ニイニイ小説〜愛をください〜

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545フレーズ目
コンサートが始まる直前に、矢口さんは緊張する私たちに言った。大丈夫、
お客さんは私たちの味方だからね、と。
 初めて経験することは、いろいろな発見を与えてくれる。
私はそれまで知らなかった。ステージの下から私に投げかけられる声が、
こんなに自分にはっきりと届くということ。私は知らなかった。
声援は幅の広い曖昧な帯のようになって、自分を包み込むものだと思っていた。
そのなかで自分は歌うんだと思っていた。

いや、違う。私以外のメンバーは観客の声など聞き分けられないだろう。
しかし私だけが聞き分けることができた。
彼女たちに向けられた声援は、それほど種類がない。それはくるおしく
名前を呼ぶものであったり、直接的な賛美の言葉だったりする。
それらはひとつに美しくまとまり、受ける側を気持ちよくさせる。
それにくらべて、私に向けられた声は非常にバラエティーに富んでいた。
だから私はそれを聞き取ることができたのだろう。 
人を貶め、傷つけ、ぼろぼろにする言葉は、この世の中に星の数ほど
あった。
ただそのことを、私が知らなかった。「死ね」と誰かに怒鳴られると
いうこと、それも、たくさんの見ず知らずの人間から。そんな経験は、
それまで十三年生きてきたなかでは、私にはなかった。

さまざまな種類の言葉が、ばらばらのまま、ガラスの欠片のように
私に突き刺さった。彼らは私の血を見がっていた。
556フレーズ目:02/01/25 20:46 ID:G9C8Ew3t
何人の人がこの会場にいるんだろう。確か八千人、いや一万人って
スタッフの人が言っていたような気がする。私は先輩たちの後ろで
覚えたてのダンスを踊りながら、ショックと緊張で麻痺した頭でぼ
んやりと考えていた。
 私がMCで喋ると、会場は水を打ったように一瞬、静まり返る。
そして、その静寂を縫うように、いろいろな言葉が聞こえてきた。
その言葉は私をあきらかに拒否していて、見えない力で私の頬を
めちゃめちゃにぶった。
 このたくさんの人の、どのくらいの人が私を目障りに思っているん
だろう。
 3分の1?2分の1?もしかしたらここにいる一万人の人が
全部、私を憎んでいるのかもしれない。グロテスクでどろどろした
悪意が、この会場いっぱいに充満しているように私には思えた。
息を吸い込むと、毒を飲み込んだように苦い味がした。
 
私以外のメンバーはみんな楽しそうに、汗をきらきら輝かせながら
踊っている。
 私がいるところとは違う、弾けるように明るい光のなかで、みんな
笑っている。
 ここは暗くてじめじめして、すごく嫌な匂いがするのに。

 またダンスの振りが遅れてしまった。愛ちゃんが私の方を心配そうに
見ている。ちゃんと、みんなの足をひっぱらないように、踊らなくちゃ。
でも、吐き気がこみ上げてくる。胃が何か別の生き物みたいだ。さっきから
ずっと、小さくなったり大きくなったりして暴れている。
早くここから逃げ出したい。綺麗な空気をすいたい。どこでもいいから、
早く。ここじゃない、違う場所へ。

 また遠くの暗がりから声がした。私は思わず耳を塞ぎたくなった。