「あ、あの・・・」
矢口は何か言いたげにもじもじしている。
「なんですか?」
「仕事・・・とか時間・・・大丈夫なんですか?」
矢口に仕事と言われ携帯に目を落とす。
―――8時45分
俺の中で一瞬時間が止まった。
「やっべー」
俺は慌てて仕事の準備に取り掛かる。
「わ、わたし何か作ります」
そういって矢口は台所へと入っていった。
俺は矢口の入っていった台所をしばらく見つめていた。
彼女の作ってくれた朝食もそこそこに俺は
玄関にと向かう。
この時点でもう遅刻は確実なのだがこれ以上
遅れるわけにも行かなかった。
「もし何かあったら連絡してください。」
そう言って自分の名刺を差し出す。
矢口はそれを受け取ると笑顔で笑った。
「いってらっしゃい」
――いってらっしゃい
長年一人身の俺はこの言葉にちょっと照れくさく
「いってきます」
とはにかむように答えた。
アパートを降りたところにある大きい桜の木では
満開の花びらがゆれていた。
季節はもう春を告げている。
別れの季節は終わってこれからは出会いの季節。
全てはここで終わるわけじゃない。
全てがここから始まるのだ。
俺は走り出した。
今までの自分を捨ててこれからの自分へと
捨てたからと言って忘れるわけではない。
これからの全てが始まりだしたのだ。
―― 完 ――