ニイニイ小説〜愛をください〜

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859フレーズ目
 私が想像していたよりも仕事ははるかに忙しく、毎日が飛ぶように過ぎていった。
たまに完全に何の仕事もない日があると、私は学校へも行かず、自室にこもって、
ベッドの上で毛布にくるまりながら過ごした。
 人工的な闇のなかで心臓の音を聞いていると、自分の輪郭がはっきりしてくる
ような気がする。

 モーニング娘。に入って四ヶ月。何かが変わったんだろうか?私はどこが変わった?
ベッドのそばに置いてある手鏡を手にとり、自分の顔を映してみる。13歳にしては
少し疲れすぎている、微妙にこわばった顔がそこにはあった。

 本当にこれでよかったんだろうか。憧れだったモーニング娘。でいることに少し
だけ馴染んだ今になって、そんなふうに考えることが多くなった。
 その疑問を抱いたのは私だけではなかったと思う。先輩たちとの間にある歴然と
した実力の差にショックを受けたり、初めて飛び込む大人の厳しい世界に戸惑ったり
することは何度もあった。

 私より断然可愛くて、才能もセンスもあるのに、他の三人は自信がない、と
たびたび涙を流した。そんなに泣くことないのに、私は彼女たちを慰めながら、そう
思っていた。歌やダンスが上手くいかなくても、絶対に泣かない自信はあった。
そんな努力はたいして辛くも痒くもないように思えた。
そういった種類の努力は前向きで、明るい。

 私は他の三人がしなくていいような種類の努力をする必要があった。それは
ネガティブで、暗くて惨めな努力だ。
自分が把握できないくらいの量の嫌悪を、感じないようになること。どんなことを
言われても、気にしないようにすること。人気がなくても、傷つかない強さを
身に付けること。

 
8610フレーズ目:02/02/07 22:38 ID:3s4aXU6g
コンサートで歌ったり踊ったりする時の自分は、もはや私ではないのだ、と
そう何度も言い聞かせる。ステージにたつ「新垣里沙」という人形を、私は
遠くから操る。人形はどんなことを言われても、泣きもしないし、傷つくこと
もない。
 「あなたたちは勘違いしてる」
 人形に向かって汚い言葉を浴びせる観客に、私は心のなかでつぶやく。
「私は人形だから、別にあなたに好かれようとも愛されようとも思っていないのに。
私がそんな言葉で傷ついて、泣き出すとでも思った?」
 そんなふうに自分を空っぽにして無感情で仕事をやりすごすことが、傷つかない
ための最良の手段だと思っていた。そんな私の心あらずな歌やダンスを見て、
何人かの先輩は私に落胆し、的外れなアドバイスをしてきたりした。

「新垣、せっかく観に来てくれたお客さんに、精一杯の努力を見せなきゃダメだよ」

そんなふうに先輩たちは言った。
 誰にもわかってもらえないだろうから言わなかったけれど、私は自分がしなければ
ならない努力は、最大限にしていた。私の精神状態はぼろぼろだった。何も感じない
ように奥のほうに押しやった心は、すっかり錆びついていた。私はそれを表に出して
誰かに感づかれることを恐れた。どこからきたのかわからないような苦しさに
押しつぶされそうなときは、私は自分を奮い起こして笑った。

 私、ほんとうにモーニング娘。になってよかったんだろうか・・・。そんな疑問を
打ち消すために、くだらない冗談を言ったりして、人を笑わせたりした。

 いつかのコンサートが終わったあとで、いつものように人形になりきっていた私に、
後藤さんが手紙をくれたことがあった。
 きっと手紙のなかで後藤さんはすごく怒っているにちがいない、そんなふうに
私は思い、怖くて封を切ることができなかった。机の一番上の引き出しに入れた
まま、もう一ヶ月も経つ。私は他人のマイナスの感情に敏感になりすぎていた。

(あの手紙、開けてみようか…)
 私は毛布のなかに顔をうずめながら、ぼんやりそう思った。
 ぱさぱさに乾ききった心のままで、今にもバランスを崩しそうな精神のままで、
いつまでもモーニング娘としていられるわけがない。夢を与えられる立場で
いられるわけがない。
 もうやめよう。あきらめよう。愛されようと望むことも。明るい場所で生きて
いくことも。みんな幻だったんだ・・・。
 ひどく自暴自棄な気持ちで毛布の穴から抜け出して、机の引き出しを開ける。
薄い水色の封筒に、後藤さんの字で「新垣へ」と書いてあった。

(後藤さんに怒られた手紙なんて、モーニング娘。のいい思い出だよね)
そう考えると、憂鬱になりそうな手紙を開けるのも怖くなくなっていた。
封筒と同じ色の綺麗な色をした便箋は、羽のように軽かった。



新垣へ。

お客さんに愛されるのはむずかしくっても、
お客さんを新垣が愛することは、100パーセントできるんだよ。

                 
                      後藤真希 より。




手紙のなかにあるひとつひとつの文字が目に突き刺さってくるよう
で痛かった。頬に身体中の血液が集まってくるような気がした。

「馬鹿にしないで。馬鹿にしないでよ」
私はそうつぶやきながら、便箋をびりびりに破った。後藤さんの字が
こなごなになって消えてしまっても、破くのをやめられなかった。
私はいつのまにか、とても久しぶりに、心から泣いていた。