねえ、私も最初は『そんな事出来るわけないじゃん』って
思ってたよ。」
あゆみは微かに笑みを浮かべて、頷いてみせる。
「私は…疑ってなかったんだけどね……。」
ポツリと呟く梨華を見てあゆみが更に表情を緩ませる。
「ええ〜ほんとにぃ?
私は最初親にからかわれてるんだと思ったけどなあ。」
「私の場合は他にももっと無理そうなこと実際にやってたから、不可
能な事なんてないと思ってたのかもね。」
「ふ〜ん、梨華ちゃんってなんか面白いね。
あっ勿論悪い意味じゃなくてね。」
一瞬気不味い表情を浮かべたあゆみはすかさずフォローを入れる。
間を取る為なのか、これまで会話に夢中になっていたあゆみだが、
手元の小洒落たカップに手を伸ばし、先程から良い香りを放つ紅茶
を咽喉に通した。
窓の外を見ると既に夕闇が周囲を覆い始めていた。
つい数分前までは夕陽の赤いスペクトルによって、なんと言えない
興趣を感じいたように思えたが、気付かぬうちに結構な時間が経過
しているようだ。
「なんか…話の腰折っちゃったね。
ゴメン、続けて。」
釣られるように梨華もコーヒーを一口飲み、一息入れてから再び話
し始めた。
「私ね、自分の事ほとんど何にも知らないんだ。
ううん、物心ついた後の事は勿論わかってるんだけど、両親の顔も
知らないし、どんな人だったのかもほとんど知らないの。
唯一知ってるのが、母が私と同じ、ううん私なんかよりもっと凄い
んだろうけど、とにかく同じ武術を使えたって事だけ。
それでね、柴ちゃんは多分私と同じぐらいの歳だろうからわからな
いと思うけど、ご家族の方なら何か母の手掛かりになるような事を
知ってるんじゃないかと思って……。」
梨華は同情を買うつもりなど一切なく、そのように受け取られない
ようになるべく感情を込めずに淡々と話したつもりであったが、意
図に反してあゆみはすっかり感情移入した様子で、僅かに瞳を潤ま
せているようにさえ見える。
「……あのね柴ちゃん、別に私は自分の生い立ちについて不幸だとも
思ってないから、気にしないで。
私はただ両親の、そして自分のルーツを辿っていけば、自分がこれ
から何をすべきなのかわかるような気がしてるだけだから。
て言っても、そんな大袈裟な事じゃないんだけどね。」
すかさずフォローしてみるが、あゆみの様子にはその効果は全く見
られず、やはり真剣な、そして慈愛に満ちた瞳で梨華の方を見遣り、
まるで、
『ウンウン、わかるよ梨華ちゃん、苦労してきたんだね。』
と声を発していないにも拘らず脳に直接語りかけてきそうな程わか
りやすい表情でゆったりと頷いている。
「………」
これにはさすがの梨華もすっかり閉口してしまった。
(日本人って、みんなこんな感じなのかな……)
「梨華ちゃん……苦労してきたんだね。」
一瞬置いてあゆみの発した言葉があまりに想像通りだった為、梨華
は猛烈に噴き出しそうになったが、あゆみは至極真剣な表情なので
なんとか表情を崩さずに堪えた。
(こんなところで表情を読まれない為の訓練が役に立つとは思ってな
かったなあ。)
そう思うと更に笑いが込み上げてくるのだが、第二波もなんとか堪
えきる事に成功する。
「……あのね柴ちゃん、別に私は自分の生い立ちについて不幸だとも
思ってないから、気にしないで。
私はただ両親の、そして自分のルーツを辿っていけば、自分がこれ
から何をすべきなのかわかるような気がしてるだけだから。
て言っても、そんな大袈裟な事じゃないんだけどね。」
すかさずフォローしてみるが、あゆみの様子にはその効果は全く見
られず、やはり真剣な、そして慈愛に満ちた瞳で梨華の方を見遣り、
まるで、
『ウンウン、わかるよ梨華ちゃん、苦労してきたんだね。』
と声を発していないにも拘らず脳に直接語りかけてきそうな程わか
りやすい表情でゆったりと頷いている。
「………」
これにはさすがの梨華もすっかり閉口してしまった。
(日本人って、みんなこんな感じなのかな……)
「梨華ちゃん……苦労してきたんだね。」
一瞬置いてあゆみの発した言葉があまりに想像通りだった為、梨華
は猛烈に噴き出しそうになったが、あゆみは至極真剣な表情なので
なんとか表情を崩さずに堪えた。
(こんなところで表情を読まれない為の訓練が役に立つとは思ってな
かったなあ。)
そう思うと更に笑いが込み上げてくるのだが、第二波もなんとか堪
えきる事に成功する。
二重スマソ
「よし!私に任せて。
私は昔の事はなんにも知らないけど、家に帰れば、あっ家は合気の
道場みたいな事やってて、私も物心ついた時から家族に仕込まれて
たんだけど、お母さんか、もしくはお祖母ちゃんなら何か知ってる
かも。」
「ありがとう。
ちょっと強引だったけど、柴ちゃんがイイ人で良かったよ。」
「じゃあ、今日はもうちょっと遅いから、明日の夕方、私が学校終わ
った後で良ければ、家に招待するよ。」
「あっもうこんな時間か、ゴメンね時間取らせちゃって。
じゃあ、携帯の番号教えとくから、明日学校終わったら電話して。」
「ウンそうする。」
梨華は極めて事務的に(本人はそう見えないように振舞っているつ
もりなのだが)あゆみと携帯番号の交換を行い、席を立ち店を出よ
うとしたが、あゆみが間髪入れず引き止める。
「あっ梨華ちゃん、ちょっと待って。」
「え??」
「もしまだ時間大丈夫だったらでいいんだけど、もうちょっとココで
お話していかない?」
「あ、私は別に大丈夫だけど…。」
「今まで私の周りに梨華ちゃんみたいな娘いなかったからさ、なんか
もうちょっとお話したいなって。
私海外にも行った事ないしさ、なんか色々と私の知らない面白い話
聞けそうだから。
それに、明日はゆっくり話できそうもないしさ。」
梨華は素直に嬉しかった。
まだ友達とまでは言えないかもしれない、相手がどう思ってるかも
わからない、それでもホンの数時間前に羨望の眼差しで見送った女
子高生のように、自分にも普通に触れ合える同年代の相手が見つか
った事には変わりない。
この掛け替えのない時間を、梨華は時間の経つのも忘れ、思う存分
堪能した。
その裏には、昼間からずっと感じていた監視の気配があゆみと裏路
地を疾走したその後から消え去っていたという事情もあったのだが。
−−−
430 :
作者:02/11/19 01:25 ID:I5GmGEcX
プロキシ制限ウザい
10月になったら…と思ってたんだけど更に忙しくなってやんの。
以前は仕事中にコッソリとか出来たんだけど、今はもう。
というわけで、今後も間隔はそうとぅに開くでしょうけど、
なんとか書き続ける所存です。
申し訳ない。
駄文を読んでくださっている方々に手間かけるのも申し訳ない
ので、どっか保全のいらないとこに移転する事もチョト考えてます。
キタ━━━(´D`)━━━( ´D)━━━( ´)━━━( )━━━(´ )━━━(∀´ )━━━(`.∀´)━━━!!!!!
更新乙れす
あまり気になさらずに
更新喜多ーーーーー!
待ってますた。
乙。
保全
すごくイイです保全。
更新待ってました!
いししばイイっす!保全
ほ
ぜ
ん
。
ふぉ
ずうぇ
保全
ふぉずうぇんがぁ
今日初めて見つけて、一気に読みました。
頑張って下さい。
HOZEN