吉澤さんはまだ来ない。時計を見ると、待ってからすでに20分は経っていた。
そんなに西島さんの状態が悪いのかな。。
また数分経った。しかし吉澤さんはまさ来ない。
待ちきれなくなった私は、そこにいる人に声をかけて聞いてみることにした。
「あの、すいません」
「はい?」
「ちょっとお聞きした・・・」
思わず言葉を止め、あっと息を飲んだ。
戸高さん・・・・・・!
何でここに戸高さんが?気がついたら何も言わずに、戸高さんの顔を見つめている。
「・・・あの、どうしました?」
戸高さんの声でハッとなり、慌てて聞き返した。
「あ・・・あの・・・ひ、控え室はどこですか!?」
緊張のあまり、つい強い口調になってしまった。
不快な気持ちにさせたかな。と思ったが、戸高さんは、
「ああ、あっちの階段降りたところですよ」
と、教えてくれた。
私は軽く頭を下げて、頭を下げた格好のまま、小走りで階段に向かった。
心臓はまるで1500mを走り終えた時みたいに鼓動を早くしている。
何で戸高さんが?何で?何で?何であんなところに?何で?
戸高さんは私のこと覚えてないの?私は覚えてるのに。
でもあれから三年も経ったんだし。でも何で私は覚えてるの?何で何で?
ゴン!
私は階段の横にある柱に頭をぶつけて倒れた。
痛い・・・。少し涙目になった。鼻血は出てないが、花の奥がキナ臭い。
「大丈夫?」
誰かが声をかけてくれた。私は目だけそちらに向けて、大丈夫です。と言おうとした。
!! 戸高さ・・・・・・!
ビックリして思わず後ろに飛びあがり、今度は後頭部をぶつけた。
今度は頭をおさえて前屈みになる。痛さと恥ずかしさで泣きそうになった。
「・・・・・・あ!」
突然、戸高さんが言った。再び目を向けると、
「もしかして、紺野あさ美さん?」
と、私の名前を呼んだ。
私は少し動揺しながらも、「ふぁい」と返事をした。
「ああ、やっぱり。実は俺、ファンなんですよ。サイン貰えませんか?」
・・・ああ、やっぱり覚えてないんだ。しょうがないか。
そう思いつつも、手渡された紙にサインを書いて手渡す。
戸高さんは、マジか!本物だよ!と喜んでいる。
しかし、私の心戸高さんとは逆に、だんだん黒く沈んでいった。
普段なら、こうしてファンの人が喜んでくれると嬉しいはずなのに・・・。
「いやー、マジで嬉しいや。あの、握手もいいですか?」
その一言に、私はお腹が絞めつけられるような痛みを覚えたが、いいですよ。と言い差し出された戸高さんの手を握った。
と、手の中に何か紙のようなものが当たった。
さっきのサインじゃない。サインなら、握ってない方の手にある。
「ありがとうございます。応援してますから!」
そう言って戸高さんは入り口の方に走って行った。
戸高さんが見えなくなると、手渡されたものを見てみた。それは小さな封筒だった。
何だろうと思いながら、封筒を開ける。
「紺野〜!こんなとこにいたの?」
後ろから声がして、ビクッと振り返る。吉澤さんだ。
「・・・ん?なにそれ?」
吉澤さんは私が今開けようとしていた封筒を見ている。
「あの・・・さっき・・・」
まずい。まさか戸高さんから貰ったなんて言えない。
何せ戸高さんは、さっきまで吉澤さんのジムメイトと戦っていた相手。
「・・・ファンの方からいただきました・・・」
そう言うと、吉澤さんはニヤニヤしながら、私の頭を軽く小突いた。
「ふーん、うらやましいなコイツ!私なんて引退してからほとんど貰ってないよ!」
吉澤さんは、コイツ!コイツ!と言いながら私の頭を小突き続ける。
「あ・・・あの、ところで西島さんは?」
そう言うと、ようやく吉澤さんの手が止まった。助かった・・・。
しかし、吉澤さんの表情は真剣だ。突然黙りこんでしまった。
「・・・どうかしたんですか?」
私がそう言うと、吉澤さんは急に肩をワナワナと震わせ始めた。
「・・・実はな・・・西島さんな・・・」
まさか・・・!
私も「もしかしたら」が頭に浮かび、急に手が汗ばんできた。
「西島さん・・・大したことないってさ」
「へ?」
思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。
「・・・ぷ・・・・・・ぷわは・・・・・・あははははははははは!」
急に吉澤さんは笑いだした。私は何がなんだかわからず、きょとんとするばかりだ。
「・・・あは・・・ははは・・・紺野、あんたって本当に面白いよね〜」
ここでハッと気づく。騙された・・・。
思わずちょっと膨れっ面になった私の頬を、吉澤さんは指で押して、
「大丈夫だよ。西島さん、軽い脳震盪だって。全然平気」
そこまで聞いて、私はようやくホッとした。(同時に頬の膨れも治った)
「ところで紺野はこれからどうする?」
吉澤さんが聞いてくる。時計を見ると、4時。
「あの・・・私は明日早いのでそろそろ・・・」
「・・・そっか、頑張ってね。今日は会えて良かったよ」
吉澤さんは少し残念そうな顔をしたが、笑って言った。
「私も・・・恵理ちゃんに会えてよかった」
あ、恵理って・・・。
「・・・・・・ぷわははは!紺野、あんたってやっぱり面白いね」
・・・だって、私をからかったり、どこかお姉さんだったり。
「うん、それじゃあ恵理ちゃんは日曜の昼にはジムにいるから、いつでも来ていいよ」
吉澤さんってどこか恵理に似てるんだもん。
「はい、それじゃあまた・・・」
そう言って吉澤さんと別れ、会場を出てタクシーに乗り込んだ。
恵理か・・・懐かしいな。
今、恵理は何やってるんだろう。
上京してからは毎日のようにメールや電話はしてたけど、仕事が忙しくなるにつれ、だんだんメールもできなくなった。
久しぶりに電話、してみようかな。
「着きましたよ」
運転手さんの声で目が覚めた。気がつくとマンションの前に来ていた。
私は財布からお金を出おうとした。と、何かが手からぽとりと落ちた。
それはさっき、戸高さんに渡された封筒。握られて小さくなっていた。
また少しさっきのことを思い出して、お腹がムカムカしてきた。
私はお金を払いタクシーを降りると、マンションの部屋の鍵を開け、封筒を開いた。
中には、手紙らしき紙が一枚入っていた。そこにはこう書かれていた。
「次の試合は10月4日。後楽園ホール」
いかにも急いで書いたような、グチャグチャとした文章だった。