ニイニイ小説〜愛をください〜

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808フレーズ目
芸能人になる、それがどういうことなのかわかっていたつもりだった。
普通の人として生きていた時の、きっと何倍も愛されて、何倍も嫌われること。
それが有名になるっていうことなんだろうと。

 あさ美ちゃんと楽屋に戻った自分を、叱った人はいなかった。
私はといえば、コミカルな人形を演じることに成功していた。笑顔を頬が
痛くなるくらい保ち続け、しきりに「楽しかった」を連発した。
 人形になってしまおうと思った。感情を捨てるのだ。心を捨ててしまえ
ばいい。なぜそんな簡単なことに気づかなかったんだろう。はじめからそうして
いれば、傷つかずに済んだのに。
 人形になろう。人形は愛されることなんか望まない。

 薄い氷のような笑顔を浮かべ続ける私に、矢口さんは言った。
「新垣、前に言ったことは嘘じゃないからね。お客さんは新垣のことを見ていて
くれる。今はわからないかもしれないけど、いつかきっとわかるよ」
 矢口さんは熱のこもった先輩らしい声で話し続ける。
 私はまた、軽薄なつくりの人形のように頷く。
(別に見てくれなくてもいいよ。愛されなくてもいいし。大体愛なんてどんなもの
かも知らないんだから)
 雨が降り始めていた。私は矢口さんの話を聞きながら、窓に打ち付けられる
雨のしずくを、視界の隅でみていた。
(あの雨みたいに、冷たい心で生きられたらいい) 

「矢口さん、私、頑張ります」
 機械がしゃべっているみたいな声だな、と自分でも思った。
「歌も、ダンスも、頑張って、トークもうまくできるようになって、それで…」
 矢口さんは私の次の言葉を待っていた。じっと私の目を上目遣いで見ている。
(…頑張って、それで?)
 私は続く言葉を必死で考えた。でも何もでてこない。娘。のメンバーでいると
いうことで、いったい何を求めているっていうんだろう。
 宙に浮いた言葉を取り繕うように、私はぎこちなく笑った。

 胸にぽっかりあいた空洞が、たまらなく苦しかった。
 私は感情を器用にとりのぞくこともできない、無力で賢くもない、どうしよう
もなく生身の、子供だった。でも私は、その事実から無理やり目を逸らした。