目覚ましの音がやけにうるさく聞こえる。いつもうるさいのだが、今日はいつも以上だ。
昨日あんなことがあっただけあって、今朝の目覚めは最悪だ。
今日はサボろうかな・・・。
そう思ったが、変な奴と思われてるのも何なんで、とりあえず謝っておこう。
そんな考えと裏腹に、俺はダラダラと着替えを始める。
実は、時間をズラせば会わないかも、と思っていた。
いつもより20分は遅れて、俺は半分日が昇っている道を走りだした。
今日はいつもより人が多い気がする・・・と言うより、実際多い。(それほど多くはないが)
20分遅れて走っただけで、まるでいつもと違う道を走っているようだ。
これなら、あの子に会わずに済むかな。と思っていた。
と思ったら、いた!坂を登り終えたところのちょうど目の前に。
しかし昨日と違うのは、その子は走ってはおらず、横にある塀にもたれかかっていた。
まるで誰かを待っているようだ。と、その子が顔を上げたと同時に目が合った。
・・・やっべー。どうしよう。こんな時は手の平に人を・・・って、違う!
あ、とりあえず昨日のこと謝らないと・・・。
俺は周囲をキョロキョロしながら、その子に近づいて行った。
・・・昨日は突然あんなことしてゴメン。
「あの・・・戸高さんですか?」
俺が謝ろうとしたとより早く、その子が言った。
何でこの子、俺の名前知ってるんだ?
正直驚いたが、俺は「ああ、そうだけど」と答えた。
「あの・・・ここのボクシングジムに通っていました?」
!?!? 何でそこまで知ってるんだ!?
俺の頭に「ストーカー」という言葉が浮かんだ。しかし、
「ここ練習生さんから伝言を頼まれたのですけど・・・」
!?!?!?!? 何でこの子がジムから伝言を?
「戸高・・・さんに、もう一度戻ってこてほしい。と言っていました。会長さんも、寂しがっているそうです」
そうか、この子に伝言を頼んだんだな。
「・・・そうか。でも、ボクシングはもうやりたくないから・・・。そう言ってくれないかな」
ボクシングをやりたくない。そう言った時、一瞬だけではあるが、胸がギュッと締め付けられた気がした。
「・・・ボクシング、何で辞めたのですか?」
伝言は伝えたはずだが、その子は質問をしてくる。
「何でって・・・いや、別に」
「ボクシング、嫌いになったんですか?」
「・・・別に嫌いになったわけじゃないけど」
「すごい練習してて、世界チャンピオンになるって言ってたらしいですけど・・・」
その子の語気が、だんだん荒くなってきている。何でこんなにムキになってるんだ?
「それは、ボクシングを知らなかったから・・・」
「知らなかったからって諦めるんですか?それって諦たわけじゃなく、逃げてるんじゃないですか?」
・・・私ったら、何て失礼なことを言っているの。
「何て言うか・・・情熱みたいなもんが・・・」
「情熱がなくなったからって辞めるんですか!?
そんな半端な気持ちで世界チャンピオンになりたいなんて言ってたんですか!?」
そんな半端な気持ちで。その言葉を言った時、一瞬だけ胸が苦しくなった。
でも、止まらない。こんなに失礼な事を言っているのに、謝らなきゃいけないのに・・・。
「本当はもう一度やりたいんじゃないですか!? でも言い訳をして・・・」
「うるせぇっ!!!!!」
彼の口から出た大きな言葉に、わたしは思わず体を硬直させた。
「あんたには関係ねーだろ!他人だし、ガキのクセにいちいち文句つけんじゃねーよ!!」
しまった。言った直後にそう思った。気がつくと、女の子の口元がわなわなと震えている。
しかし、俺は振り向いて走り去った。彼女がこっちを見ているかどうかはわからない。
しかし神経は、自分の背の彼女に集中していた。
後ろから、水滴がしたたり落ちるような音が聞こえ、俺は一瞬立ち止まりそうになったが、そのまま走り去った。
家に帰る頃には、天気は崩れ、大雨になっていた。
あれから何時間立ち尽くしていたんだろう・・・。
気がつくと、辺りは大雨になっていた。私は急いで家に戻った。
「ただいま・・・」
家に着いて時計を見る。・・・よかった、まだ時間は充分にある。
わたしはシャワーを浴びるため、風呂場に向かった。
・・・あの人が怒るのも当然だよね。顔見知りでもないのに、あんな酷いこといったんだから・・・。
明日会ったら謝っておかなきゃ。
シャワーを浴びるため、衣類を脱いで脱衣籠に入れる。
しかし、うまく入らない。・・・おかしいな。目がぼやける。
いや、それどころか何だか寒い。気持ちが悪い。頭がボーっとする。
おかしい、何だろう。
その時、脱衣所のドアがガララと開いた。お母さんだ。
「あらあさ美、シャワー浴びるところだったの?」
「うん・・・」
・・・何だろう。頭がボーっとしてうまく喋れない。
「・・・あさ美、ちょっと顔色変よ」
お母さんが手のひらをわたしのおでこに当ててきた。・・・冷たい。
「あさ美、なんかちょっと熱っぽいわよ。体温計持ってくるから測ってみなさい」
「風邪ですね。体を冷やさないように安静にしていればすぐに治りなすよ」
お医者さんはそう言ってくれた。
「今日は学校休みね。熱もあるし」
家に帰って、お母さんが言った。わたしは布団や水枕の準備をしてくれているのを立って見ていた。
「ごめんね、お母さん・・・」
わたしがそう言うと、お母さんはクスリと笑って私の頭を撫でてくれた。
「優しい子ね。でもいいの、可愛いあさ美のためなんだから」
「うん・・・」
「それにあんたは昔っから気を使いすぎるんだから、もっと積極的にならないと」
「うん・・・」
私って、そんなに気を使ってるかなあ・・・。
「それじゃあ、学校に電話入れといてあげるから、ゆっくり休んでなさい」
「お母さん・・・」
「ん?」
お母さんが私を見て優しく微笑んでくれた。
「・・・んん、何でもない」
「変な子。それじゃあ何かあったら呼んでね」
また少しクスリと笑って、お母さんは奥の部屋に入って行った。
・・・学校、行きたいなあ・・・。
私はあと今日を入れたらあと5日で転校してしまう。
あと5日で中学生・紺野あさ美から、モーニング娘。紺野あさ美になるんだ。
友達はみんな羨ましがってるけど、私は正直あまり乗り気ではなかった。
芸能界には憧れはあった。しかし、それはあくまで手の届かない存在。としてだった。
まさか自分がなれるとは思っていなかった芸能界。
しかし、たった一枚の紙切れ。
これを送っただけで、私は手の届かないはずだった芸能人になろうとしている。
夢が叶ったと言えば叶ったのだろう。
しかし、その夢のおかげで今まであった普通の生活がなくなろうとしている。
たった一枚の軽はずみな行動が全てを・・・。
いやだ。いやだ!いやだ!!いやだ!!!
私は毛布を頭から被り、毛布の中で激しく頭を振った。
芸能人になんてなりたくない!私は普通がいい!みんなと一緒にいたい!
後悔の気持ちと涙ばかりが次から次へと出てくる。
家族の顔、恵理の顔、クラスメイトの顔、岩崎先生の怒る顔・・・。
次から次へと浮かぶよく見知った顔。その顔が、あと5日で「思い出」になるのかな。
東京なんて行きたくない!いやだ!いやだ!!いやだ!!!
・・・そうだ、私は落第生として入ったんだから、辞退しても・・・。
そんな半端な気持ちで世界チャンピオンになりたいなんて言ってたんですか!?
その時、ふとあの人・・・戸高さんに言った一言が頭をよぎった。
私はあの時、戸高さんの気持ちがどうしても許せなかった。
どうしても何もやらずに逃げているようにしか思えなかった。
私は(自慢するわけではないが)陸上で記録を出した時、成績が学年で一位を取ったとき、全て努力をしてきた。
しかし、今回は何もやらずに逃げ出そうとしている。
「正直、才能はなかったけど、練習は人の何倍もやってて、そこだけは本当に凄かったよ」
昨日の練習生さんの言葉も頭をよぎる。
気がつくと、涙はもう止まっていた。