コンサートが始まる直前に、矢口さんは緊張する私たちに言った。大丈夫、
お客さんは私たちの味方だからね、と。
初めて経験することは、いろいろな発見を与えてくれる。
私はそれまで知らなかった。ステージの下から私に投げかけられる声が、
こんなに自分にはっきりと届くということ。私は知らなかった。
声援は幅の広い曖昧な帯のようになって、自分を包み込むものだと思っていた。
そのなかで自分は歌うんだと思っていた。
いや、違う。私以外のメンバーは観客の声など聞き分けられないだろう。
しかし私だけが聞き分けることができた。
彼女たちに向けられた声援は、それほど種類がない。それはくるおしく
名前を呼ぶものであったり、直接的な賛美の言葉だったりする。
それらはひとつに美しくまとまり、受ける側を気持ちよくさせる。
それにくらべて、私に向けられた声は非常にバラエティーに富んでいた。
だから私はそれを聞き取ることができたのだろう。
人を貶め、傷つけ、ぼろぼろにする言葉は、この世の中に星の数ほど
あった。
ただそのことを、私が知らなかった。「死ね」と誰かに怒鳴られると
いうこと、それも、たくさんの見ず知らずの人間から。そんな経験は、
それまで十三年生きてきたなかでは、私にはなかった。
さまざまな種類の言葉が、ばらばらのまま、ガラスの欠片のように
私に突き刺さった。彼らは私の血を見がっていた。
何人の人がこの会場にいるんだろう。確か八千人、いや一万人って
スタッフの人が言っていたような気がする。私は先輩たちの後ろで
覚えたてのダンスを踊りながら、ショックと緊張で麻痺した頭でぼ
んやりと考えていた。
私がMCで喋ると、会場は水を打ったように一瞬、静まり返る。
そして、その静寂を縫うように、いろいろな言葉が聞こえてきた。
その言葉は私をあきらかに拒否していて、見えない力で私の頬を
めちゃめちゃにぶった。
このたくさんの人の、どのくらいの人が私を目障りに思っているん
だろう。
3分の1?2分の1?もしかしたらここにいる一万人の人が
全部、私を憎んでいるのかもしれない。グロテスクでどろどろした
悪意が、この会場いっぱいに充満しているように私には思えた。
息を吸い込むと、毒を飲み込んだように苦い味がした。
私以外のメンバーはみんな楽しそうに、汗をきらきら輝かせながら
踊っている。
私がいるところとは違う、弾けるように明るい光のなかで、みんな
笑っている。
ここは暗くてじめじめして、すごく嫌な匂いがするのに。
またダンスの振りが遅れてしまった。愛ちゃんが私の方を心配そうに
見ている。ちゃんと、みんなの足をひっぱらないように、踊らなくちゃ。
でも、吐き気がこみ上げてくる。胃が何か別の生き物みたいだ。さっきから
ずっと、小さくなったり大きくなったりして暴れている。
早くここから逃げ出したい。綺麗な空気をすいたい。どこでもいいから、
早く。ここじゃない、違う場所へ。
また遠くの暗がりから声がした。私は思わず耳を塞ぎたくなった。