転機は突然舞い込んだ。
あの事故の発表からの過熱報道がようやく落ち着きを見せ始め、わたし達も
12人でもダンスフォーメーションにようやく体が馴染んできた頃だった。
条件付とはいえ、ソロに選ばれたのだ。
本当ならば、デビューはもう少し先の予定だったらしいのだが、わたしの
事故に関して、世間の受け止め方がおおむね同情的で、それならば、
話題性のあるうちにという話だった。
しかし、そんなことはわたしにとってはどうでも良いことだった。
(おめでとう!)
マネージャーからその話を聞かされた後、一瞬の間を置いてそう言ってくれた
彼女の言葉だけで、どれほど救われたことか。
わたしにとって、最初この状況下では、すべてのことは梨華ちゃんのためだった。
“事故”によって、彼女の体を奪ってしまった罪悪感から、そして、いずれ
訪れるであろう彼女の体との別れの時を考えて、できるだけ彼女らしく
振舞うことが、彼女のためであり、わたしの義務だと考えていた。しかし、
ソロの話を聞かされた夜、わたしの最もわたしらしい部分が、わたしの中で
主張をはじめたことで、どこまでいってもわたしはわたしでしかないことに
気付かされた。それでも、もし、彼女が望むならわたしは、その思いを
もう一度心の底に封印し、彼女のために生きようと思っていた。しかし、
予想を越えた優しさで、彼女は、時にわたし自身嫌気がするわたしのそうした
部分も含めて、受け入れてくれたのだ。
それによって、少し自分らしく生きることを許された気がし、今日に
至るのだが、それでも、やはりソロ決定を聞かされたときは喜びよりも、
彼女がどう思うかという不安の方が先立った。
そして、彼女が喜んでくれているとわかって、はじめてわたしも共に
喜ぶことができた。つまり、いつの間にかわたしは、再びすべてが彼女の
ためであれば良いと考えるようになっていたのである。しかし、今度は前の
義務感のようなものではなく、より無意識に近い部分でそう思っていたのだ。
さらに、最近では、以前彼女に抱いていた歪んだ憧れのような思いも
感じなくなっていた。それは、わたしが、彼女として振舞っているからではなく、
他人からいたわられ、愛される彼女を第三者として誇らしく思えるように
なってきたのである。
この二つの変化に気付いた時、おかしなことにわたしは嬉しくて
しょうがなかった。こうした変化は、わたし自身の存在を薄めていっている
ことなのに、それが嬉しいなんて。自分でもわけが分からないが、たぶん、
こうしてわたしと彼女の距離が近付き、ゼロになっていくことこそが
今のわたしにとって何よりも大切なことなんだと思った。
「でも、みんなには悪いことしちゃったかも。」
(そんなことないよ、だってこれは、ごっちんの実力で勝ち取ったんだから、
ごっちんのものだよ)
自分の気持ちが悟られないように、照れ隠しで何気なく言っただけだった。
本当はみんなに悪いなんてそんなに思ってなかった、それよりも、彼女を
喜ばせたい、そう思っていたんだから。
しかし、こう言ってくれた彼女の言葉をなぜわたしはこの時文字通り
受け取ってしまったのだろう。後になって思えば、この時の台詞が持つ意味を
もっと深く考えていれば、わたし達は違う未来を歩んでいたかもしれないのに。