お昼を食べた私達は、真希ちゃんの居間で午後を過ごしていました。隣の壁紙の、
開放的な部屋の雰囲気とは対照的。この居間の四方に窓はありません。なのにきら
きらとキッチンが輝いているのは、その上に明かり窓があるため。
近頃の私達は本当にTV番組に詳しくなっていて、日中では3人とも、午前の番組の
方が好きでした。午後のものよりも全体的に、雰囲気が気楽なのです。
「トランプでもしようか。」
「いきなり?3人で?」
再放送のドラマなども特にチェックすべきものがなかったので、そう真希ちゃんが
提案しました。聞き返したひとみちゃんは少し訝しげで、真希ちゃんはへらへらと
時計を見上げます。
「ん〜?加護が多分そのうち帰って来るよ。今日はちょっと早いみたい。4時頃。」
「そう。じゃ、やりながら待ってるか‥。」
ここに逃げ込むまでの随分長い間、ひとみちゃんは真希ちゃんのファンだったから。
だからそんなひとみちゃんがその本を目にとめたのは、やはり必然だったのだと思
います。
むせかえるように白く咲き誇る大きな百合の花束の隣の、文具棚の引き出しをひとつ
ひとつ開いては閉じて行きます。真希ちゃんの示す通りに、トランプケースを探して。
「ここ?」
「あー、その上だ。そこの上の引き出し。」
場所的にひとみちゃんは一番近いところに座っていたから、自分から立ち上がってくれ
たんです。
「あった。」
取り出した黄緑色のケースをかざして。笑って見せるひとみちゃんどこか得意げ。
そのまま戻って来ようとして、足を一歩踏み出しかけた直後。
「ねー‥、これは何?」
何かを見つけてしゃがみこんだんです。
脇にある花瓶台の下に、ひとみちゃんは顔を近付けてなにやら探っていました。作り
付けの棚に、台の下はなっていて、そこには数冊の大きな本があまり堅苦しくなく並
べてあります。
「コレ、ちょっと。見もていい?」
その中から一冊、重そうな本をひとみちゃんは取り出し、軽々と持ち上げて、私達を
振り向きます。愉快そうに瞳を2、3度、瞬いてみせたりして。
「もー、いいよそういうの出して来なくって〜。」
真希ちゃんは、ちょっとした悲鳴を上げます。おおげさに顔をゆがめている。
本の濃いピンク色の表紙には、布地に教団のロゴが大きく型押しされていて、一見それ
は卒業アルバムを彷佛とさせました。
ひとみちゃんの目の輝きに真希ちゃんも抵抗を諦めたみたいで、
「G教の歴史と、まあ教典みたいなのを、一冊にまとめた本。それは。」
などと、苦笑しながら付け足しました。
ひとみちゃんはいそいそとテーブルまで戻って来て、私の横、つまり真希ちゃんの正面
の位置にやけにぴったりと私にくっついて座り、そして、喜色満面のおももちで表紙を
まずめくりました。
「写真とか載ってるワケ?」
目次を開いたところで、ひとみちゃんは尋ねます。
(アンタ一体何者なの!?)
って、ちょっとツッコミたいような口調でした。
「うん、ちょっとだけ。」
真希ちゃんは肩をすくめて。
「水着とか?」
「ないよ。」
外見がアルバムっぽいせいもあって、中身もさぞ写真が豊富なのだろうと、私もひとみ
ちゃんも期待をしていたのでした。けれど実際はそうでもなく、細かな文字の文章が
ほとんど。写真は挿し絵程度に時折入っているだけ。
それでも巻頭の数ページには真希ちゃんのポートレートをはじめ、カラーでけっこう
載っていたので、私達はそれなりに楽しむ事が出来たんです。
真希ちゃんは初め嫌そうに顔をしかめていたけど、もともとあまり物事にこだわらない
タイプなのでしょう。困ったような呆れたような。そんな特有の笑顔を作って、私達と
ページとを、交互に見比べたりしています。
「この写真すっごい若っけー!ぽっちゃりしててかわいいったら!!」
まだ黒い髪の真希ちゃんを見つけて、ひときわ高い声をひとみちゃんは出しました。
すると、真希ちゃんは机に、ガバッと顔を伏せてしまった。照れちゃって。ほうり出さ
れた、豊かでつやつやとした髪が、柔らかく光をたたえていました。
「なによりそれを見られたくなかったんだ‥。まあね‥、どうもありがとう‥。」
真希ちゃんはモゴモゴ呟き、そのとてもシャイな仕種に私もちょっと吹き出してしまった。
「ねえ、どうして表紙の色、こんなに派手なの?教典なのに‥、いいの?」
少し気の毒になってそう話をそらすと、
「あたしの襲名記念だから‥。好きな色にさせてもらった‥。」
両腕の陰から真希ちゃんは上目づかいで、そして耳が少し、赤いの。
そんな真希ちゃんを尻目にひとりページをめくったり、また前後したりして、ずいぶん
気ままだったひとみちゃんはやがて、
「おッ!!」
って叫んで、視線を固定させました。新たな標的を発見したみたいで、隅に載っている
中くらいの写真を指差し、恐る恐る口を開きます。
「コレって‥、保田さんでしょ‥?もしかして。」
真希ちゃんは顔を上げて、指の先を覗き込んだ。
「ん、そうそう。」
さっきまでの動揺はどこかに消えてしまったみたい。確かめるように2、3度、懐かし
そうに頷いています。
「そっか、本当にG教だったんだね‥、保田さん。」
「そ。努力家でさ‥。偉かったんだよ。チカラあったし。」
感心する私達に、真希ちゃんは言いました。目を細めて、とても穏やかな表情。うって
かわって急に大人っぽくなった真希ちゃんの笑顔を見たら、私はなんとなく、父と母と
3人で暮らしていた日々の事を思い出したりしました。
保田さんの、チカラ。それはつまり、過去や未来に行ける‥、といった、ああいった
能力のことでしょうか。私はもう一度、写真に目を落としました。そこに映っている
のは、溌溂とした笑顔。3人の少女。一人は保田さん、もう一人は真希ちゃん。
ひとみちゃんは飾り気無く、率直に聞きました。
「ねえ、どうしてフラフープなんか回してんの?こんな山奥で‥。」
真希ちゃんをまっすぐに見つめる。
確かに私にもそれは、少し奇妙な風景に映りました。あいかわらず輝く保田さんの表情。
は、ともかく。真希ちゃんの笑顔が、あまりにも無垢‥。
写真‥。
背景には枯れた雑木林。水色の空とフラフープ。
白い、山荘。
真希ちゃんは少し、考えてから言いました。
「そこは教団の別荘。秘密だから山の中にあんの。フラフープはまあ、ちょっとした
修行みたいなモン‥。って言ってた。」
やわらかな笑顔を真希ちゃんはまったく崩していません。
「この、もうひとりのヒトは‥?」
更に続いたひとみちゃんの質問に真希ちゃんは特別、表情を変えなかったけれど。
笑ったままで結局、何も答えてくれませんでした。
その時。
「ジョニーにハートブレイクッッ!!」
「ばかじゃないの!?オマエ〜!?」
「おぉ‥!!お帰り〜。」
けたたましい音を響かせ、帰って来たのは加護ちゃんです。この、居間まで続く2重
の廊下を全力で駆け抜けてきたみたいで、加護ちゃんは前髪がパラリと上へめくれて
しまっています。息を切らしながら加護ちゃんが叫んだ言葉の、その意味を私達は
まだ理解していないかったけれど。一生懸命な顔色とか眉毛の上がり方などが微妙に
可愛いらしくて、私もつい、くすくすとつられて笑ってしまったんです。加護ちゃん
の言動にまっ先に、すごい勢いで反応を返した真希ちゃんは、それからひとりだけ、
一番笑っていました。
私達4人ではその後、トランプをして過ごしました(トランプケースはしばらく
の間すっかり放り出されていたので、『どこだっけ?』と探すのにまたひと苦労
しました)。七並べ、ババ抜き、そのあたりの気軽なゲームをずいぶんやったなか
で、意外に、‥って言っていいのか、加護ちゃんが、素晴らしい強さを発揮してい
たんです。
彼女のの勝つ確率がだいたい半分を越えた頃、
「タイム。」
って、一度中断して真希ちゃんは立ち上がり、そのまま柱の電話器へとおもむろに
歩き出しました。ゲームに熱中してそれまでのはしゃいでいた姿と違って、すんなり
受話器を掴んだ真希ちゃんの様子がことのほか冷静だったので、加護ちゃんは慣れて
いるのかそうでもなかったけれどひとみちゃんと私はなんだか注目してしまった。
「あ、どうも。」
受話器を耳にあていくつかのボタンをプッシュした後、真希ちゃんはすぐに話し出し
ます。
「今夜、夕ごはん要りません。ハイ、皆。お菓子を結構食べちゃったので、あんまり
おなか空いてないです。」
確かに机の上にはトランプと、そして開けられたいくつものお菓子の袋が散乱した
状態でした。そう、だいぶ食べてしまった。私達はとっくに、お腹がいっぱいでした。
(気をつけないと太っちゃう。最近運動してないし。)
そう思う側から、私はまたひとつ、スナックをつまみ上げます。
(だって、おいしいんだモン。)
解っているけど、なかなか。目が食べたいの!
「はい。すみません。要らないですから。」
最後に一言謝って、真希ちゃんは電話を切りました。
「毎回そうやって、電話を入れてるの?」
なにくわぬ顔で戻ってきて、再び座りなおす真希ちゃんに私は聞きました。
「うん。」
「なんだ。もっと勝手にやってるのかと思ってた、教祖だし。」
ひとみちゃんも同調します。
「だって、悪いじゃん。もし作っちゃってたらさ。私、料理するの好きだけど下の人に
つくって貰う時も、まああるし。なんかさ、そゆとこ。キチンとしないと嫌なのワタシ。」
「へー‥。」
なんていうかすごく‥、道徳的でした。返す言葉も発見できず私はひとみちゃんと目
を見合わせます。テーブルの中央にトランプのカードは、ざっくばらんにまとめられて
いて‥。スナックのお菓子の汚れが、ちょっとついちゃったかな‥。なんて。
「あのー‥、なんかごめんね? トランプ。ちょっと、油ぎっちゃった‥、よね?」
ひとみちゃんもちょうど同じ事を思っていたようで、ぎくしゃくした口調でなんとなく
謝ります。
「ああ、」
真希ちゃんは言いました。
「別にいいよ。また買えばいいじゃん。ねえ?」
悪意のみじんも感じられない、明るい笑顔を浮かべて。
加護ちゃんは私達のそういったやりとりに全く興味がないようで、ひとりテレビのリモ
コンなどをキョロキョロと探し始めています。
たとえば雲の上の存在なのだと、私は改めて思いました。私達よりもきっと、一段高い
ところにいる。実際、雲の上などといった世界が本当に存在するとしたら、それはこの
建物の、今いる最上層かも知れません。
白い羽衣を持った、華やかな死者の世界‥。そういう快楽的な、少し陳腐な想像が頭の
中に浮んできてしまって、私は慌てて、速やかに打ち消しました。
突然。
『ワッハッハ』
って、聞き慣れた音声であたりが包まれ、退屈した加護ちゃんが、TVをつけたようでし
た。