「ジブン、ホンマに石川か?」
今をときめく名プロデューサーの第一声は、アドバイスでもダメ出しでも
なかった。
歌の途中で火をつけようとして、そのままになった煙草を下唇にぶらぶら
引っ付けながら、目を点にしたつんくさんは今まで最高に笑わしてくれた。
「ちょっとチェックするから、隣で待っといて。」
暫くして我を取り戻したつんくさんに言われるまま、ざわめきの残るスタジオを
出るわたしの胸は、してやったりの喜びで躍っていた。
できは予想よりも良く、手ごたえはあった。
ソロの話を聞いた夜から今日まで、いろんな葛藤や迷いはあった。わたしの
やろうとしていることが、本当に正しいのか、また、依然として、心の底の方で
ぶすぶすとくすぐりつづける梨華ちゃんに対する負の感情のこと。しかし、
それでも今はソロデビューという目の前にぶら下げられた目標に向かって
突き進むことに決めた。
それは、最初はわたしの野心から始ったものだった。しかし、日を追うごとに
ある予感が、わたしの背中を押していることに気付いた。それは、わたしが
梨華ちゃんの体で、梨華ちゃんが成し得なかったことをする、そのことで
わたしたちの何かが変わるのではないか。
根拠も何も泣いただの予感。それは予感と呼ぶにはあまりに頼りない
希望的観測だったが、それでもその時のわたしたちは、そんなものにでも
頼ってしまうほど無意識の不安定を抱えていたのかもしれない。
結局、その日は録りなおしもなかった。まあ、正式なレコーディングではなく、
ソロを決めるためだけの審査会みたいなものだから、当然そんなものは元々
ないんだけど、上出来だったことは間違いなく、かなり嬉しい。
それにしても、ソロ候補に入れてほしいと言ったときのマネージャーたちの
リアクションと今日録り終わった時のギャップは何度思い出しても笑える。
最初はなっち、圭織、圭ちゃん、やぐっつあんの4人から選ぶ予定だった
らしいが、「審査会受けさしてくれないんだったら、脱退する。」が
決め手となり、今日の運びとなったのだ。
(上手くいってよかったね)
梨華ちゃんが声をかけてきたのは、髪を乾かしている時だった。
あの日から早1週間が経とうとしていた。最近ではさすがにもう慣れたのか、
シャワーやトイレのたびに大騒ぎすることもなくなったが、それでも、
まだ恥ずかしいのか、最中は無口になって、こうして、事が済んでから
声をかけてくる。
「まあね、けどちょっと不機嫌?」
(う〜ん、そんなこともないけど、でも、やっぱりちょっと悔しいかな。
特につんくさんの『ジブン、ホンマに、石川か?』はちょっとムカついた)
梨華ちゃんは真性の音痴ではない。つまり、練習次第で直る音痴だ。
それに必要以上に普段から喉を大切にしていることもあって、この数日の
特訓でそこそこのレベルまでにはなった。しかし、それはあくまでもそこそこの
レベルであって、ソロシンガーとして通用するほどではない。メンバー相手でも
他の4人の候補と比べても一段落ちる。
(ソロ選ばれるかな?)
「さあ、でもあの人好きじゃん。”可能性”って言葉。」
そう、賭けるとすれば、誰も予想だにしなかった梨華ちゃんの急成長ぶり。
そこに可能性を見出してくれれば、芽はある。
「ねえ、本当はソロに選ばれない方が嬉しいんじゃないの。」
つんくさんの話で少し和んだのをチャンスとばかりに、この数日ずっと
訊きたかった質問を沈黙の間にぶつけてみた。もし、このソロの話が、
梨華ちゃんに決まれば、梨華ちゃんの中でわたしが占める割合が今以上に
増えることは間違いない。そんな状況を彼女は思うのか。
(たぶん、選ばれない方が嬉しいってことはないないと思うよ。)
梨華ちゃん自身もこうした状況を上手く捉えきれていなくて、感じるままの
気持ちを、言葉にするのが難しいのか、ゆっくりと言葉を選びながら続けた。
(でも、不安になるの。今わたしたちが共有している状況って言うのは普通の
ことじゃない。だから、それがもし普通になった時に、その間に手に入れたものが
大きければ大きいほど、失う痛みが大きくなりそうで)
後半の消え入りそうな声は、彼女の不安を如実に表していた。
本気で彼女のことを思うのならば、わたしの存在を許してくれた彼女のために、
彼女になりきるべきなのか。しかし、自分を殺して演じつづけることを
優しい彼女はどう思うか、それは逆に傷つけることになるのではないか。
正解が見つかりそうにない迷路。ただ、その中にあって一つだけ確かなことは、
彼女を苦しませる原因はわたしで、それを癒せる可能性を持っているのも今は、
わたしだけということ。
「大丈夫、わたしはずっと梨華ちゃんを・・・・・・梨華ちゃんのそばにいるよ。」
(大丈夫だよ、心配させちゃったみたいだね。
それに、いつまでもいられたらデートもできないじゃない)
冗談めかして大丈夫と言う彼女の優しさに涙が出そうだったが、
今のわたしにはそれはできない。
「えっー、いっつもデートみたいなもんじゃん。」
それは、優しさと軽さが紙一重の夜だった。
しかし、わたしの言葉に嘘はなかった。本気だった。
口先で言ったんじゃない「ずっと一緒に」と。